30930 返信 こっちでも恥ずかしい水原文人 Re:明日の隣人 外国人労働者 URL tarararara 2004/11/19 01:58
水原文人はこっちでも恥ずかしいことをわめいているようである。以下、追及する。


> > 民主主義について
> >
> > たしかに訳によっては兄弟愛にもなりますね。
>
> …ではなくて、ラテン語系の言語で「兄弟」の派生語として、フランス語なら「fraternite」です。つまり、原義が「兄弟愛」だと申しております。
>
> > 民族愛・同胞愛とも訳せます。
>
> いずれにせよ、西洋概念に漢字を当てはめた翻訳熟語であって、元々の日本語(やまとことば)にはありません。
>
> そしで重要なのは、明治時代の日本人が「博愛」と、すべからくあらゆるものを意味する「博」を用いてこの語を訳したことです。

まず、この「すべからく」は誤用である。知らないくせに知ったかぶりで言葉を使うのはやめること。意味は国語辞典で引くように。また、「フラタニテ」を「博愛」として訳すのは適切ではない。この点が重要だが、水原文人はここでもとんでもない勘違いをしている。


> つまりあなたの
>
> > 民主主義における博愛とは同胞愛のことであるという意味を知らない人が多いです。
>
> という当初の主張自体が
>
> その1)民主主義的理想としての「博愛」の経緯を知らなかったただの知ったかぶりの間違い
>
> であることを指摘したのですが、その点はどうなんですか? しかもあなたの「知ったかぶり」は

「すべての人を愛する」という意味での「博愛」は民主主義には関係ない。明治期の訳語は誤訳である。知ったかぶりは水原文人の側である。


> その2)日本においてこの概念が翻訳された経緯を、受け止めた上で批評的立場をとるなりなんなりするのでもなくただ無視した、自国・自民族の歴史と文化的伝統の無視
>
> …でもあります。
>
> だというのに「失笑せざるをえません」などと言うに至っては、単なる無知な傲岸さでしかありませんな。

翻訳自体が間違っているのだから、この批判もあたらない。またしても水原文人は失笑ものである。


> 復習:当時の(フランス革命にある種のモデルケースを求めた)民主主義という理想主義の考え方として、「博愛」と訳すのは妥当です。「人類皆兄弟」を前提とした「兄弟愛」ですから。

この認識が間違っている。当時のフランスにおける「フラタニテ」は、共和制の下に集う民衆の間の兄弟愛であり、「人類みな兄弟」などという意味ではない。例えば王党派や君主制支持者、外国の侵略者は、このフラタニテの対象には入らない。


> ですから、
>
> >宗教的的思想「博愛」を掲げてを外国人に対する平等を叫ぶのはよいのですが、民主主義的思想「博愛」を掲げて外国人に対する平等を叫んでるのを見ると失笑せざるをえません。
>
> 失笑されるのは、「保守」とも思えぬほど歴史的経緯を軽んじて勝手に自分のご都合主義を、あたかも歴史的背景があるかのようにねつ造して主張したあなたです。

失笑を買うのは水原文人である。笑わせるな。バカが。

> あなたが自分の誤りを認め、「失笑」と書いた不特定多数の相手に対し謝罪しなければ、「横に置く」ことはできません。それではただの無責任だからです。社会の成員が無責任であれば、民主主義は成立せず、それこそ「民主主義=多数決」、王権が愚民の多数派に付与されたのだと勘違いするナチズム的全体主義になってしまいますね。

議論の相手が無責任(この主張の当否はともかく)かどうかということと、民主主義の成立可能性の間には何の関係もない。相変わらずただの議論のすりかえである。王権が愚民の多数派に付与されるとファシズム?こいつは何をいっているのだろうか。ただのバカであろう。


> フィクションならば実例として出すのにはあまりにも不適当でしょう。なにが言いたいんですか? あなたもこんなシンプルな議論すらまともにできない、いわゆるネット・クソウヨの一員である方なんですか? やれやれ…

それなら水原文人は何だ?ネットバカか?(笑)


> やれやれ、まともな人間的知性など最初から水原文人にあるわけがないのである。

あとはあまりにもバカバカしいので省略。