| 31170 | 返信 | なんでこんな無駄な投稿をするんだろ? Re:「精神障害」をめぐる議論(ユーリのパパさんに質問) | URL | 水原文人@不眠症(←これも精神的な病理なんでしょうね) | 2004/11/28 02:22 | |
| 別に僕に直接レスしろとは言いませんが、すでに指摘されている誤謬や論理の限界をせめて勘案して思考を練るくらいの誠実さもないとなると、ホント「知的共同作業としての議論」に参加する資格なんてゼロになってしまいますよ。 > > >(C)「憐憫を禁じ得ない」と発言すれば、話し手が相手を侮蔑する意図を持っているかどうかとは関係なく、「侮蔑」という言語行為になる。 (※1) > > > > >もちろん、文脈によっては、「ありがとう」が、ありがた迷惑だよ!という怒りの表明になることもあり得ます。 > > >「憐憫を禁じ得ない」が「侮蔑」にならないのは、JUNEさんが示したMさんとDさんの対話のような例ですね。 (※2) > > > > なんかおかしくないでしょうか? > > > > (※1)は、「憐憫を禁じ得ない」という表現だけから、それは「侮蔑」だと判断できると言っているわけですよね? > > (※2)は、「憐憫を禁じ得ない」という表現があっても、【文脈】によっては、「侮蔑」ではない場合もある。つまり、「侮蔑」であるかどうかは、その発言がされた生の【文脈】がわからないと判断できないということですよね? > > > > 私には、この二つは矛盾しているように読めてしまうのですが ・・・。それとも、(「侮蔑」という言語行為)と(「侮蔑である)は別だということでしょうか? うーん、わけがわからなくなってしまいました。 > > 少し書き方が不親切だったかもしれませんね。 > (※1)の前で、わたしは「(1)において話し手が相手を侮蔑する「意図」について。」と書いています。ですから、ここではまず、「意図」だけを問題にしています。「通常は」ということばを補って読んでください。 おひおひ、(1)(それ自体が誤謬であることは指摘済みながら、それは置いておくとしても)は(2)の「文脈」に関する議論を導入すれば無効になってしまうものですよ。文脈によって「侮蔑」かどうか変わるなら、その時点で「『侮蔑』という言語行為になる」と言い切れのはおかしい。それを言うなら、「『侮蔑』という言語行為になる可能性はあり、そしてそれは発言者の意図と関係なく、文脈による」としなければ、どう考えたって矛盾しています。 当初の書き方が誤解を招くものだったとして若干の訂正をすれば済むことなのに、なぜその程度のことが出来ないんですか? そんな人が他人を「自分の過ちを認める勇気がない」とか「逆上する」とか他人を(しかも事実に反して)批判するのなんて、バカげてますよ? > 次に(※2)で、「文脈」によっては例外的に侮蔑にならない場合があり得る、と補足しています。 例外的? そもそも「憐憫」という言語行為そのものに「侮蔑」が含まれているなんてことはありませんよ? > つまり、まず「意図」、次に「文脈」という二段構えの書き方をしているわけで、矛盾していませんよ。前の主張を変えたわけではありません。 上記の微調整をすれば主張を変えたわけではないと言えるのに、なぜそんなことも思いつかないのでしょうか? 少しは落ち着いて下さいな(苦笑)。ヒマがないから全員にレスができるわけではないとおっしゃるなら、こんな無駄投稿する前にもう少し考えればいいのに・・・ ちなみに昨晩、僕はあなたが育児中だとしたらそのあなたのお子さんに憐憫を禁じ得ませんと書きましたが、そのどこに「侮蔑」とかの意味が入っていると主張できるのでしょうか? 昨晩の「憐憫」は「同志意識」と解釈することもできるかもしれません。どっちにしろそこに「侮蔑」が入り込む余地はありません。 またまたあなたの(1)があなたが言っているような原理原則論ではないことの有力な根拠であります。 先回りしてあなたが言いそうなことを言っておきます(と言っておけば、まさかこんなバカなことを主張するわけがないから言っておくのですが)。あなたから見たら僕はあなたを「論敵」と認識していることになるのでしょうから、「論敵」でああるあなたを貶めるために僕があえてその侮蔑の意味を込めたのだとでもおっしゃるかも知れません。 しかしですねぇ、あなたとあなたのお子さんはどう考えたって別人格ですよ? だいたい子供が自分とは別人格であることを冷静に認識できない親が多すぎるのは現代の日本社会の大きな問題で、あなたが僕の投稿に噛み付いたときに精神障害者本人ならともかく「家族」を持ち出して悲しむだの傷つくだのを言いだしたのも、この家族の成員(こと、子供)を独立した別人格であると認識できない困った「社会常識」の罠に思いっきりはまっている意識構造を示唆しているわけですが、本来なら独立した別個の人格なのによりによって最も身近な大人であるところの親・家族が自分のことを別人格として認識してくれないないというのは、子供にとってどれだけすさまじい抑圧か、理解できるでしょうか? ひそかに最近の子供や若者の問題、ことひきこもりだとかの根本原因にはこういう親の子供に対する過度な同一化/所有物願望、本来なら独立した別人格である我が子をよくて分身、下手すればマスコットかアクセサリーかペット、それこそ親が自分がいかに立派であるかを示すためのプライド証明の道具として子供を扱っているせいだと僕は最近妄想してますが。 というか、某巨大マンモス大学所属の芸術系専門学校で講師をやらされたことがあるけど、とくに女の子がそんな状態の子ばっかりで、正直「親の顔が見てみたい」という欲求から父母面談を要求しそうになったほど…。 そもそもあなたの(2)もまた、それがあるなら(文脈の考慮による判断)があるなら(1)はまず、不必要です。 > まず、文脈から(a)通常のケースか(b)例外的なケース(MさんとDさんの対話のような例)−かが判断できます。 ではその例外ケースに、僕とあなたのお子さんの関係を追加して下さいな。 そんなにボロボロ「例外」が出てくるのに、「例外的なケース」と主張できることがこれまた狂ってますが・・・ > 水原さんの発言は、もちろんMさんとDさんの対話のような例とは異なり、(a)のケースです。 と言いきれる根拠を、あなたの思い込み以外で一度でも提示したことがありますか? > しかも八木沢さんの投稿で、発言の文脈の詳細があらためて明らかにされた結果、 それ自体が反論済み。いくらおっちゃんと僕との間に掲示板上で結ばれた深いヴァーチャルな愛があると言ったって(笑)、まったくの別人格ですから、八木沢さんの投稿が明らかにしたのは、八木沢さんの負けず嫌いのあまりの必死の(しかし無駄な)努力だけですよ(苦笑)。 しかし少しは自分で考えて根拠をだすぐらいの努力ができないんですか…。 > > >>話し手の意図は、最終的には、文脈によって判断できます。 > > この発言は正確ではありませんでした。(a3)のケースもありますので、「話し手の意図は、多くの場合、文脈によって判断できます。」と修正します。 間違ってないことをなぜわざわざ間違った方向へと訂正するのか? 他人に言語学事典云々なんて生意気なことを言う前に、現代言語学の基本中の基本ぐらい…というか言語学なんて持ち出すまでもなく我々の日常的な言語生活から経験的に気づいていないと絶対におかしい当たり前のことぐらいちゃんと認識してから書き込みすればいいのに…。 話し手の意図なんて「最終的」もなにも、文脈以外に判断する材料がありませんよ。そしてどんなにがんばったって、「意図」という内面の問題はせいぜいが確度の高い推測でしか判断できません。 はい、わざわざレスをつけるのも無駄です。実は単なる酔い冷ましで書いてるだけなんで、すみません |
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