30874 返信 Re:明日の隣人 外国人労働者 URL 水原文人 2004/11/17 17:52
>また、翻訳の過程で情報が落ちてしまったので仕方ないのですが、日本語における博愛という単語は「すべて
>の人を平等に愛すること」といった意味ですが、民主主義における博愛とは同胞愛のことであるという意味を知> らない人が多いです。

それこそ誤解ではないでしょうか? 「博愛」はフランス革命時の世界人権宣言や、アメリカ合衆国の独立宣言などが歴史的な原点にあげられますが、そこで主張されているのは「あらゆる人間は平等である」です。

>宗教的的思想「博愛」を掲げてを外国人に対する平等を叫ぶのはよいのですが、民主主義的思想「博愛」を掲げて外国人に対する平等を叫んでるのを見ると失笑せざるをえません。

元から(民主主義が西洋政治思想史のなかでキリスト教倫理に代わるものとして出てきたことも含め)、仰せの「宗教的的思想『博愛』」の意味はあります。

仰せになっていることはフランスとアメリカが当初のモデルケースとなった「国民国家」的な意味でだと思いますが、この二つの国の場合特徴的なのが、国民国家成立の出発点となるNation(とりあえず「民族」と訳しますが)の定義が、あまり血統主義的なものではないということです。

なにしろアメリカ合衆国は(それ自体が今も本来の国是に対する矛盾を露呈し続けているとはいえ)「あらゆる人間は自由で平等」という理想を元に、その理想に共鳴するあらゆる人を受け入れることを理想として謳った国家ですし、フランスも「フランス人」という民族概念が「フランスに住んでフランス語を話しフランスで活躍すること」であるみたいな国です。そもそも言い出しっぺのナポレオン・ボナパルト自身、血統的にはフランス人ではなく、イタリア系のコルシカ貴族です。

翻訳の問題を出すのなら、このナポレオンを原点とする国民国家思想がまずヨーロッパ各地へ伝播したときから、それぞれの民族・国および時代状況でたぶんにテキトーに「翻訳」されて解釈されて来た歴史は無視できないのではないでしょうか?

> 日本人と平等な権利を主張するなら日本人になるべきです。

しかし一方で、日本国籍を持っている人でも「日本人」として扱われないケースが、あまりに多すぎやしませんか?

> 外国籍のまま日本人と平等の権利ほしいとは勝手すぎます。

少なくとも在日コリアンなど、現に日本社会の一部になっている法律上は外国人のケースでは、最大の問題は日本の法律がいまのところ二重国籍を認めていないことだと思いますが。

自民族のアイデンティティと結びついた国籍を放棄することを強要されなければ、日本国籍を取得する外国人は増えるでしょうし、いわゆる「在日外国人の地方参政権」問題などは一気に解決されますが。

確かに日本は、百数十年前までは鎖国をしていた、ほぼ単一民族国家でありました。ですが先述の「それぞれの民族・国および時代状況」であえて最後の項目を下線にした意味を強調するなら、時代状況は現代の日本ではまったく変わっております。

一方で19世紀ヨーロッパ起源の「国民国家」思想自体が現代の世界状況でどこまで有効なのかは、現在のヨーロッパの状況を見ても再検討の必要はあるでしょう。

結論から言ってしまえば「国民国家」、nation stateのnationを「民族」と狭義に訳すなら、それが成立しうる国は百数十年前の日本ぐらいしかありませんでした。ヨーロッパのほとんどの国は元から多民族国家でしたし。

一方でたとえばアラブというのはひとつの「民族」ですが、国家構成はそうはなっていませんね。しかし一方でアラブ人という民族意識自体が、西洋の進出への対抗上生まれたものでもあります。

ひとつの考え方は、理念よりも極端にプラグマティックになってみることです。その場合、二重国籍を認めて「外国人」も日本人にしてしまうことは、たとえば安全保障上かなり現実的な判断だと思いますよ。

北朝鮮程度の疲弊した国に対してでも、武力などだけに頼って日本の安全を保障することなどほぼ不可能なことは、現実を見れば分かります。皮肉な話といえばその通りですが、人類が核兵器という究極の武力を手にした時点で、実は武力によって自らの安全を守るという発想自体が机上の空論化してますから。命中精度が極めて低いといわれるテポドン・ミサイルですら、本気で打たれたら自衛隊がどんなにがんばっても、日米同盟がどんなに固い結束でも、日本国民の安全を保証することはできませんから。

北朝鮮相手の場合はさすがに問題があり過ぎですが、たとえば中華人民共和国相手なら、経済的・政治的つながりを深めれば深めるほど、そして中国人が日本社会にとけ込めばとけ込むほど、戦争などできなくなります。

平均的日本人よりもはるかに島国根性たくましくなってしまった中華民族の一部(と、どうも人民解放軍)にこの論理に気づかせるのは、日本社会の今ではごく一部でしかないゼノフォビアな人々を説得するよりも大変そうですが・・・