30690 返信 Re:「百人斬り」が法廷で争われることの意味。/創価学会。 URL 渡辺 2004/11/11 00:34
これは、八木沢さんの『30659 Re:「百人斬り」が法廷で争われることの意味。/創価学会。』2004/11/08   
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_plain?base=30659&range=1
に対する返信です。

---
> >本多勝一氏が創価学会と関係があるかどうかなど興味はありませんし、出版社がどこかということと、百人斬り競争にどういう事実があったかとは関係がありません。
八木沢さん:>
>  渡辺氏は「百人斬りは70年代に決着がついている」という。その根拠は、当時本多被告の大口取引先だった創価学会の出版部門・潮出版社から出された『ペンの陰謀』だという。

そんなことは言っていないが...イザヤ・ベンダサンとは別人かのようにして山本七兵が「百人斬り」議論を再度挑んできたので、『ペンの陰謀』で、コテンパンに批判されたということは書きましたが。
「1970年代には決着が付いている議論」がどのようにしてイザヤ・ベンダサンの敗北に終わったについて、再度掲載いたします。
---
「1970年代には決着が付いている議論」とは、イザヤ・ベンダサンこと山本七平と本多勝一の議論(本多氏は議論に値するとは思っていなかったらしいが)で、議論が出尽くし 1972年に終結したものです。山本七平氏は「虚報」と鸚鵡返しにするだけで議論は終わりました。1972年7月29日付『週刊新潮』を見れば、イザヤ・ベンダサンが論破されたことは明らかです。『「南京百人斬り」の"虚報"で死刑戦犯を見殺しにした記者が今や日中かけ橋の花形』と題し、浅海記者を非難するこの記事が、百人斬り記事は虚構と言うかと思えば、次のように書いています。
「記者たちの恣意による完全なデッチ上げ、という形はまずないと見るべきであろう。死者にはお気の毒だが、二将校の側もある程度、大言壮語したのだと思われる」(p.36)
当事者の佐藤振壽、浅海一男、鈴木二郎の各氏がいずれも、インタビューに答えて、二将校から百人斬りをしているという話しを聞いたと証言したので、イザヤ・ベンダサンの虚報説は成り立たないことがはっきりしました。そして、イザヤ・ベンダサンは、舞台の奥に引っ込んでしいました。本多氏はその前に、もうお付き合いはできないと議論の終息宣言をしていました。
---

>しかし松本氏の原稿は『潮』サイドによって大幅に改竄されていたという指摘が一方では存在しているし、これに対する当の松本氏のコメントという触れ込みの文章(http://www1.jca.apc.org/aml/9906/12457.html)が数年前から公開されていることと併せて総合的・客観的に、少なくともその部分は評価するべきであろう。松本氏は、「本多氏にとって有利なように引用されたために、私の審判が曲解された」と述べている。

私の参照している初版で削除されたとする部分は、末尾に引用するように大幅でもなく、また、私の論旨にも、次の結論にも全く影響がありません。
「また、イザヤ・ベンダサンこと山本七平のレトリックは、ノンフィクションの柳田邦夫、ディベートの松本道弘らによって徹底的に、そのでたらめぶりが批判されました。」

>  その上で渡辺氏は、本多被告と創価学会の関係になど興味はないといい、出版社がどこかということも内容の真実性とは無関係だという。こういう都合のいい主張が果たして第三者の理解を得られるだろうか。

では、潮出版と『ペンの陰謀』の内容の真実性とどう関係があるのか、真実性に関係があったとする部分を示していただけませんか?
ちなみに、本多勝一が創価学会をどう批判したかも、「百人斬り競争」の史実とは関係がありません。

>訴訟を起こしたことで原告側に不利益が生じるなどということは、絶対にあってはならないことである(第32条がおかれた趣旨は、まさにそこにある)。にもかかわらず渡辺氏はそれを問題視するわけでもなく、それどころか裁判を起こす側を牽制する手段として積極的にアピールしているわけだが、自分の発言していることの意味を冷静に考えてもらいたいと強烈に思う。

自分が何を主張しているかもはっきりできないような訴訟を起こすのは訴訟の濫用なのです。そういう訴訟で言論を牽制しているのは原告側です。野田氏が農民を虐殺していたという回想記が証書として提出されるや、名誉毀損だなどと言っているありさまです。名誉毀損が史実探求に対する殺し文句のようです。
訴訟前に証拠を真剣に収集していれば、「百人斬り競争」が記者の創作などという主張はありえません。自分の被害体験に基付くならまだしも、原告は自らも知り得ない 1937年の史実を、乏しい証拠で争ったのですから、被告側から新たな証拠という強烈なしっぺがえしを受けたのです。このような、原告側の危険性については、以前、指摘しましたが、実際にそのとおりになりました。
主張が不備ならば、被告から反撃を受け、訴訟を起こさなければ指摘されることがなかったような新しい事実が暴露され、原告側に不利益が生じるのです。
被告側が真剣に訴訟を争ったのは、単に訴訟に勝つということだけでなく、原告の背後に日中戦争の史実を歪曲しようとする運動があるので、被告側が危機感持ったからだと思われます。ちなみに、本宮ひろ志「国が燃える」で集英社に乗り込んだ執行猶予中の右翼と、抗議文で連名となっているのは百人斬り訴訟の支援の会の関係者です。徹底的に史実を明らかにしようと被告弁護団が戦っている真の相手は、こういう人たちなのです。
史実は、恫喝まがいの抗議は論外として、訴訟でもなく言論で争ってくださいというのが、私の主張です。
百人斬り競争訴訟において、9月にたくさんの証拠が提出されたので、裁判所は訴訟の進行を非公開で整理しているようです。原告の論点は明瞭ではなく、従って争点もあいまいな現状では、原告申請の証人の多くは認められるはずはなく、意外に早く判決に至るかもしれません。判決理由が明らかになってから、百人斬り競争訴訟の性格については改めて投稿したいと思います。
以上です。

-- 『ペンの陰謀』初版で、削除されているといわれる個所 --
出所:
[aml 12453] 判定文書改変:佐伯真光氏への質問状
http://www1.jca.apc.org/aml/9906/12453.html
以下引用:

『人と日本』1977年1月号106ページ
----------------------------------------------------------
 私は、この論争によって、これまで無敗を誇っていた山本氏にはじめて土がついた
と世間が料断したとしても、これまでの氏の論文の価値をいささかでも減殺するもの
であってはならないと信じる。私は氏の直感的判断を今でも高く評価している。とり
わけ“空気”の哲学は、あらゆる講演の機会を把えては賞賛しているものである。従
って私の発言に矛盾はない。たしかに、日本人はマスコミを含め“空気”に弱い。“
空気”に左右され、“空気”で動く。私の山本氏に対する黒星判定により、氏に対す
る世間的評価が一時的にたとえ低下することがあったとしても、それは日本的“空気
”のなせる業と断念し、さらに本来真理の探究者が支払わねばならない代価であると
、前向きに判断するならば、この際潔く敗北を認めるべきであろう。一敗を喫するこ
とが恥ずぺきことではなく、むしろ敗北を隠微におおい隠そうとする態度こそ、学者
にあるまじき恥ずべき行為であろう。
 私は山本氏のカムバックを信ずる。氏の経験から、および天才的な直感力から得た
数々の観察を、論理的に肉付けし、今後当然日本が直面せねばならない“善処しかね
る”諸問題を論究するために、論壇に再登場を願いたい。
 最後に、もう一度両論士に拍手を送りたい。
 そして両論客が微笑をかわしながら握手できる日が来たらんことを祈る。
----------------------------------------------------------