| 31022 | 返信 | イラク、女性のためのシェルター | URL | にゃにゃにゃにゃにゃ | 2004/11/21 16:29 | |
| [転送歓迎] 平和と民主主義をめざす全国交歓会(全交)・森 http://www.zenko-peace.com/ ラービタトゥン(全交イラク占領監視センター情報発信行動プロジェクト)訳 (以下日本語訳) 家族内暴力の復活から女性を守る サブリナ・タバーナイズ 2004年10月14日 ニューヨーク・タイムズ バグダッド、イラク バグダッドにある虐待された女性のための最初のシェルターの中で、打ち砕かれた 人生の実例を見れば、シェルターの創設者であるヤナール・モハンメドの眼前にまさ にどれほど多くの仕事があるのかが分かる。 スーザンは、彼女が十代の時にレイプされたことを知ってから新婚の夫が彼女を殴 打し始めた。夫は生まれたばかりの赤ん坊を授乳のために彼女の胸のところで抱え 持ったが、それは彼女が赤ん坊にさわることを許されなかったからである。彼女は今 はその子と一緒にシェルターで暮らしている。 16歳のラナは、長年父親から虐待を受け、父親が彼女の姉妹をひどく殴ったため に死んだ後すぐに家から逃げ出した。 イラク人でカナダの建築家であり人権活動家に転じたモハメドさんは、夏の間にバ グダッドにシェルターを開設し、北部のキルクークにもう一カ所開設した。2つの シェルターで、10人の女性の避難場所を提供している。シェルターはイラクで最初 のもので(1991年以来サダム・フセインの支配から自由になっていた北部イラク のクルド人支配地域を含まない)、虐待の犠牲者のための安全な場所を提供してき た。 女性たちは書類もパスポートも持たずにやって来る。彼女たちは安全のために名前 を隠しさえする。彼女たちは自らが被った虐待そのものの責任を問われ、家族に不名 誉をもたらしたと非難される。イスラム教の懲罰的で厳しい伝統の中で、親族が見つ ければ、彼女たちは殺されるかも知れない。 アメリカが侵略してイラクの国家が事実上崩壊して以来、イスラム勢力の戦闘性が 高まっている。強硬派のイスラム主義者はバグダッドのすぐ北と西の多数の都市を支 配している。酒屋が爆破され、公共の場で頭を覆う女性が増えている。 それと同時に、女性の団体が急速に増加している。貧困女性に医療を提供している イラキ・アル・アマルのハナー・エドワール事務局長は、戦争前のわずか20、30 の団体と比べると、現在は200、300の女性団体がイラク全土に存在すると推計 している。 モハンメドさんの団体のイラク女性自由協会はその中の一つである。シェルターに 加えて、彼女は新聞を発行し、バグダッド中心部の小さな事務所からロビー活動を組 織し、女性への法律支援を提供する弁護士を雇っている。 彼女が虐待される女性の権利擁護者になろうという決意は、彼女の過去から生まれ たものである。彼女の家族は、彼女の祖母を10代の時に40歳年上の聖職者と無理 矢理に結婚させた。彼女は逃げ出したが数年後に戻り、結局夫のために5人の子ども を産んだ。 「無理矢理に結婚させられて、自分が忌み嫌う男の子どもを5人持つと言うことを 想像してみて下さい。」と43歳のモハンメドさんは、先日、ジーンズ、厚底のサン ダル、赤のTシャツという身なりで語った。「そんなことは再び起こり得ないはずで す。でも今、町中を、政治を見たら、現実には起こっているのです。」 多くの点でイラクの女性は今日よりも半世紀前の方が自由であった。女性団体は民 法の改正を通過させて、男性の多重婚をより困難にし、女性の相続権に適用される規 則を改善させた。外国で教育を受ける女性もいたし、女性は裁判官や政府の役職に任 命された。 しかし女性は1980年代に獲得物を失い始め、その時期に長年の戦争が経済資源 を破壊し、イラクを貧困に陥れ、女性の独立を蝕んでいった。イラクとアラブの隣国 の宗教指導者との融和をはかって、フセイン氏は保守的な宗教支配により厳密に忠実 であるように強制した。 バグダッドのシェルターはモハンメドさんが貸している2階建ての家屋で、30代 の女性が管理している。場所は秘密である。武装警備員がいつも勤務している。少数 の女性が2つのベッドルームとリビングルームで暮らしている。 16歳のラナは、保守的な南部の都市の出身である。彼女は4年生が終わると学校 をやめさせられた。彼女は家を出ることも、テレビを見ることも許されなかった。彼 女の話では、彼女の姉妹が死んで彼女が逃げ出したら、アメリカ軍の女性が彼女を 救ってくれ、一時的に基地にいることを許してくれた。 彼女の家族が基地のイラク人通訳を通じて彼女を捜し出し、ある日彼女を連れ戻す ために姿をあらわした。家族は彼女をぶたないと書いた誓約書に署名したが、彼女に よると効果はなかった。ラナの話では、親族が彼女は精神病だからだと信じて、逃げ 出すのを治療するために彼女の頭に熱い石炭をのせた。 彼女は再び逃げ出して基地に戻り、開設されて以来シェルターにいる。彼女はモハ ンメドさんの事務所のソファの日の当たる一角に座って話をしていたが、体にぴった りした黄緑色のTシャツとテニスシューズと革のリストバンドを身につけていた。彼 女の話では、何年も経って初めて、何よりも学校に復学したいと思っている。 虐待を受けた女性のためのシェルターは大部分のイラク人にとっては全く初めての ものである。女性に対する暴力はおおやけには論議されない。イラクの法律制度に よってさえも暗黙の了解が与えられていて、家族の名誉を犯したと考える女性を男性 の親族が殺害するといういわゆる名誉のための殺人事件では刑罰を大幅に軽減してい るのである。現在はスウェーデンに在住しているイラク人のレガ・ラウフは、北部イ ラクでの名誉のための殺人に関する本を書き、1998年のスライマニアおける40 0の事例を詳しく述べている。エドワールさんは言った。「女性に対する暴力という 現象について話をするとすれば、話題にすることがとても新しいことです。」「それ は非常に古くからの問題なのですが、人々はこの問題について討議されるのを聞くの には慣れていないのです。」 モハンメドさんは大きく声を上げている。彼女は夫と離れて1993年以来の海外 生活を終えて昨年イラクに戻った。彼女はカナダの家を売り払い、カナダにいる夫の 元に17歳の息子を残し、自分の団体を始めるために家の代金から得た収入を使っ た。 彼女は多くの状況で女性の最後の頼みの綱である。彼女は、銀行で働いていて上司 が金を盗んだと告訴してきたために春に投獄された47人のグループの支援を行っ た。裁判の審理で抗弁するのに何日も待ったので、彼女は我慢できなくなって部屋の 中に一緒にいたイラク人書記官とアメリカ軍士官に叫び声を上げ始めた。 「マナーは悪かったですが。」と彼女はほほえみながら言った。「でも、彼らは私 たちの言うことに耳を傾けました。」 3週間後、47人の女性全員が釈放され、銀行の上司が逮捕された。 モハンメドさんはeメールと電話で脅迫を受けている。彼女の電話番号もeメール アドレスもどちらも女性が虐待について彼女に連絡できるように、彼女の機関紙上に 公表されている。ある人物は彼女を殺すと脅迫し、別の人物は彼女を爆弾で吹っ飛ば すと言った。 「その男はとても具体的な話をしました。」と彼女は言った。彼女は冷静な様子 だったが、銀行労働者の裁判審理にはただ安全のために防弾チョッキを着て行ったと 言った。 殺される危険が最も大きいのは、家族の名誉を汚したと非難する家族がいる女性た ちである。彼女たちは部族全体によって探し出される。バグダッドのシェルターには そのような女性が3人いる。 殺害と虐待は階級や教育程度の境界線を越えて広がっている。 モハンメドさんの新聞の「イコーリティー[平等]」は最近一人の女性の話を掲載 したが、彼女は自分が結婚したい男性と2人だけで部族長を呼びに南部の都市に行っ たために、ニュー・バグダッドと呼ばれる地区で木に縛り付けられて銃撃され殴打さ れて死んだ。彼女は、その男性が弁護士である自分の父親を説得して彼女が選んだ夫 を受け入れるようにと望んでいた。ヤナールは言った。「私はイラク人を私の祖母の 時代に戻したくないのです。」「食い止めるかどうかは私たちにかかっているので す。」 モナ・マーマウドがこの記事の報告に貢献した 訂正:2004年10月15日(金) 昨日の虐待を受けた女性を守るイラクのシェルターに関する記事は、虐待の被害者 が家族に不名誉をもたらしたと信じる親族からしばしば受ける女性の死の危険につい て誤った記述をしました。アラブ世界の中でそのような復古的な行為が行われている 場所もありますが、それはイスラム教の伝統ではなく、大多数のイスラム学者からは 受け入れられていません。 |
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