| 30619 | 返信 | Re:実質的な議論と無意味な議論 Re:自主的思考の放棄と個人崇拝 | URL | 若 | 2004/11/05 23:54 | |
| にゃ何とかの投稿はまったく質問に対する返答になっていないばかりか、とうとう逃亡宣言に出たようです。みっともないざまをさらすくらいなら最初から黙っていればいいのに、なんとかにつける薬がないというのはこのことでしょうか。 > > まさにその点が問題です。ロシヤ革命以後の歴史は、社会主義と民族自決は両立しない場合が多いことを証明しました。Ленин(Lenin)のミイラとともに、民族自決のドグマを今こそ火葬すべき時です。 > > では、その「社会主義」「労働者国家」の実態とはなんなのでしょうか? > あなたは、他の掲示板でのあなたの発言を、ここ問答有用板や田中荘掲示板で取り上げることを、極端に嫌っているようですが、あえて、5年前のあなたの某掲示板での書きこみを、ここで紹介することとします。 単に問題から逃げているだけでしょう。かつての「社会主義」「労働者国家」に仮に何かの問題があったとして、それと宗教的な独裁主義のどちらがベターなのかは別問題です。また、社会主義と民族自決が両立するのかどうか、しなければどうするのかという基本的な問いからも逃げているだけです。これで回答したつもりなら、にゃ何とかには基本的な日本語の読解力が欠けているということになります。え?前からそうだった?それは失礼しました。 > 1956年ハンガリー蜂起の性質については、さまざまな議論があります。ソ連・中国などの既成の「社会主義陣営」の公式見解は「かつてのホルティ政権のような軍事独裁的な政府と封建的な資本主義経済を復活させようとした聖職者やファシストによる試み」だという宣伝でしたが、これは事実に反しているでしょう。 > しかし、ハンガリーの労働者、民衆がナジ・イムレ政府に対して、ワルシャワ条約機構からのハンガリーの脱退を要求し、ハンガリー駐留ソ連軍の撤退を求めていたことは間違いないわけです。つまり、ハンガリーの労働者、民衆には明らかに「民族自決」という動機があったわけです。このことも、お忘れなきように。 ハンガリーからソ連軍が撤退し、ワルシャワ条約機構からハンガリーが脱退していれば、当然ハンガリーは東側から離脱し、西側陣営に組み込まれることになってきます。ソ連はそういう事態を許すことができなかったから介入しただけのことです。で、にゃ何とかは自分が「左翼」のつもりらしいですが、「社会主義よりも民族自決原理が優先する」と考えているのですか?だったら「左翼」とは何でしょうか。民族自決ならいいのであれば、ホルティ体制でも、ヒトラー体制でも何でも許される、外部からの干渉は許されないということでいいわけですね? > ですから、それを選ぶのは、誰なのか、ということを私は問題にしています。それは、チェチェンの民衆であって、あなたではない。ネオコンに通じるような発想はそろそろ卒業されたらいかがでしょうか? > 客観的に見ても、そうした「選択」は不毛きわまりないものです。チェチェンの民衆にとっては、どちらも敵でしょうし、民族独立の後には宗教独裁勢力との闘いが行なわれるでしょう。何度も言っていますが。 にゃ何とかは「民族自決」を振り回せばそれで回答になると勘違いしているようですが、ヒトラー政権は選挙で選ばれたのですよ。その民族が決めたのだから何でもよいのであれば、独裁だろうと抑圧だろうとなんでもやっていい(ナポレオンをはじめ、独裁者が「喝采」によってその地位に着いた例はいくらでもあります)ということになるでしょう。にゃ何とかはチェチェンについて何ほどのことを知っているのかどうか、独立派が勝てばイスラム法に反する者は斬首か石打ちです。イランやサウジアラビアでそうなっているように。いったん独裁政権ができれば、内部から反抗する余地などないのです。「民族自身がきめるのだ」などというたわごとは現実には、独裁を放置するという以外何も言っていないのと同じです。 > 非難されるべき行為であれば、ロシア軍は直ちに撤退し、責任者の処罰と、被害者への補償が誠実に行なわれなければなりません。当たり前のことですけれど。 関係ないことを持ち出して問題をそらすのはにゃ何とかの常套手段です。責任者の処罰と被害者への補償はともかく、ロシア軍の撤退がどういう理由で持ち出されるのでしょうか。 > CIAがどうのこうのという陰謀話には興味ありません。そういう話題はオカルト愛好家や歴史修正主義者にまかせておけばよいのです。そして、それを「トンデモ」と呼んで、思いっきりあざ笑ってやればよいだけです。 > あなたがマルキストを自称されるのなら、唯物論的現実こそ直視すべきです。 にゃ何とかにとって「唯物論的現実」とは何なのでしょうか。チェチェンの現実は、宗教的狂信者とロシア軍が戦っているということであり、それ以外の現実はありません。にゃ何とかの妄想とは関係ありません。 > 他国の人民とか、または被抑圧人民に対して、暴力的手段で自分の価値観を押し付けようという発想は破産するということを、言いたいだけです。あなたの総括は、「労働者国家ソ連」を維持するために、「もっともっと殺しつくすべきだった」というものかもしれませんが・・・ では他国の人民だの被抑圧人民だのというものが「自ら抑圧的な体制を望めば」それはそれでかまわない、ということになるわけですね。ルワンダでツチ人とフツ人が殺しあったのは彼ら自身がそれを望んだから、外部からの干渉は許されないということでしょうか。また、ヒトラーを他国が武力で倒すことは許されず、それをする資格があるのはドイツ人だけということもいえるでしょう。もっともドイツ人の圧倒的多数はヒトラーが敗北して打倒されるまで、大多数がヒトラーを支持していたわけですが(笑)。 > > だからどうしたのか、意味不明です。内容のあることが言えないから、とりあえず何か言ってみるか、というようなことは相手に時間の無駄を強いる失礼な行為です。 > > あなたの発想は、ファシストでも極右でも歴史修正主義者でも差別排外主義者でもない、ごく普通の人民に関して、暴力や脅迫的手段で、自分の価値観を押しつけることができるというものです。だから「歴史においては残虐であるほうが進歩的であった例などいくらでもあるでしょう」という言葉が出てくるのです。 > 私は、暴力一般をすべて駄目と言いきるつもりはありません。ナチスに対するレジスタンスやパルチザン、日本軍に対する朝鮮・中国・東南アジアの人民の闘い、それを否定することはできないし、そうした闘いは当然にも敵に死を強制しなければならない局面があります。そういう意味にとどまる限り、私はあなたの「殺せ、殺せ」を否定はしません。だが、「殺せ、殺せ」がチェチェンやチベットに向けられるのであれば、それは最悪です。 にゃ何とかが「ごく普通の人民」というときにそれが何を意味するのか、よくわかりません。わかったことは、「ファシスト、極右、歴史修正主義者、差別排外主義者」に対しては暴力や脅迫的手段で自分の価値観を押し付けても許される、とにゃ何とかは考えているらしいということです。それでいて、ハンガリーへの介入には反対などといっているのだから、笑わせます。自分の意見と違う者に適当なレッテルを貼って、「彼らは特別だから、抑圧してもかまわない」といえるのであれば、何だってできます。要するににゃ何とかは「自分の好きな集団への残虐行為はゆるせないが、自分の嫌いな集団に対しては残虐行為はゆるされる」といってるだけのこと。こういうのを単なるご都合主義といいます。 ところで、こういうのを「左翼」というのですか? > 正直言って、この部分、帝国主義・植民地主義者のイデオローグの書いたものを読ませられるような、そんな気分になります。ヒトラーの演説にも似ています。 > あなたは、海外の左翼情勢に詳しいようですので、一つだけ、お聞きしたいことがあります。 > 「たとえば白人(ピューリタン)の北米大陸進入は、モヒカン民族など先住民への残虐行為を伴っていましたが、文字すら持たず、生産性の低い農耕・狩猟・採集生活をしていたに比べて、開拓の意志と技術を持った白人の方が進歩的であったことは疑う余地がありません」という主張を公然と唱える「左翼」は、アメリカ本国にも存在しているのでしょうか? > フランスにも、「老いたるモグラ」グループのように、アウシュビッツとホロコーストの存在を否認する自称「新左翼」が存在していますので・・・ 封建的な体制にしがみつく人民を「啓蒙」し、「抑圧」することに対してはレーニンだって躊躇などしていませんが、にゃ何とかにとっては、そのときの特定の人間の意識がすべてだということですか?それも左翼とはちょっと違うようですね。 > > 疲れたのでこれでやめます。 > > そうですね。私も「疲れました」・・・ > もともと「議論」というのは、相手を説得するために行なうものであって、どちらがアタマがいいか、「勝ち負け」を競い合うためのものではありませんので・・・ > そういうことで、私はあなたとの議論を降ります。あとは、私よりもっと忍耐強く、もっと有能な方が登場されて、あなたと議論を続けてくれるのを待つこととします。 いうにことかいて、結局しっぽを巻いて逃げ出すわけですか。もともとにゃ何とかは他人の文章をコピーするだけ。自分の考えなど何一つ書いたことはないような程度の人間だったわけです。めずらしく自分の意見を書いているのかとおもったらこのていたらく。勘違いしないようにいっておきますが、議論というのは議論の相手を説得するためにするのではありません。にゃ何とかだのとほほあたりのレベルの人間を「説得」するのは不可能かつムダでしょう。 にゃ何とかの「議論」は、論理の一貫性、質問に対する回答の的確性、どれをとっても森永さんに遠く及ばないものです。おそらくにゃ何とかは他人の文章を貼り付けているうちに、自分にも何か文章が書けるのではないかと錯覚したのでしょうが、他人の文章を貼り付けるのと自分で文章を書くことは違います。文章のコピーに専念しても、これからもバカにされるだけですよ。大切なのは自分で勉強することです。 |
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