| 31079 | 返信 | Re:「精神障害」をめぐる議論 | URL | 猫まんま | 2004/11/23 18:42 | |
| 皆様、こんばんは。 水原さん; > > かろうじて俺が理解するところでは、 > > ○精神障害とはコミニュケーションの障害である > > それは精神障害の一部で、自己投影の無限ループなどはその典型ですが、すべてではありません。またコミュニケーションの障害は、それ以前にまず認識の障害があります。 > 認識の障害も含めてつもりだったのですが…むつかしいな。 勿論、意思の疎通とは他者との関係に留まる意味でもありません。 > > ○その障害のために本人や家族が苦しんでいる > > 本人が苦しんでいることを自覚していない場合も多いので、怖いです。taraなんとかさんなんて明らかにそうですし、僕が当初に精神障害の危険を指摘した方もまったく自覚はしていないでしょうし、「左翼はみんな親中国で」云々と思い込めるのは、すでに立派に認識の障害ですし、昨日だっかた僕が指摘した中国の記念館での拷問の展示にケチをつけている投稿の問題点にしても、なぜその明白なおかしさが理解できないのかと言えば、それは純粋な知的能力の問題ではなく、思い込みの激しさの問題でしょう。 > オリバー・サックスの「妻と帽子を間違えた男」に書かれているような失認症と言われる人達はどうなのでしょうね。自分の目が見えてると思っている盲目の人であるとか。 > > ○コミュニケーションの障害であるがゆえに、偏見を持たれやすい。 > > で、その偏見が差別になりやすい、ぐらいしか理解出来ません。 > > それは違うと思います。それどころか、これは精神障害とはやや別カテゴリーに属することに最近ではなっている「人格障害」と総称されるもののなかには、むしろコミュニケーション能力が異常に(なにが正常でなにが異常かはともかくとして)発達しているケースも多い。社会的に言えば「詐欺」にあたる行為を平然とできるケース(たとえばアメリカの報道史上最大のスキャンダルといわれるスティーヴン・グラス事件や、最近のNYタイムズのねつ造記事事件)も多く、そこで指摘されているのは本人に「それが悪いことだ」という認識がまったくなかったということです。 「人格障害」は精神障害以上に、時代や社会によって人物評価が異なるのではないのでしょうか? キリストやヒトラーチェ・ゲバラなどの人達も時と場合によっては「人格障害」とされてしまう可能性はありませんか? > > しかしそこで僕が先日引用したマルクーゼはもう少し高度なレベルでこの結びつきを再検証し、「必要な抑圧」と「過剰な抑圧」に分けたわけです。ジャック・ラカンによれば人間は本能が壊れた生物で、というよりもラカン尊師にご登場をあおぐまでもなく、人間が他の生物に比べて「本能」と呼べるものがほとんどないことは、これはもう日常生活から簡単に気づくことです。で、本能がないか極端に少ないのなら、人間の生存の大きな部分は’生まれてからの学習にかかっているわけで、その必要最低限の学習をするための抑圧はむしろ必要である、という考え方です。 「人間は本能が壊れた生物」と言えば、俺の理解するところでは岸田秀ですが(苦笑)、岸田を俺なりに解釈すれば、まず、ヒトには、(性)衝動(trieb)があり、遺伝的に規定された行動形式である本能(instinkt)は壊れている。つまり、衝動=欲望を川のようだとすると、水が勢いよく流れようとするのだが、本来の水路(本能)は決壊し水は流れる先を探している状態なのがヒトなのではないのかと。 竹田青嗣に言わせるとラカンと岸田秀はよく似てるそうですが、俺にはわかりませんです。 > まだまだ「トラウマ」の問題だとか、いろいろ考察すべきことはあるのですが、だいたいこの話は始めたらキリがないわけですし、今日は疲れたんでここまで(笑)。 > > ただひとことだけ言っておけば、日本は60年代70年代の左翼運動でもなぜかフロイトやマルクーゼが理論支柱にならなかったし、「精神分析に行くのがまともなインテリのステータス」とまでは行かないまでも、病院の精神科と街角の精神分析医の区別すら社会的にほとんど認識されていないことなど、あまりにも人間の精神の病理に対するアレルギーがあり過ぎる気がします。結果として僕の専門分野である映画でいえば、溝口健二とか黒沢明の作品分析で欧米の方がよほどディープな分析が出て来てしまっているようなことになったりしてしまっていて、まぁ困ったもんだなぁ。と。 > どうでしょうか? かつては、ライヒやR.D.レインが政治思想の文脈でよく引用されていた記憶が…レイン的な「狂ってるのは精神病患者ではなく社会の方なのだ」というのはいかにも左翼的つか実際に精神医療者・思想家以外にニュー・レフトの活動家でもあったし。 えと、水原さんの文章を読んだ雑感なのですが、恐縮ですが、精神医学の語を借用して社会批判をなさりたいのか、あくまで精神医学の枠組みでの個人批判に留まろうとなさっているのかが曖昧で理解しにくいのです。 岸田秀みたく、「精神分析はそもそも社会批判であり、個人の診断は方便だ」というのであればスパッと理解出来るものなのですが。。。如何でしょうか? >ユーリのパパさん えと、貴方がおっしゃってる事は全て含意の事なので… ですから文脈で「精神障害」のが「差別」となると主張なさるのであれば、貴方自身のその語に対する意味(帽子屋さん風にいえばシニフィエ)をまず明らかにしていただかないと。何も議論になりません。 |
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