| 30642 | 返信 | Erna Parisは帝国主義の手先 Re:『歴史の影――恥辱と贖罪の場所で』 | URL | 森永和彦 | 2004/11/07 11:39 | |
| Erna Parisなる者はNATO侵略者の手先であり、 Милошевић(Milošević)大統領を、Den HaagのNATOカンガルー裁判所に引渡すまで、Југославија(Jugoslavija)を経済制裁せよ とほざいていた戦犯です。彼女は、将来Југославија(Jugoslavija)人民の手で粉砕されるでしょう。NATO侵略者の側に立ったものはすべてその罪を血で贖うことになるでしょう。 と同時に、社会評論社はいつからNATO侵略者の手先に転落したのか。こんな人物の著作を翻訳出版するとは見下げ果てたものよ。 カンガルー裁判所では、Милошевић(Milošević)大統領の「起訴事実」がすべて崩壊したので、連中はМилошевић(Milošević)大統領の口を封じるために、勝手に「代理人」を任命(被告人に任命されない代理人だと!)しようと必死ですが、法学者の前田朗先生はこれに対する抗議声明に署名されたのでしょうか。 Милошевић(Milošević)大統領は、Den Haagのでっちあげ法廷で、これまで代理人を立てずに、自分自身で弁護を行ってきました。Милошевић(Milošević)大統領は、すぐれた論戦で検察側の「証人」をたびたび笑い者にしてきました。大統領の鋭い反対尋問で、「証人」の虚構が崩壊しそうになると、「裁判官」が「終了」の助け船を出すということが繰り返されてきました。でっちあげ裁判はまともな方法では維持できないのです。 不当な拘禁により、大統領の健康が悪化し、公判の中止が必要になっている状態を悪用して、でっちあげ「裁判所」は、被告人が任命してもいない「代理人」を勝手に任命しようとしています。こんなことが許されるのか!でっちあげ「法廷」お抱えの人物を「代理人」として出廷させ、被告人は閉じ込めておけば、どんなでたらめ裁判でも簡単だ!このとんでもない事態に対して抗議の声をあげないような「法学者」は、まったくその名に値しないと思います。前田朗先生が、抗議声明に署名するか否かが、彼が本物かどうかを見分けることになる。 > 8月15日に出版された本ですが、見落としていて、最近入手しました。現代世界における戦争・虐殺・奴隷制、歴史と現在をめぐる記憶・責任・未来について考察するために重要な本です。 > > アーナ・パリス『歴史の影――恥辱と贖罪の場所で』(篠原ちえみ訳、社会評論社、2004年) > > 原著は > Long Shadows: Truth, Lies and History,2000. > > <目次> > > 序章 打ちひしがれた国々への旅 > > 記憶と第二次世界大戦 > 第1章 シーシュポスの石▼ドイツ > 第2章 曇りガラスの向こうの真実▼フランス > 第3章 歴史の抹消▼日本における虚偽と忘却 > > 戦争、記憶、そして民族 > 第4章 奴隷制の影▼アメリカ > 第5章 愛する国▼南アフリカにおける真実と和解 > > 戦争、記憶、そしてアイデンティティ > 第6章 ホロコーストは誰のものか? > 第7章 ヨーロッパに再来した戦争▼ユーゴスラビアとボスニア > > 正義はどこに? > 第8章 新しいジェノサイド、新しい裁判▼ニュルンベルクの遺産 > 最終章 記憶と忘却のあとで > > 訳者あとがき > > <著者紹介> > アーナ・パリス(Erna Paris) > カナダ・トロント生まれ。トロント大学、パリ・ソルボンヌ大学卒。1971年より執筆活動を開始。ジャーナリスト、書評、ブロードキャスターを経てノンフィクション作家に。著書に”The Garden and the Gun: Journey inside Israel”, “ Unhealed Wounds: France and the Klaus Barbie Affair” 他。 > > > あとがきも含めて541ページの大著です。ちなみに定価は5600円+税。 > > 著者はこれまでにイスラエル問題や、フランスのバルビー裁判についても本を書いているように、長期にわたってこの問題を追跡しています。そして、各章で取り上げた問題を調査するために各地を旅して、人に会ってインタビューし、歴史の現場に立ち、資料を収集しています。よくもこれだけ世界の問題を取り上げたなと感心してしまいます。内容を紹介することは到底できませんが、この主題について思索をめぐらそうとする人には必読書でしょう。 > > ちなみに、「私が本書をほとんど偶然的に書き始めるきっかけとなったのは一九九六年春の日本への旅であった。この旅は私の研究の目的で計画されたものではなかったが、日本に行くのなら二十世紀の歴史と想像力の源泉である広島と長崎を訪問することに決めた。・・・・/私はすぐに広島と長崎で見聞きしたことが、集団的記憶が形成される仕方、また、そのストーリーから排除されていると気づいた人たちはどうなるのかという、それまで私が長い間関心を持っていたこととぴったりと符合することに気づいた。」(10頁)とあります。 > > 第3章では、靖国神社への訪問、南京事件、七三一部隊、東京裁判、広島への訪問、広島平和記念資料館、長崎への訪問、家永教科書訴訟などを描きながら、南京事件を記憶する試み、抹消し忘却させる試みについて紹介しています。戦争の悲劇を克服できないドイツ、フランス、日本の共通性と相違を探るのが著者の関心でしょう。 |
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