| 31125 | 返信 | ユーリのパパさんの欺瞞 | URL | 水原文人@不眠症(←これも精神的な病理なんでしょうね) | 2004/11/25 01:04 | |
| ユーリのパパさん、なぜ僕が直接あなたに問うた投稿はこうやって無視し続けるのでしょうか? それを無視しつつ論理的に破綻している中傷投稿を続けるのは、卑劣ですし、この掲示板の「知的共同作業としての議論」という設置目的にも反してますよ? > > >「PがWみたいである(Wに近い、Wに似ている、W予備軍である、等)ことに対して、憐憫を禁じ得ない」・・・S > > >この文Sのポイントは、(1)Pを貶めるために「憐憫を禁じ得ない」という表現を使っている(2)貶めるPをWに比喩している−ことです。 > > > > (1) この【貶めるために】というのは発話者の意図ですよね? > > 発話者の意図です。 あのお、僕の内面であって外からは見えるはずがない動機を、なぜあなたがそういう風に決めつけられるんでしょうか? まだ投稿の文面それ自体を分析した心理的な分析を伴っているならともかく?? あなたの思い込みでしょう? > > (2) 「憐憫を禁じ得ない」という表現は、相手を【貶めるため】だけにしか使われないのでしょうか? > > 対話の相手に直接言う場合は、そうです。日本語のネイティブ・スピーカーがそれ以外の意図で使う例は考えられません。 掲示板はパブリックなメディアですから、そもそも「対話の相手に直接」なんて投稿は僕は一度もしてませんが? 私信のメールじゃないんだから、当然読者という第3者が常に最も重要な「相手」ですよ。 つまり、このあなた宛の投稿も、あなたをある典型的な例とし第3者である読者に認識させるように書いています。「ズルい」? だってそんなの当然ですよ。個人的に文句があるのなら、直接メールを出せばよろしい。 > > (3) (2)の答えがNOの場合、その表現がここでは、「相手を【貶めるため】使われたのだ」と判断したのは誰でしょうか? > > 略。 ご本人が逃げているのでお答えしておきます。文脈上、どう見てもユーリのパパさんご本人です(苦笑)。 > > > (4) (3)の判断の根拠は、なんでしょうか? > > これも「略」でよいのですが、補足しましょう。百歩譲って、仮に「相手を貶める」以外の用法がある場合でも、水原さんの発言は、文脈から毒芋虫さんを中傷する意図でなされているのは明らかです(八木沢さんの投稿を参照)。誰でもそう判断できます。 その根拠は? 論理的な裏付けもなく「誰でも」はあまりにも乱暴ですね。 > ただし、わたしは「相手を貶める」以外の用法があるとは思いません。 そりゃあなたが「情けは人のためならず」の用法を誤解している、豊かさのなかだけで育って他人の苦しみに鈍感な人だからでしょうね。もちろん同情や憐憫や哀れみを抱いたところで、どうすることもできない自分に気づかされるだけなのがほとんどの現実ですが、自分の限界を自覚させられるのとそれでも他人のことを考えるのとどっちをとるかといえば、僕は迷わず後者をとりますが。 なにをするわけでもない天皇皇后が、被災者とかの手をにぎるだけであれだけの励ましや安らぎや慰めを与えられるのは、決して無意味ではないはずでし。 > > >水原文人氏の「限りなく精神障害予備軍に近づいておいでなのに対して、憐憫を禁じ得ませんな」(S1)という発言が、相手を侮蔑すると同時に精神障害(者)も侮蔑し、差別していることは言うまでもないでしょう。 > > >ここで、S1が差別発言か否かは、話し手に差別する意図があるかどうかとは関係ないことに注意しましょう。 > > > > (5) 話し手の意図とは関係ないというのなら、なぜ 【貶めるために】という話し手の意図をポイントだとして示したりするのでしょう? この指摘はとても鋭く、そして… > ここで「関係ない」と言っているのは、あくまで文中に出てくる「精神障害」を差別する意図です。「貶めるために」という意図は、「対話の相手」を貶める意図です。意図の対象が異なります。 これがただのごまかしであるのは自明です。そもそも僕の内面であって外からは見えるはずがない動機を、なぜあなたがそういう風に簡単に決めつけられるわけがありませんから。 虚勢の傲慢さは結構なんですが、昨晩の僕の書き込みになぜ直接レスしようとしないのでしょうか? レスしなければそこで指摘されている諸問題から逃避できると思っているのでしょうか? しょうがない。大部分の読者のみなさんや掲示板運営の方々には迷惑だとは思いますが、もう一回ここに提示しますので、まともな反論をお願いします。 31091 返信 Re:「精神障害」をめぐる議論 URL 水原文人 2004/11/24 05:03 ユーリのパパさん > > という訳で、「精神障害」についての議論であるはずなのに全然「精神障害」そのものはおいてきぼりではありませんか。なぜ「精神障害」の言葉におのおのが向かい合おうとはしないのでしょうか? > > この議論においては、「精神障害」の定義は本質的な重要性を持たないのです。 持ちます。精神障害は本来ならただ人間の精神の状態を表しているだけの言葉なのですから、その言葉を使ったところでただその状態を表すしか意味は(本来なら)ないのですから。 元々の文中のどこにも書いていない意味を読者が読み込んだ時に「差別」に見えるのです。すでに説明したかと思いますが、それは文脈は文脈でも文章それ自体の文脈ではなく、受けての受容の文脈の問題です。 taraなんとか氏が「社会常識からして許されない」と言ったのは、それ自体は間違っていないのです。ただ問題は、その「社会常識」という文脈です。「社会常識」が「精神障害」と呼ばれる状態を差別しているのなら、その社会常識に属する人はそこに自動的に差別を読み込むでしょう。しかしそれは文章として「書かれたこと」の問題ではなく、「そこに読まれたこと」の問題です。つまり書いた僕の問題ではなく、そう読んだユーリーのパパさんの問題です。 以前この掲示板で僕が流行らせたらしい言葉を持ち出せば、あの投稿自体が「批評的鏡」なのです。あるいはリトマス試験紙的な表現と言ってもいい。 > 簡単に説明してみましょう。 確かに簡単な説明ですが、読めば読むほど難解です。よく読んでみて分かったのは、そこにありもしないことを論じているので論理がねじれていくしかなく、その結果難解になっているということですね。 > 今、Wという語があり、これは差別語ではないとします。ある人がこの語を使って、Pという人に次のような発言をしたとしましょう。 客観的かつ冷静に見れば、以下の例は「差別語」とひとくくりにしてすべて同等に扱っていること自体が、「差別」の裏返しの「弱者ファンタジー」、その側に立っている自分という思い込みに自己満足しているにすぎないと解釈できます。 > 「PがWみたいである(Wに近い、Wに似ている、W予備軍である、等)ことに対して、憐憫を禁じ得ない」・・・S > > この文Sのポイントは、(1)Pを貶めるために「憐憫を禁じ得ない」という表現を使っている(2)貶めるPをWに比喩している−ことです。 違いますね。どこが違うかはあなたが具体的な例を入れた文章をひとつひとつ検証すれば分かります。 >(1)Pを貶めるために「憐憫を禁じ得ない」という表現を使っている あなたがそう読んだだけです。すでに八木沢様宛のレスでも言及しましたが、「情けは人のためならず」という言葉が誤って解釈されることが多い現代日本に固有な「社会常識」、というか社会的病理(人間として隣人・他者に対して本来なら持っているはずの当然の倫理観を放棄したい言い訳に、「差別」の解釈をねじまげている)の問題です。 >2)貶めるPをWに比喩している 比喩を示す言葉など、僕の元の文中のどこにもありません。 そして様々な理由で様々な差別があるのに、言葉をPだのなんだので入れ替え可能だと考えること自体が異常であり、差別の解消ではなく差別の忌避・隠蔽に向かっている発想です。 と言っても分からないでしょうから、あなたの書いたことを例により具体的に分析します。 > 「Pの顔がハンセン病みたいであることに対して、憐憫を禁じ得ない」 もし本当にハンセン氏病でそのような肢体の変形があるのなら、やっかいな病気にかかったこと自体は「大変ですねぇ」と憐憫の対象になるのは普通の感覚でしょうし、実際問題としていろいろ不自由があるのなら「お手伝いしましょう」ともなるでしょう。こうした情け・憐憫・哀れみは、普通の感情であり、人間として隣人・他者に対して本来なら持っているはずの当然の倫理観の発露です。 もし別にハンセン氏病ではないのに、顔形の容姿をケナすために言っているのなら、「ハンセン氏病」はここで明白に差別的な含意を含んで用いられています。 どちらのケースをおっしゃりたいのか今ひとつよく分かりません。たぶん「みたいである」という言葉からして後者であるのでしょう。 しかしここであなたの例が決定的に不適切なのは、僕の原文には皆無である「みたいである」をあなたが勝手に付け加えていることです。 > 「Pが言語障害みたいな話し方をすることに対して、憐憫を禁じ得ない」 まず「言語障害みたいな話し方」が意味不明です。外見的に言語障害とみなされる話し方なら、それは定義上すでに言語障害ですから、「みたいな」が意味不明です。言語障害にもいろいろありまして、ただのどもりだって常にそうなら言語障害ですが。緊張してどもる程度なら、誰にでもありますけどね。 いずれにせよ「障害」それ自体は、ただ現に障害がある、不自由があるという状態を示しているにすぎません。ですからあなたがこの次に書いた… > 「Pが朝鮮人みたいな奴であることに対して、憐憫を禁じ得ない」 これは本質的にまたく問題が違いますし、差別のあり方も違います。まず「〜障害」がただ状態を表しているのに対し、「〜人」という所属民族や国家を示す言葉は、基本的に不変の属性です。 それに「〜障害」という語が文字通りそうなっているように、現になんらかの分野での障害があるのです。差別以前に、なにかが不自由であるか「正常」ではないというハンディキャップがその状態にある個人にはあるのです。民族や国籍がハンディキャップになるのは、外国人などの他者として差別的な環境にある場合だけで、「〜人」であること自体がその個人の運動能力なりなんなりを制約することは、ありません。 本質的に問題が違うことをなぜ十把一絡げに、ごっちゃにしてここまで乱暴に論じられるのですか? だいたい「朝鮮人」の例が「精神障害」という語の用いられ方についての例として無意味であることはすでにあなたの以前の投稿に対するレスで指摘済みです。反論されたことにはちゃんと再反論して下さい。議論として無責任です。はっきり言って、人をバカにしているとしか思えません。 > これらの例では、「ハンセン病」などの語は差別語ではありません。しかし話し手は、Pを侮蔑することにより、ハンセン病(患者)、言語障害(のある人)、朝鮮人も侮蔑し、差別しているわけです。 「みたいな」という語を使えばそうですが、僕は「精神障害みたいだ」なんて言っていません。先述のようにそこが決定的に誤っている時点で、あなたの議論は無意味です。比較対象になぞしておらず、ただそうみなされる状態だからそうだと言っているだけであることはなんども説明していますが、そこについてなんら有効な反論は頂いておりません。本当に、人をバカにしているんでしょうか? 「知的共同作業としての議論」を目的にしているこの掲示板をバカにしているのでしょうか? ですから、 > 水原文人氏の「限りなく精神障害予備軍に近づいておいでなのに対して、憐憫を禁じ得ませんな」(S1)という発言が、相手を侮蔑すると同時に精神障害(者)も侮蔑し、差別していることは言うまでもないでしょう。 原文のどこにもはいっていない「みたいだ」を勝手に読み込んだあなたの解釈の問題であり、あなたの脳内の問題を僕に投影されても困ります。というか、昨晩説明したマルクーゼの理論にあるような、自分の内に潜在的に存在する恐怖の対象(この場合、「自分が差別者になること」)を他者に投影していることの典型例としては興味深いですが。 > ここで、S1が差別発言か否かは、話し手に差別する意図があるかどうかとは関係ないことに注意しましょう。 ええ。関係ありません。文章それ自体の問題でもなければ、書いた人間の問題でもありません。ただ単に、読んだ人間のうちにある潜在的な問題が、他者の書いた文章に投影されているだけです。表象として現出している文のなかにはどこにも存在していない「みたいだ」という意図を勝手に読み込んだあなたの内面の問題でしかありません。 > 蛇足です。精神障害者を差別してもよいと考える人でない限り、精神障害者やその家族がいる場で、論敵に対しS1のような発言をする人はいないでしょう。あたりまえです。 しかし誰もそのような発言はしていません。「みたいだ」というどこにもない意味を自分の解釈で読み込んだのはあなたですから、その解釈にあなたの潜在意識が反映していると考えるのが、論理的には妥当です。 今度こそまともな再反論なり自己弁護なりを期待しています。でなければ、破綻して自己投影に陥っている自分の論理の問題点をまず自覚して下さい。その破綻した論理で他人を非難するのは、事実を歪曲した印象操作にしかなりません。 今度こそ姑息でない、誠意ある対応をお願いします。 ユールのパパさんの自己解放のためにも、補足します。 >「みたいな」という語を使えばそうですが、僕は「精神障害みたいだ」なんて言っていません。 この僕の昨晩の投稿を読んで「水原文人は日本語が下手だ」と思った人は正しいです。「精神障害みたいだ」という日本語はヘンです。ユーリのパパさんが僕を糾弾できると思い込んでいる内容として読むには、「精神障害者みたいな」でないと意味が通りません。 「精神障害みたいだ」と書いたのはユーリのパパさんですから、実は日本語がヘタなのはユーリのパパさんなんですが(笑)。しかしそれなら、僕も「(ママ」とか付け加えておくべきでしたね。 どっちにしろここで明白なのは、ユーリのパパさんはtaraなんとか氏と同様、僕が「精神障害者」を意味することを書いたと実は今に至るまで思い込んでいることであり、言い換えれば「精神障害者」という自身の蔑視対象として「精神障害」という語を見ていることだと思います。でなければ「精神障害みたいだ」というおかしな日本語、というか強いて言えば「みたい」が推測・憶測の意味しか持たない文面を、「比喩」の例だとして自ら提示したりできるわけがありません。強いて言えば、日本語ができないからなのかも知れませんが、「日本語のネイティブ・スピーカー」の言語活動を偉そうに決めつけられるわけがありませんから、その可能性もないでしょう。 つまり「リトマス試験紙」が思いのほかよく機能しているわけですね。 ちなみに、「リトマス試験紙」は知人の心理学専門家が僕のとある作品について言って下さった比喩による褒め言葉ですが、どうも確かに「リトマス試験紙」的な表現をするクセはあるようですね、この男は。 |
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