30580 返信 ムツヒト誕生日 Re:明治節 URL 森永和彦殿下 2004/11/04 02:50
こんばんわ、明空(石原珍太郎よりやや右)さん。

>  今日は明治節(明治陛下の御誕生日)である。殆どの国民が
> この事を知らないだろう。私も大学生の時まで知らなかった。

なんか典型的な「20歳前後のウヨかぶれ」って感じで微笑ましいです。

>  明治節が文化の日に変ってしまったのは、昭和23年だそうだ。
> GHQの命令により祝日法が改悪され、明治節は「自由と平和を
> 愛し、文化をすすめる」と云う何処にも「天ゴ誕生日」の意味が含まれておらぬ祝日になってしまった。この時から日本は亡国の道を歩んでいたのだろう。

ところで、天制がこれからも続くのなら、天誕生日はどんどん増えていきますね。祝日があまりに多くなりすぎたら、どこかで整理するつもりですか?


>  古来、日本の文化の発振源は、その多くが「室」であった。
> 「万葉集」からはじまる「和歌文化」、聖徳太子に端を発する
> 「仏教文化」、また中国文化を醇化せしめた「国風文化」など、
> その後、武家政権に具体的な権力が移っても、その文化の基礎は
> 常に「室」という淵源にさかのぼることができる。

へえ、和歌文化がどうして室から始まったのですか?扶桑社「アタラチイ歴史のゴ本」には、『万葉集』が勅撰であったとか根拠もないことが書いてありましたが、もしかしてそのことですか?

聖徳太子は日本書紀が捏造した架空の人物ですよ。そんな人物が仏教文化を創始したわけがないじゃないですか。

だいたいねえ、室というのは、日本の(形式上の)支配者ということになっていた存在ですよ。文化が庶民にも普及した現代ならいざしらず、文化が支配階級のものであった古代や中世に端を発する文化が、支配者つまり室と関係があるのは当たり前じゃないですか。それのどこが立派なのか。

いわば「カトリック教会の歴史は、常に聖座とかかわってきました」というようなもので、言うまでもない当たり前のこと。

逆に言うと、庶民に文化が普及した今日、室が何か文化を創造したり、庶民文化に影響を与えたことってありますか?ないでしょ?つまり、室なんてもういらないってこと。


>  明治時代もまた、それ以前の維新の原動力となった「国学」等
> をはじめ、「室室のゴ存在」を抜きにしては、成立しなかった事は言うまでもない。

国学なんていうアフォなことをやってたから、日本はまともな近代国家に生まれ変われなかったんじゃないの。本居宣長とか読んでみなよ。あまりのアフォさに失神するよ。あんなものがたとえ一時期でも価値あるものとして崇められたというだけでも日本民族の汚点だね。

日本人がやるべきだったのは、国学だのなんだのというタワゴトじゃなく、欧州の革命思想を学ぶこと。Rousseauでも学んで、天の首を刎ねて共和国を作っていれば、日本はすばらしい国になっていたのではないか。



>就中、明治ヘーカにあらせられては「欧米文化の移入と国家の全面的改革」という、日本史上類を見ない、大変革を推進された英邁なる君主でいらっしゃる。

ふーん。夏目漱石が言うように、

こう西洋の圧迫を受けている国民は、頭に余裕がないから、ろくな仕事は出来ない。ことごとく切り詰めた教育で、そうして目の廻る程こき使われるから、揃って神経衰弱になっちまう。話をして見給えたいていは馬鹿だから。自分のことと、自分の今日の、只今の事より外に何も考えてやしない。考えられない程疲労しているんだから仕方がない。精神の困憊と、身体の衰弱とは不幸にして伴っている。のみならず道徳の敗退も一所に来ている。日本国中何所を見渡したって、輝いている断面は一寸四方も無いじゃないか。悉く暗黒だ。

というのが、適切な批評だったと思うけどね。その神経衰弱の結果、周辺国に乱暴狼藉をはたらいて何千万人も殺してしまったことはご存知の通りです。あの時、天の首を刎ねていれば、少なくとも日本民族の面目は保てただろうに。


>  それなのに、明治陛下の功績を消す事は、あまりにも国民にと
> って勿体なく、両陛下の御治績を顕彰する意味でも、祝日の意味
> を隠蔽しようとする「文化の日」と云う祝日名は、日本文化への
> 冒涜であり、陛下並に陛下と共に生きた全ての日本国民への侮辱
> である。


そうですね。毎年8月15日に、全国でムツヒトとヒロヒトの人形を燃やす行事をするのがいいと思います。