| 30587 | 返信 | Re:gajiさんへ 南京戦の証言 | URL | K−K | 2004/11/04 12:58 | |
| 30577 返信 Re:gajiさんへ 南京戦の証言 URL gaji 2004/11/04 00:15 >> それとも、自分の見解を明らかにすることに、不都合でもあるのですか? >iie。 >「論」を楽しみたいのでしたら、熊猫さん、タラリさん、ゆうさん、渡辺さんetcたくさんいらっしゃいますので、そちらでどうぞお楽しみ下さい。 いいえ、議論を楽しみたいのではなく、意義・意味のある議論を行いたいと思っています。 >> もちろん、同様に、信憑性の乏しい「聞き書きの証言集」であっても、複数の証言がある事柄に言及しているのであれば、それに限り、信憑性が高くなることも言うまでもありません。 >聞き書きの場合、複数の証言をつくることが可能なんですよ。打ち合わせをして辻褄を合わせることも可能です。 当然、聞き書きの場合には、複数の証言をつくることが可能でしょう。 また、当然のことですが、gajiさんが信憑性を認める「聞き書き」以外の証言でも、複数の証言を作ることも可能でしょう。 さらにそれ以外の史料、例えば回想文、手記等でも、同一の事柄を示す複数の史料を作り出すことは可能ですね。 では、なぜ、gajiさんは「聞き書き証言」のみ「複数の証言をつくることが可能」であるという危惧を持つのでしょうか? >> 「聞き書きの証言集」ということで一括りに評価するgajiさん的な評価には、やはり妥当性がありません。 >聞き書きに関して妥当性がある、ということ自体、犯罪的な虚偽に加担することだと思ったことはないのですか? 上記の通り、ほとんどの史料に関して「複数の証言をつくることが可能」であることを理解しているので、「聞き書き証言」のみの性質として「犯罪的な虚偽に加担すること」とは思っていないからです。 >> 例えば、事実が「扇情的」で「センセーショナル」なものであった場合、それに関する証言もまた、「不自然に思えてしまう」のでしょうか? >事実そのものに「扇情的」「センセーショナル」といったことがあるとお思いですか? >ひとの視点で語ることによって、事実にしても初めて「扇情的」になるということではありませんか? 感情や情欲をあおりたてる事実というものも、当然のことながら存在するでしょう。 南京大虐殺における虐殺等の「事実」に対して、gajiさんは扇情的と感じているのですから。 >「扇情的」というのは、情報の中での意味づけにおいて初めてでてくる言葉ではありませんか? 要するに、形容する言葉です。「事実」そのものではありません。解釈ということです。解釈って立場によって千差万別でしょう? そのような見解でしたら、松岡『南京戦』における個々の証言に対しての評価としては妥当ですが、同書自体を否定する根拠にはなりませんよね? >> とりあえず確認しておきますが、ベーツの日本軍に対する本来の見解は、「秩序ある日本軍の入城で南京に平和が早くも訪れたのは何よりです」というような言葉から程遠いものであった、ということでよろしいでしょうか? >分かりませんので、確認しようがありません。ゴメンナサイ。 >> そこでお聞きしますが、なぜ、gajiさんは、引用した文章(これは松尾さんのHPの記述ですが)が正しいと思ったのでしょうか? >「正しい」とはいっていませんよ。 では、どのような意味で引用されたのでしょうか? 自身の主張を裏付ける根拠として提示しているのではありませんか? >> また、今まで、いくつかこの松尾さんのHPに関して事実とは違うということを指摘しましたが、なぜ、それでもなお、そのHPの記述が正しいと信じれるのでしょうか? >?? 「正しい」とはいっていないのですが? これも又、上記と同様に、どのような意味で引用されてきたのかを述べていただく必要がありそうですね。 >> ならば、gajiさんが提示した南京軍事法廷の証言に関する記述(松尾さんのHPの記述)は、松岡『南京戦』の評価として引用することは不適当だということになるでしょう。 >南京軍事法廷の証言に関しては、事実ないまぜかと思いますが。 >> この点はよろしいでしょうか? >いいえ^^ 南京軍事法廷の証言に関しての評価(「事実ないまぜかと思います」by gajiさん)をお聞きしているのではありません。 南京軍事法廷に提出された証言と、松岡『南京戦』の証言とを一括りにして評価することはできないことを、gajiさんは認めているのですから、松岡『南京戦』の評価をするのに南京軍事法廷での証言を引用する意味はないということになります。 よろしいですか? >> なお、南京軍事法廷の証言も松岡『南京戦』の証言も、ともに「見たこと」、「聞いたこと」または「体験したこと」が記述されていますが、なぜ、gajiさんは、「見たこと」・「体験したこと」の評価をせずに、「聞いたこと」だけで評価をするのでしょうか? >そういったことを私は言っていませんが。 >言ってもいないことを聞かれても、困ります。 Msg.30569 >そうですね。けれど私は《「証言である」という点だけで一括りに》しているわけではないですよ。 >「見たこと」「聞いたこと」に関する述懐があるなら、「聞いたこと」は限りなくグレーゾーンであるということです。 gajiさんは、南京軍事法廷での証言や『南京戦』での証言は、「聞いたこと」であるから、「限りなくグレーゾーンである」と評価しています。 しかし、Msg.30587でも指摘したとおり、実際には、南京軍事法廷での証言も『南京戦』での証言でも、「聞いたこと」だけではなく、「見たこと」や「体験したこと」に関する証言を行っているわけです。 ですから、南京軍事法廷や『南京戦』の証言のうち、なぜ「聞いたこと」だけに対して評価をもって、両証言を否定するのかをお聞きしているわけです。 よろしくご回答ください。 ■以下、省略された3つの論点ですが、重要なことと思われますので、ご回答していただけるようにお願いいたします。 もちろん、強制ではありませんよ(笑)。お願いです。 >> 松岡氏が、紀念館と近しい関係があることと、証言の信憑性との関連性は何もありません。 >> inti-solさんも指摘しているように、gajiさんの「好み」をいくら裏付けようしても無意味です。 >> それは「好み」の問題でしかないでしょう。 >「好み」で言ってはいませんよ(w では、なぜ、「松岡氏が、紀念館と近しい関係がある」と、松岡氏らが取材・編集した証言集は「信憑性に欠ける」ことになるのでしょうか? >> ■ちなみに、以下の文章に反論しておきましょう。 >>(略) >> これも馬鹿馬鹿しいことですが、ただの記述ミスです。 >> 『南京戦』の新しい版を見れば分かりますが、鬼頭氏の生まれは、正しくは1916年です。 >けれど、こういった数字の誤植だけではなく、内容的にミスだらけ、という指摘がありますね。 gajiさんが略した部分のような「内容的」な「ミス」でしょうか?そちらを略したということは、その「内容的」な「ミス」に関しては、解決したということでよろしいですね? また、「内容的にミス」というのはどのような意味でしょうか? 例えば、証言者が証言した内容が、事実と矛盾することは十分にありえると思います。gajiさんにとって、それが「内容的」な「ミス」なのでしょうか? gajiさんが指摘するような「内容的」な「ミス」が多いと、複数の証言が示す同一の事柄に関しても「信憑性」が低下するのでしょうか? (なお、ここでいう同一の事柄とは、例えば「市民・捕虜に対する殺害命令」や、「強姦」に関する記述、「下関での虐殺の場面」、「天野中尉事件」などです) >> 一体、gajiさんは何を基準に「正しい」と思うのでしょうか? >> 結局、gajiさんの判断基準というのは、「好み」であり、「イデオロギー」なのではないでしょうかね? >それはK-Kさん御自身の自己投影ではありませんか? >私は当時の軍隊にいたわけではありませんので、何がホントなのか、正直分かりません。 再度お聞きしますが、「好み」や「イデオロギー」以外に、一体、何を基準に「正しい」と思い、根拠の引用を行っているのですか? |
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