30773 返信 Re:愛国論がでてくるのも当然ではないかと URL 興亜義塾生 2004/11/13 23:32
> それが政権に対する批判を通り越して、日本という場、”生活の場”を脅かすものであるかもしれない、という懸念があるから、左翼の主張を反日という言葉に置き換えているのでは?と(自分の事も含めてそう)思います。

小生は、クラトルさんの言うこの「懸念」は、大変興味深いと思いました。
「日本という場」と「生活の場」とは、イコールのように見えて実は少々飛躍がありますよね。
「生活の場」が脅かされる(かもしれない)とは、ある主張が政策として実現された場合に、特定の個人の利害が具体的に脅かされる可能性のことでしょう。
例えば、従軍慰安婦の強制連行を認めたら賠償を請求される→税金が上がってわたしは困る→だから強制連行ではなかったことをかくかくしかじかと証明し賠償請求されないようにする、といったよくある論のような。
けれども賠償によって「困る」と受け止めるかどうかはその人の政治的立場によります。「売春婦にビタ一文払いたくない」という板垣正のような人物は「困る」=利害が脅かされると思うでしょう。他方「聖戦完遂のお世話になったのだからお礼は必要」という小生のような立場からすれば「少々困ってもよい」=利害は特に脅かされないと思うでしょう(左翼の諸君がどう思うかよくわかりませんが)。

もちろんこれは単純化したたとえ話ですが、「生活の場が脅かされる」と判断するかどうかは、実は諸個人の置かれた社会的条件や政治的立場によって決定されるのではないでしょうか。つまり特殊的ないし個別的な問題なのであります。

しかし「日本の場が脅かされる」とはどういうことでしょう? もしもある人が一身に日本の国益を体現しているのならば(すなわち、特殊的=普遍的な利害を体現していると仮定すれば)、「生活の場が脅かされる」ことと等置してそう言うことは可能かも知れません。しかし帝国憲法のもとでの聖上以外には、そんな人はどこにもおりません。

しかしわれわれのように、日夜特殊的・個別的な利害にふりまわされる凡夫にとって、自分の利害を普遍的な利害(いわゆる「日本の国益」)として押し出せるならば、これほど心強いことはありますまい。政治家のように「自分のためだけじゃないんだ、日本人みんなのためなのだ」と言えれば、正々堂々と得することができますね。逆に自分の利害を脅かす人間を「あいつはみんなの利害を脅かす反日分子だ」とレッテルづけすれば、普遍的利害の防衛の名のもとに自らの利害を防衛することができるわけです。

クラトルさんの言う「懸念」は、実はきわめて政治的・イデオロギー的なものだと思います。それは右翼・左翼・自称中道を問わずだれしも同じですよ。そうであるからこそ、ナイーブに「日本の国益を脅かす」なんてぇことを語るのは、自らの政治性に無自覚であるか、自らの特殊的・個別的利害を偽装しているかのどちらかであると私は思うのです。「反日」という言葉を使うことは、かような意味を持っていると考えます。