30782 返信 不法滞在の実態 URL とほほ 2004/11/14 03:52
実態が把握できていないのです。そもそも外国人労働者の流入が始まったのは日中友好の証として中国人留学制度が認められた時期に始まっています。それ以前は街中で外国人を見かけることなどまずなかったのです。しかもその際には生活の為の単純労働も許可されていました。当時は所謂バブル期にあたってました、中国人留学生たちは昼間は学校夜は単純労働と言う過酷な生活を強いられていました、結果留学生の多くは学校への通学を諦めざるを得ませんでしたが、それを資格外活動として検挙される事はまずなかったのです、日本政府自体の方針がその実はバブル期にはのどから手が出るほど単純労働力が欲しかったのです。

日本人は所謂3Kと言う職種を嫌い中国人留学生がその職種に就くことは歓迎していたのです、が、法的に単純労働は認められなかったので建前上留学生として滞在許可を与えていたに過ぎないのです。

もちろん一部の留学生の中には端から学校へ行く気のない人も居ましたが、それはごく一部に過ぎません。当時私は某大手運送会社の下請けで大型トラックの運転手をしておりその物流センターに働く荷役作業員はほぼ全員が中国人留学生でしたのでいっしょに汗を流すうちにかなり親しく話をするようになったのでその辺の事情が良くわかる環境に居たのです。
そうした中国人の多くは私のような3K職で働く日本人たちとは異なり高学歴のインテリ層でした、しかも日本のインテリ層とは違い学歴で人を見下したりするような事もなく自然日本人労働者から尊敬を集めるようになる中国人も多かったです。その後日系ペルー人に対しても単純労働市場が開放されました。

そうした中国人やペルー人はあてもなく来日していたわけではありません。企業が人材派遣会社と言うもっともらしい名前の付いた「手配師」に依頼してそれぞれの母国で募集し雇用契約をしビザをとり来日の手配をし企業に斡旋し来日後の諸手続き(外国人登録等)をしていたのです。滞在期間は半年間。半年たつと一旦帰国し同様に再来日する、その費用も含めた雇用契約です。

従ってほとんどの人たちは日本人であれば必要のない「外国人登録証」と言う身分証明書を持っていました。そして韓国台湾フィリピンパキスタン等にどんどん単純労働市場を開放し「手配師」どもの触手がこうした国々に伸ばされていったのです。

その頃になると私は所属するカトリック教会でそうした外国人労働者の支援活動をするようになっていました。その関係で入管事務所へはちょくちょく行っていました。その窓口で順番を待っているとよく大声で入管職員と外国人が口論していたものです。外国人に限りません代行で来ている私を含めた日本人もそうでした。

日本人の場合の多くは外国人と結婚した人達でその伴侶の滞在資格の延長等の手続きです、その手続きたるやまことに煩雑で当人にしてみれば大変な時間の浪費なのです。

入管の言い分は「最近偽装結婚が増えていて仕方がないのだ」の一点張りです。
そもそも、偽装結婚などと言う犯罪はないのです、法は「本人同士の合意のみにより結婚は成立する」となっているのです。結婚の目的が財産目当てだろうが滞在資格目当てだろうがそんな事を役人風情にいちいち詮索されるいわれはありません、ちゃんと同居しているか?仕事はどうしてるだの収入はどのくらいあるだのどうのとそんな事まで詮索してくるのです。

しかも伴侶である外国人の国籍により明らかに扱いが異なるのです、欧米系外国人の場合は1,2年ですんなりと永住ビザを取ることが出来るのですがそれ以外特に東南アジア系の国籍の場合は5年も6年も要します、口論となって当然です。

日本人同士の結婚であれば同居しようが別居しようが収入があろうがなかろうが財産目当てだろうが愛し合っていようがいまいが子供が出来ようが出来まいがいやさ内縁関係であろうがその権利は認められており役所には関係ないだろう、ということはすぐおわかりと思います。
入管とはそれほど人のプライベートにづかづかと入り込む横柄な役所なのです。

さてそうした窓口の混雑をよそにパスポートの大きな束を抱えた人間がカウンターの中に入りなにやらやっております。おわかりでしょうが例の「手配師」が自分の買った外国人労働者の手続きに来ているのです。つまりその労働者たちのパスポートは手配師の手元で管理されているのです。

それで、たまたま外出している時に警官の職質に会ってしまい、言葉も話せませんしパスポートも登録証も手配師が持っています、そのまま拘禁と言う事件が多発しておりました。その場合には手配師にとっては外国人は大事な商品ですからすぐさま引取りに来ますがその間は面会の時は手錠をされた上に腰紐に繋がれ警官に付き添われて面会に現れます。
警察には通訳などと言う上等なものはいません、そこで私たちの教会に来ている言葉のわかる同国人に一緒に来てもらい手配師に連絡するわけです。

ここで私が「手配師」だとか「商品」だとかの言葉を使っているのでわざと日本のそうした行政に悪印象を持たせるためだろう、と思われる方もいらっしゃるかもしれませんので長くなりますが当時私が実体験した事件と名古屋で起きた身も凍るような事件を紹介します。

当時私は在日外国人支援と言う活動方針上でその教会の神父さんと対立していました。その神父さんはあくまで合法的に滞在する外国人の支援に限るべき、と言う意見で私は支援を必要としているのは不法滞在者こそである、と主張していたのです。
カトリック教会がなぜこのような問題に直面していたかと言うと在日外国人の多くがカトリック教徒であり教会へ来ていたからです。合法的に滞在する人たちは厳しい労働環境の中でもたくましく生き抜いていました。問題は「不法滞在となってしまった」人たちなのです。「なってしまった」と表現しましたがその事情については後記します。

もちろん、ミサへ来る人たちが合法であるとか違法であるとか詮索するような事はありませんが、教会として積極的に支援する上で不法滞在者に出来る事は帰国の説得と支援に限られる、だがその個々の事情を考えると帰国させる事は人道的に出来ない、かといって違法行為を支援するわけには行かない、と言うのが神父さんの主張でした。これには事情がありました。山口県の教会の神父さんだったと思いますが、そうした「不法滞在になってしまった外国人」の為にあちこち足をすり減らして受け入れてくれる職場を斡旋していたのですが、その行為が不法滞在の助長と言う事で逮捕された事件があったのです。

その後裁判となったところまでは知ってますが結果についてはわかりません。とにかくこうした事情もありまた元々カトリック教会と言うのは体制に従順であることでその布教を勧めてきましたので神父さんが保守的になる事もうなづけます。

そんなある日、一人の南米系の顔立ちの40代くらいの外国人が教会を訪ねてきました。
言葉が全くわからず、辛うじてお互い片言の英語で、ペルー人である事、お金がない事位はわかりましたが後は全くわかりません、その様子から困り果てて教会を頼ってきたのであろう事は察する事が出来ましたが、教会にはその頃日本語のわかるペルー人が居ませんでした(ペルーからの労働者はほとんどの人が日本語も英語も話せなかった)のでペルー人のシスターのいる修道院を電話で探し当て翌日に私とそのペルー人と二人でその修道院を尋ねることとして、その人が住んでいるところの名刺を持っていたのでそれを預かり私が車で迎えに行く事になりました。

名刺によれば製材所のような所に住み込んでいるようです。そこでその製材所を尋ねた時が最初の驚きです。その人はあらかじめ製材所内の地図を書いて自分の居る建物は教えてくれてましたのですぐにわかりました。その製材所は見たところ個人経営のようではありますが、わりかし大きな製材所のようです。りっぱな構えの住宅がありおそらくそこの社長さんの自宅なのでしょう。さて地図に従ってそのペルー人の居る建物を探しますが地図の位置にあるのはプレハブ建ての資材置き場のようなところです。

そこで仕事をしているのだろうと思い尋ねました。ところがそこは彼の仕事場ではなく住居だったのです。プレハブ小屋の片隅にダンボールで衝立をしそこに布団を敷いて寝起きしているのです。そうちょうど駅で見かけるホームレスの人たちがしているような感じです。

私は外国人労働者を安くこき使いこんなところで寝泊りさせている悪徳業者ではないかと思い、よっぽど母屋を訪ねどういうことなのか問いただそうかと思いましたがとにかく事情が全くわかりません。もしかしたら行き倒れ寸前の彼を見かねて資材置き場を貸してくれているのかも知れず、とにかく事情を知るために私は彼を車に乗せ修道院へ向かいました。

そこでわかった事ですが、彼は自国で何とか職を持ち、窮乏に陥る事もなくごく平凡な一家の暮らしを支えていたそうです。ところが娘さんが心臓に大きな障害を抱えている事がわかり放置しておくと余命いくばくもない状態である事がわかりました。
しかしその治療費は自国の平均的収入ではとても賄えない額なんだそうです。そこで意を決して外国に出稼ぎに出ることにしたわけですね、ペルーからだとアメリカへの出稼ぎが普通ですが、不法滞在をしながら運が良ければ滞在権が獲得できる、と言う状況です。

ちょうどその頃日系のペルー人は日本で働けるという事を知りました。つてを尋ねて日本の人材派遣会社に話を聞きに行ったところ、日系人であれば合法的に働く事が出来る、ただし半年間だけである、でも一旦帰国した上で再入国して働き続ける事ができる、と言う話だったそうです。しかも渡航費用や滞在費用等は会社が持つその上でいくらいくらの給与がもらえる、と言うことです。

私も当時はそのように理解していました、だからこれからは外国からの労働者はどんどん増える一方だろうな、と思いそうした支援活動に協力する事にしていたわけです。

そこで彼は合法的に働けるのであれば現在の職を投げ打ってでも出稼ぎし娘さんの治療費も賄えるし、何年かかるかはわからないがお金をためていずれは母国で商売を始めたらよいだろう、との計画をたて来日したわけです。

彼が本当に日系人であるか否かはもちろんわかりません、ところがきちんと日系人として滞在許可をもちパスポートもありましたので不法滞在者ではないこともわかりました。
そうして製材所内にある社宅に住み込み働き始めたわけですが、3ヶ月程働いたら突然製材所をやめるように言われたそうです。人材派遣会社とも連絡が取れなくなったそうです。とにかく頼み込んで現在のプレハブを借りているという事でした。そこも近いうちに出て行かなくてはならない、と言う話なのです。

支援活動とはいっても私にも本業があります、できる事は限られています。本来であればその製材所に詳しい事情を聞き派遣会社に責任を問う、と言う行動に出るべきでしょうがそこまでは私には出来ません、当時はインターネットと言うものありませんでしたから市の福祉課へ相談したり慈善団体へ問い合わせたりする以外には出来ることはありません。カトリック教会の東京総本部へも相談しましたがどうにもなりませんでした。

そこで私たちは帰国を勧める以外に手はありませんでした、このままでは不法滞在になってしまいますし、住むところもありません。幸い給与のほとんどは母国に送金してますが荷物があるわけでもなく帰国費用くらいは手元にあるとの話だったからです。

しかし彼は、それでは娘が死んでしまう、今帰っても母国での仕事は辞めてしまっているあたらしい仕事に就くのは困難だ、運良く仕事を見つけても今までの母国での収入は望めず生活さえ維持できないどちらにしてもやはり娘の治療費は賄えず娘が死んでしまう。として頑として帰国する事は出来ない、と主張します。

私は先述の昔出入りしていた某大手運送会社の東京本店では多勢のペルー人が働いている事を思い出し、滞在ビザも持っていることだし彼らに紹介したら何とかなるのではないか?と考えそこに彼を連れて行くことにしました。東京本店では夜中の2時から4時までの間暇になりその間に食事を取ったりしていることを知ってましたので夜中に彼を連れ出し食堂で働いているペルー人達が食事に来るのを待っていました。そこで日本語のわかるペルー人を見つけて事情を話し彼を紹介しました。

後は彼ら同士の話し合いとなりました、私は言葉がわからないので隣のテーブルでコーヒーを飲んでいたわけですがなにやらペルー人のリーダー格の人もやってきたようでしきりと色々話してました。一時間ほどたった頃話が終わったらしく最初に声をかけた日本語のわかるペルー人が「私たちのところでもどうする事も出来ません、私の会社へは入れません、残念です。でも貴方のしている事はすばらしいです、頑張ってください。私たちの仕事、牛と同じです」と言う話です。

それで私は仕方なく彼を車でプレハブの寝床まで送っていきました。

私の体験はこれだけです。後は想像に任せるしかありません、車で送る途中の彼の表情からは悲壮感は消えてました。同国人と話をした事でスッキリしただけかもしれませんが、なんらかの方策の目処がついたのかもしれません。私に対してしきりに「ありがとう」と言う言葉を何度も繰り返していました。以来彼が再び教会を訪れる事もなく私のほうでも気がかりではありましたが彼のプレハブ小屋を訪ねることもありませんでした。

おそらく、その人材派遣会社は普通の、給与からのピンはねで利益を得ている人材派遣会社、ではなく一人いくらの勘定で職場を斡旋していたのでしょう。彼が部屋を追い出されプレハブに移るとすぐにあたらしい日本人がその部屋に入った、と言う話だったので最初から3ヶ月と言う約束でその派遣会社と製材所の話はついていたのでしょう。

製材所が彼をプレハブに住まわせていたという事実から察して派遣会社は実態のないダミーで連絡がとれず、かといってほっぽり出すわけにも行かず、プレハブを使わせていたのではないでしょうか?
渡航費用と滞在費を合わせていくら、での勘定になりますので給与はとても安かったはずです。しかも帰国費用を支払わないのは最初からドロンする予定の行動でしょう。

実態はどうあったにせよ、彼の話が本当であったのか嘘であったのかももちろん知るすべもありません。が、私は彼が帰国したとは全く考えてません。紹介した在日ペルー人社会の中で職場の斡旋がありしかも不法滞在でも使ってくれる職場と住居を見つけたに違いないと思っています。当然彼はそのまま「不法滞在になってしまい」懸命に娘さんの為に働き母国へ送金したのではないかと思います。娘さんの手術が無事に成功している事を願うのみです。

以上が私の体験談で、ほとんど想像の世界ですが外国人労働者とその受け入れ体勢の実態について雰囲気はつかめると思います。つまりバブル期に日本は積極的に外国からの労働者を受け入れていたのだ、と言うのは事実です。決して外国人が祖国で食いっぱぐれて日本の甘い汁を吸おうとして法の目を盗んで入国してきていたわけではありません。
ある時期から急に外国人が目立つようになった事は皆さんも同様の感覚をお持ちだと思います。

ところでその間入管法の改正でもあったのでしょうか?否です。
つまり、入管法を日本の事情で恣意的に運用した結果なのです。バブルの崩壊により急に外国人労働者が邪魔になってきました。石原慎太郎のような攘夷論者は外国人がうろちょろしているのを歯軋りしている思いであったでしょうが、バブル崩壊で外国人排斥運動が力をつけてきました。慎太郎が都知事となりむちゃくちゃな発言を繰り返します。
これ幸いとばかりに外国人犯罪キャンペーンが繰り広げられます。入管、警察もそれに応じて運用方針の転換が容易になりました。

合法的に日本で働けると聞いて来た外国人にとってはたまったものではありません。

さてここでもう一つラパーン事件と言う名古屋の事件をご紹介します。この事件は私の体験とは異なり共同通信の記者らが身の危険をも顧みず実態を調査し「ラパーン事件の告発」として出版されております。私もこの本でこの事件を知るようになりました。
ただ現在事情によりこの本が手元になく記憶のみによる紹介になりますので間違いや詳細についての記憶違いもあるかと思いますので興味のある方はこの本を読んでください。私もペルー人の件でもしこうした裏社会に深入りしていたらその身が危なかったのかもしれません。

日本ではほとんどニュースにはなりませんでした、せいぜい地方紙で「フィリピンパブで手入れがあり、不法滞在でフィリピン人女性数名が強制送還された」位の記事でしょう。一方彼女らが帰国したフィリピンでは彼女らの告発により大騒ぎになった事件です。

皆さんご存知だと思いますが、フィリピンパブであるとか韓国クラブとかそう言うお店が日本にはたくさんありました。そこで働く彼女らはどういう資格できているのかと言うといわゆる「ダンスとか歌とかの興行」と言う資格で、この資格には半年間の滞在期限があります。
つまりダンサーであるとかシンガーとして来日しているのです。しかもちゃんと資格試験がフィリピンで行われるのだそうです。その為にダンサーはダンス教室に通い練習をしてこの資格を取るのだそうです、それがフィリピン政府や日本大使館の公的な資格なのかそれとも手配師による建前上の資格なのかは知りません。ただ、歌手よりはダンサーの資格のほうが簡単だそうでほとんどの人はダンサーの資格で来日しているそうです。これは私が知っているフィリピンパブで働いていた女性から実際に聞いた話です。

しかしこの資格は厳密に法を施行すると客のテーブルに彼女たちが座っていると資格外活動として不法滞在で検挙されます。実際には当たり前のように座っていますし彼女たちが拘束される事はほとんどありません。
建前上ダンスショーも催されますが、行った事のある人ならご存知の通りお遊戯に毛の生えたようなものです。

が、警察に目をつけられた場合、多くの場合は売春の容疑がかかった場合ですが、その時は売春の事実があろうがなかろうが警察の手入れが入り資格外活動として検挙されます。これも私が知っているフィリピンパブで働いていた女性から実際に聞いた話ですが、フィリピン人もその事は良く知っているそうです。しかもほとんどの場合がだまされて来日し強制売春を強いられている、と言う話でした。ですからフィリピン人のほうもつてのある信用の置ける?手配師を選んでいるそうです。

さてラパーンと言うのは名古屋にあるそう言うフィリピンパブの一つです。この事件が発覚したのは確か「アルスの会」と言う会だったと記憶してますがそこのメンバーがある飲み屋さんで飲んでいた時一枚の紙切れが手渡されそこに「SOS」が発信されていた。と言うのがきっかけだったと思います。アルスの会と言うのがどういう活動をしている会なのかは失念しましたが多分在日外国人の支援活動をしていた市民グループのひとつだったと思います。どういういきさつでその会のメンバーに「SOS」が届いたのかその辺のいきさつは忘れました。

そこでそのメンバーが半信半疑でその店に客として潜入捜査を始めたわけです。確かに様子があやしいと言う事で知り合いの共同通信の記者と相談しながら捜査を進めていきました。警察に知らせてもその実態も調べないまま有無を言わさず強制送還ですので、自分たちで捜査をし始めたのです。彼らは潜入捜査中に店側に勘ずかれ大怪我を負うほどの暴力にあいましたが、それでも諦めずほぼ全容を明らかにしました。

これは明らかになった後だから言えることなのかもしれませんが、すぐに警察に知らせてすぐにでも強制送還させたほうが良かったのではないかとも思いますし、いやそれでは彼女たちの名誉も人間としての尊厳も破壊されたまま裏社会の闇の中に葬られる事になる、やはり捜査をして良かったのだ、とも思います。

彼女たちが来日したのはまさに****さんの言うところの「自由意志」に他なりません。ダンサーとして練習所に通い資格を得て夢を見ながら「自由意志」で来日しました。
で待っていたものは強制売春に他なりません、まさしく「性奴隷」そのものです。
来日するとまず店員によって強姦されます、客を取るまで強姦陵辱暴力が続きます。逃げる事も不可能です、窓と言う窓には格子がはめられ部屋はちゃんとした大工が施工した牢屋になっています。そう時代劇とかに良く出てくる、あの牢屋です。施工する大工も大工だと思いますが信じられない事です。

店では普通のフィリピンパブのように装い常に彼女らは店員から監視され愛想のよい対応を強制されてます、少しでも暗い影の印象を客に与えるような仕草があれば牢屋での強姦陵辱暴行が待っています。そして店側から客の安全(これは店にとって安全な客、つまり売春を持ちかけても警察沙汰になるような事はないと言う安全の事です、もし客と同衾中に彼女らからの訴えがあったとしてもこの客なら大丈夫だと言う安全です)が判断されサインが彼女らに送られます。

潜入捜査をしていたメンバーが暴行を受けたのもその店側の「その安全」に対する警戒網にひっかかってしまったからに他なりません。

その牢屋から店へ車で往復し客を取らされ牢屋に戻ると言う生活の繰り返しです。当然半年の滞在期間など店側の眼中にはありません。牢屋で寝ないで住む場合もあります、それは店長のお気に入りになった場合です。その時は牢屋から連れ出され店長のベッドで寝る事が出来ますが、店長の陵辱を避ける事は出来ません。
他にもフィリピン人女性殺害事件のからみ等が明らかにされています。

ここまで書いてきましたが、やはり私の筆力ではその邪悪性や悲惨さを表現できません、実を言えば私はこの本を一度しか読んでいないのです。その衝撃の大きさに気がめいってしまい2度読む気にはなれないのです。覚えているだろうと思い書き始めましたがやはり詳細な部分は記憶に残っていません。人間不愉快な事は忘れる能力がありその事で精神の安定を保つ、と言う説は本当かもしれません、その受けた衝撃の大きさだけは覚えているのですがやはりこの事件は「ラパーン事件の告発」を読んでいただくほか仕方がないかもしれません。

従軍慰安婦の問題や中国人朝鮮人強制連行の問題で活動されている皆さんにはピンと来るものがあるかと思います。そうなのですその体質や体制が当時のままこの日本社会の中に残っているのです。政府の関与不関与企業の関与不関与が手配師なるものの存在で紛らわされている仕組みは当時も今も全く代わりがないのです。

これは人ごとではないですよ。人材派遣会社で働く諸君十分に注意をする事です、不当な労働を強制されたとしても強制する企業は手配師と言う緩衝によって労働基準法から守られる仕組みです。私が昔出入りしていた大手運送会社はその後労働基準法違反で有罪判決を受けましたので、どこの運送会社であるかは察しがつく事と思います。そこの労働環境の劣悪さは「うわさ」と言う媒体により知っている人も多いと思います。

そこの社員でさえ労働法に反した労働を強制されていたのですからその下請けの弱い立場にある運転手の過酷さを想像していただきたい、私など34時間不眠のまま仕事を続けた事もあります。ましてや私よりももっと弱い立場にある外国人労働者の「私たちの仕事は牛と同じです」と言う言葉を心にとどめておく事です。

こうしたラパーンのような事件は特殊な例なのかもしれません、いや私が直接フィリピン人女性から聞いた「フィリピン人もその事は良く知っている。しかもほとんどの場合がだまされて来日し強制売春を強いられている、と言う話」から察すると氷山の一角かもしれません。それは私にもわかりません。どちらにせよ海外諸国に対して日本という国の恥をさらしている事になります。

また少なくともペルー人のような例は日常茶飯事でしょう、その労働の劣悪さから逃げ出しお金よりも人間性の保全される職場に移る人も多いでしょう、そうした場合にはパスポートも登録証も手配師の下においたままでしょう。私はそうした不法滞在者を使っている建築業の親方にもお会いした事があります。人間味のあふれる方で給与も条件も日本人労働者と差別することなく不法滞在者たちと寝食を共にし不法滞在者達からは親方親方といって慕われています。

政府の身勝手な入管法の運用に翻弄され不法滞在という環境に貶められ警察やいやさ我々支援団体をも避け(支援団体にできる事は帰国の支援だけである事を知っているからです)隠れるようにして互いの身を寄せ合いながら生きているのです。

一旦決意をして合法的に働けるという言葉を信じて今までの母国での生活基盤も捨て一大決心をして国元を離れ言葉もわからない外国での暮らしを合法的に出来ると聞いてきた人たちです。国に帰ってももはや彼らの住む場所はありません。

戦前戦後にかけて海外に移住して言った日本人移民団のことを考えてみてください。確かに執拗な差別に遭い過酷な労働を強いられ時には強制収容所に入れられ満州に夢を託した移民団にいたってはその母国の横暴により悲惨な引き上げ体験をし帰国後の苦労も並大抵ではなかった事を思い出すべきです。それでも各地の日本人移民団は成功をとげペルーの大統領になった人も居ます(もっともこの大統領の行状はほめられたものではないかもしれませんが)、最終的には日本人をその社会の中に受け入れてくれた諸外国の事を考えるべきです。

またその日本が慎太郎のような外国人差別主義者を都知事にそえておく事がどんなに諸外国に対して恥ずかしい事であるのかもっと心にとどめておくべきです。

そして北朝鮮へも多勢の移民団が「自由意志」で渡航しております。北朝鮮からの情報はほとんど遮断されているため彼らが現在どのような暮らしをしているのか心配です。帰国した拉致被害者の北朝鮮での暮らしぶりは報道を信じるのであればそれなりに安定した職業につき家族をもちまずまずの生活ぶりだったようです。
そうなると不思議なのは何のために北朝鮮は日本人を拉致したのであろうか?ということです。もしかしたら日本に帰国させても問題にならないだろう、と言う人たちを「生存している」拉致被害者と言う事で帰国に応じたとも考えられます。

拉致被害者を支援する会の気持ちもわかりますが独裁国家に対しあまりに敵性意識をあらわにしては同胞日本人の待遇が心配です。また数百人は居るのではないかと推測される北朝鮮に残る拉致被害者がどのように扱われるようになるか考えるべきです。
旧日本軍関東軍731部隊は追い詰められ撤退の際に戦争犯罪の証拠となるマルタとよばれた拉致被害者を女性やあどけない子供も含め証拠隠滅の為全員虐殺したのです。
数百人と想定される拉致被害者や何万人にも達する北朝鮮移民団を人質に取られている状況にあることも認識すべきだとおもいます。

ふーむ、それにしても****氏はあまりに実態を知らなすぎる。確か****氏は****氏に対してある事柄に対して学生時代にはすでにそのような結論には至っており社会経験のなかでさらに充実された事柄である、よって****氏の言説は世間知らずのあまちゃんである。等と自分の思想を社会的体験の裏付けを持って豪語した人物であるが、それにしてはあまりにも世間知らずである。

私の話に証拠があるのかないのか、証明できるか、などといわれてもできない事は先述したとおりです、とにかくラパーン事件の告発を読んでみてください、それでも左翼の陰謀だと言う妄想から脱しきれないのであれば、貴方も経験を積んだ社会人でしょう?そうしたうわさのあるフィリピンパブの一つや二つはご存知でしょう?ご自分の身を挺して潜入捜査をしてみたらハッキリするのではないですか?