| 31077 | 返信 | Re:「精神障害」をめぐる議論 | URL | ユーリのパパ | 2004/11/23 16:20 | |
| 猫まんまさんへ > という訳で、「精神障害」についての議論であるはずなのに全然「精神障害」そのものはおいてきぼりではありませんか。なぜ「精神障害」の言葉におのおのが向かい合おうとはしないのでしょうか? この議論においては、「精神障害」の定義は本質的な重要性を持たないのです。簡単に説明してみましょう。 今、Wという語があり、これは差別語ではないとします。ある人がこの語を使って、Pという人に次のような発言をしたとしましょう。 「PがWみたいである(Wに近い、Wに似ている、W予備軍である、等)ことに対して、憐憫を禁じ得ない」・・・S この文Sのポイントは、(1)Pを貶めるために「憐憫を禁じ得ない」という表現を使っている(2)貶めるPをWに比喩している−ことです。 これにより、話し手はPを侮蔑すると同時に、Wに負の価値を付与し、Wの指示対象も侮蔑しているのです。そしてそれらの人々が社会的弱者とみなされる場合は、彼らを差別していることになります。ここではWの意味内容は問題となりません。 具体例を挙げてみましょう。 「Pの顔がハンセン病みたいであることに対して、憐憫を禁じ得ない」 「Pが言語障害みたいな話し方をすることに対して、憐憫を禁じ得ない」 「Pが朝鮮人みたいな奴であることに対して、憐憫を禁じ得ない」 これらの例では、「ハンセン病」などの語は差別語ではありません。しかし話し手は、Pを侮蔑することにより、ハンセン病(患者)、言語障害(のある人)、朝鮮人も侮蔑し、差別しているわけです。 水原文人氏の「限りなく精神障害予備軍に近づいておいでなのに対して、憐憫を禁じ得ませんな」(S1)という発言が、相手を侮蔑すると同時に精神障害(者)も侮蔑し、差別していることは言うまでもないでしょう。 ここで、S1が差別発言か否かは、話し手に差別する意図があるかどうかとは関係ないことに注意しましょう。 たとえば「あなたに感謝します」という発言は、話し手に感謝の気持ちがなくても、相手に「感謝」する言語行為です。同様に、S1は話し手の意図とは関係なしに人を「侮蔑」「差別」する言語行為なのです。 これはオースティンに始まる「言語行為論」のイロハみたいな知識ですが、何も言語哲学を参照しなくても、中学生程度の日本語の読解力があればわかることです。 次に、S1が差別発言か否かは、話し手の思想とも関係ないことに注意しましょう。石原慎太郎のようなファシストの差別主義者が発言しても、石原を批判し差別に反対するリベラリストが発言しても、S1が差別発言であることに変わりはありません。 蛇足です。精神障害者を差別してもよいと考える人でない限り、精神障害者やその家族がいる場で、論敵に対しS1のような発言をする人はいないでしょう。あたりまえです。 それなら、そうした人々がいない場でもそうした発言をしてはいけないのです。ひとりごとならともかく、ここはネット掲示板という公の場です。これは人間として当然守るべき倫理です。 さらに蛇足。S1が差別発言ではないと強弁する人々は、精神障害者の家族の会にでも、差別発言でないかどうかたずねてみてはいかがでしょうか。「差別発言だ」と言われたら、「それは社会に広く存在する差別意識を内面化しているからだ」とか、反論にならない反論をするんでしょうかねえ・・・。 |
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