| 31094 | 返信 | 水原「憐憫」発言誕生の瞬間を追う。 | URL | 八木沢 | 2004/11/24 06:16 | |
「『精神障害(者)』は差別用語だ」などという、どこにも存在しない架空の主張に対して「反論」を続ける水原文人君やその賛同者どもに対し、問題になっているのは「憐憫」をセットで使っている点だと繰り返し繰り返し繰り返し指摘しているうちに、ここ数日、ついに水原君が「憐憫」のほうにも言及するようになった。 情けや哀れみや憐憫を「差別だ」などと間違ったことをヌカす人々がいますが、 哀れみや憐憫や同情それ自体はむしろ尊い感情ですが、 やっかいな病気にかかったこと自体は「大変ですねぇ」と憐憫の対象になるのは普通の感覚 どうやら、今度は「憐憫を禁じ得ない」と述べたことをすら正当化するつもりのようだが、そのために八木沢が「文章が発語された文脈もまるで無視して問題に」していることにされてしまっている。しかし、実際は全く逆で、その文章が発語された文脈を忠実に解釈した結果として、場合によっては愛情表現の一種として機能する場合もある言葉「憐憫」を、今回に限って蔑視の意味に限定せざるをえなくなったのである。その過程を振り返ってみよう。 そもそもは二ヶ月前、プロ野球選手会のスト問題において、野球選手が労働者なのか否かという議論が続いていた中で、労働者とみなさないおっちゃんに対して、あしな氏がどうもおっちゃんの左翼嫌悪がそのまま労働者蔑視に転じてしまっているように見える。気のせい?と、見当はずれの批判をしたところ、おっちゃんが労働者を裏切るような労働組合や労働運動はいくらでも批判するが、労働者を蔑視したことはない。と、反論したことからこの話は始まる。 これに対し、おっちゃんの本来の相手であった、労働者とみなす立場の水原君がおっちゃんのそこまで卑下することはないでしょう。なる以前の発言を引き合いに出して、「卑下する」と言えるのは、労働者を蔑視しているこの上ない証拠となりますね。とあしな氏に賛同したところ、おっちゃんは、ややトーンダウン。「蔑視」じゃなくて「同情」「憐憫」をこめたつもりなんだけどなぁ。あかんか?と「弁解」したのである。 ところが調子に乗った水原君がここで、その後の自分にとってとてつもなく余計な発言をしてしまうのである。「憐憫」であればいよいよもって下位に見ている、つまり蔑視の要素が強まりますが?メチャクチャですな。ホント「憐憫」の対象にしかなりませんね、いいトシこいて(笑)と。 「憐憫」は「他者を下位に見る言葉」「蔑視の要素が強まる言葉」と、定義付けたのは何を隠そう、水原君自身なのだ。さらに、「メチャクチャですな」「いいトシこいて(笑)」と並べ、中傷の言葉として使うことで自らそれを実践してみせたのである。そして、その勢いで毒芋虫氏に対し、「限りなく精神障害予備軍に近づいておいでなのに対して、憐憫を禁じ得ませんな」発言をおこなったのである。定義してから、わずか2分後の投稿である。 水原君は明らかに調子に乗ってはしゃぎ、勢いに任せ、世間一般に流布する「障害者は可哀相」の安直なイメージをそのまま前提とした上でそれを論敵に対するレッテルとして使っただけである。私は、当初かなり激しい表現で彼を罵り、そのため管理者から投稿を削除されている。その後繰り返し再投稿、削除を繰り返したため「警告」をも受けた。かなり筆を抑えてようやく日の目を見たのが、「扇動と差別と」である。 水原君の必死の論点ずらしも、精神障害という言葉を封じ込めさえすれば、「なんとなく不安がなくなる」ような風潮に一石を投じる水原氏などという投稿を見る限りでは、少しは成功しているのであろう。しかし、そろそろそれも限界ではないだろうか。 |
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