31195 返信 Re:再質問Re:ICTYの違法性についてRe:Erna Parisは帝国主義の手先 Re:『歴史の影――恥辱と贖罪の場所で』 URL 前田 朗 2004/11/29 20:08
森永和彦さん
ご教授ありがとうございます。

1)ICTYの正当性問題

ICTY設置の正当性、ないしその管轄権については、私も疑問を持っていないわけではありません。政治的には、ICTYを厳しく批判する見解が多数存在していることも承知しています。森永さんはその中でも急進派で「カンガルー法廷」「魔女狩り裁判」と激しく論難されています。

しかし、国際刑事裁判所(ICC)以前の国際刑事法廷の正当性はいつも疑問を付されつつ、実現してきたのです。ニュルンベルク裁判にも多数の疑問は投げかけられました。東京裁判も、ICTYも、ICTRも、東ティモール特別法廷も、カンボジア特別法廷も、シエラレオネ特別法廷も、激しい論争と外交戦の中から生まれ、実現したり、実現しようとしていたり、いまなお激しい論争の渦中にあります。

第一次大戦後の特別法廷設置の試みが実現しなかったため、ニュルンベルクと東京が最初の国際刑事法廷となりました。国際刑事法廷にはその程度の歴史と経験しかないのです。「勝者の裁き」だ、「文明の裁き」だといった反発が生まれるのは、ある種、当然といえば当然です(私の見解は異なりますが)。

しかし、国際政治の力学の中で、国際刑事法廷はこのようにして生まれ、発展していくしかありません。これらの経験を元に、ICCの構想が生まれ、とにもかくにも半世紀の努力の末に実現しようとしています。その発展こそが重要なのです。

森永さんからすれば、「ニュルンベルクや東京とICTYとは違う」、「ICTYとカンボジア法廷やシエラレオネ法廷を一緒にするな」とお考えになるかもしれません。しかし、逆に「ICTYなんかと東京を一緒にするな」「ICTYは認められるが東京裁判は認められない」という見解も当然ありうるのです。

「帝国主義侵略者が設置した」というご意見にも、一面の真実であるという意味で同意しますが、それがすべてではありません。安保理事会決議によって設立され、国際司法裁判所によって確認されたICTYは、他面では「国際共同体の合意によって設立された」と認めないわけにはいきません。今日の「国際共同体」の当否それ自体を争うのであれば、話は別ですが。

何でもかも相対化するのはごまかしだとお叱りになられるかもしれませんが、国際政治の現実はそういうものでしょう。まして、国際法は決して成熟などしていないのですから。

2)ICTY手続きの合法性問題

森永さんは、ICTYにおける弁護権侵害問題を取り上げています。その際に近代刑事裁判の基本原則を守るべきと主張されています。当然のことながらその主張に私も同意します。しかし、ここでも、もうひとつの事実を指摘しておかなくてはなりません。

ニュルンベルク裁判や東京裁判に対する批判者は、必ず「罪刑法定主義」違反、「遡及処罰禁止」違反を主張します。その議論を詳しく展開するつもりはありませんし、その必要もないと思いますが、「国際刑事裁判に罪刑法定主義や遡及処罰禁止という基本原則があった」という論証は誰もしていません。罪刑法定主義も遡及処罰禁止も近代の国内刑法における理念として主張されてきたものであって、国際刑事法廷はそれまで存在していないのですから、国際刑事裁判の基本原則など存在しなかったのです。存在しない原則に違反することはできません。

国際法の世界で罪刑法定主義が掲げられたのは1948年の世界人権宣言11条が最初であり、当時の世界人権宣言に拘束力がないことはご存知の通りです。現在では国際慣習法となっていますが。1966年の市民的政治的権利に関する国際規約14条や15条によってようやく人身の自由に関する原則が国内刑法について国際法で確認されたのです。

とはいえ、国際刑事法廷は存在していませんでしたから、そうした国家実行は実は存在していませんでした。国際刑事法廷における人権規定は、ICTYとICTRによってようやく書き込まれたといえます。今日の発展水準で、つまり、やはり限定的に。

ヘスが取り調べにおいて拷問されたと主張していたように、そしてイェルサレム法廷のアイヒマンが、ミロシェヴィッチと同様に、法廷で自分を弁護して闘わなくてはならなかったように、ナチ戦犯も必ずしも適正手続きや弁護権を保障されていたわけではありません。むしろ実質的には保障されていなかったのではないでしょうか(詳しくは知りませんが)。

3)ジェンダー観点について

とにかく「反帝国主義」なのですね。しかし、現代帝国主義の歴史はたかだか100年、西欧による近代植民地主義の歴史も500年。ジェンダーに基づく差別と女性に対する暴力は、人類史に一貫し、しかもあらゆる社会につき物ですから、ジェンダー問題こそ優先という考えもあるのです。人類史におけるフェミサイドの深刻さは、帝国主義による被害の深刻さに引けを取らないでしょう。

帝国/反帝国、西欧/東洋(ないしイスラム)、男/女をはじめとするさまざまな二項対立があります。物事を二項対立に押し込めるのも誤りですが、現に具体的に問題となっている二項対立を無視することもできません。そして、その交錯の中で生じている「複合差別」の様相に注目することが必要です。これは今回の論点ではないので省略しますが。

ところで、アフガニスタン女性革命協会(RAWA)です。RAWAが「CIAフェミニスト」ですか。なかなかユニークなレッテルですね。

RAWAは、1977年にカブールで設立されました。女性の権利と平等を求めるフェミニズム団体ですが、アフガニスタンでは当初から非合法でした。RAWA設立直後から、「ソ連社会帝国主義侵略者」がアフガニスタンを蹂躙し、見境ない虐殺を続けたために、RAWAはソ連に対する抵抗運動に加わり、政治団体として活動しました。このため創設者のミーナは、1987年に、ソ連KGBの手先によって暗殺されました。ソ連帝国主義の敗北と崩壊の後、RAWAはムジャヒディンの暴力支配に反対し、タリバンに反対し、タリバンの残虐な犯罪を世界に暴露しました。さらに、9.11後はアメリカによるアフガニスタンにおける戦争犯罪を告発しています。

私たちが開いたアフガニスタン国際戦犯民衆法廷(ICTA)では、RAWAは共同代表に加わってくれました。戦争被害の実態を調査するのに協力してくれました。そして、法廷証言のために被害者を日本にお招きするのにも協力してくれました。アフガニスタン国際線パン民衆法廷については、
http://afghan-tribunal.3005.net/

RAWAに対しては「ラディカルすぎる」とか「毛沢東主義者だ」といった、いわれのない中傷が加えられてきました。具体的な事実を示した批判ではなく、レッテルを貼るだけの中傷です。「CIAフェミニスト」というのは初めて知りました。(森永さんの深い心の闇が気になりますが、余計なお世話を焼くつもりはありません。)

RAWAの主要な活動は、教育、医療、仕事さがしと職業訓練です。RAWAメンバーはパキスタンで難民として暮らしながら、苦しい状況の中で、しかし、他の難民を教育し、病院を作って頑張っています。RAWAの活動の具体的事実は、私たちが編訳した2冊の本に見ることができます。

ICTA『アフガニスタン女性の闘い――自由と平和を求めて』(耕文社、2003年)
ICTA『声なき者の声』(耕文社、2004年)
いずれも上記のサイトで注文できます。RAWAについて知りたい方はぜひご覧ください。

なお、ICTA終了後、私たちは「RAWAと連帯する会The Friends of RAWA」を立ち上げました。まだまだわずかの活動しかしていませんが、本年4月末にはイスラマバード、ペシャワールを訪問して、RAWAの学校や病院を見学してきました。私自身は以前に3度ほど訪問していますが。

RAWAと連帯する会の活動は2005年に本格化させる予定ですので、そのときにはこの掲示板に宣伝します。森永さんも「毛沢東主義者」にして「CIAフェミニスト」の素敵な闘う女性たちの現実を調査にいらしてください。