31219 返信 Re:投稿削除に関連して(水原さんへ) URL 水原文人@パラノイア 2004/12/01 03:31
ななさん、

> マイペースでレスしようと思っていたのですが、

その方が僕も助かります(笑)。

> 私の31180番投稿にある個人的な情報に関連して、

まったくの杞憂であるのかも知れませんが、自分がその立場であれば確実に重度の被害妄想になるであろうことも含めて、大変に気になりました。ただ別に杓子定規に「プライバシー保護」を主張しているわけではないので、そのあたりは誤解なきようお願いします。むしろ重視すべきは、精神的に弱った状態にあるときに周囲に対する信頼の感情を維持できるかどうかです。

> ネット上のBBSなどで匿名HNを用いて実生活での本人や身近な家族などの病気の事について語ることそれ自体は、その内容や語る状況に特段の問題がなければ、それほど問題とすべきものではないと私は考ます。

政治系の議論が展開されている場では、「語る状況」に特段の問題があります。

> 実際、ネット上では、患者本人やその家族による匿名の情報交換サイトなどは数え切れないくらいありますし、専門医が身元が分かる形で参加して匿名HNの本人やその家族の病気についての相談に応じている(と言っても実際に具体的な診断を行うわけではなく、医療機関の情報提供や一般論的な情報の提供などですが)ようなサイトもあります。また、もちろん匿名HPですが、本人や家族の病気の様々な経緯や状況をアップされているサイトも多数あります。

そういう掲示板でしたらさほど問題ではないのです。問題は議論系の掲示板で、従って極めてパブリック性が高い場所に、いわば自分の論の強化のために家族の病気を引き合いに出して説得力の印象を強化するために利用しているともとれる文脈で、家族親族など特別の信頼関係がある人の病気に言及することです。

無論本人に治る意思がない場合には、医療機関などの相談掲示板に出したっていやがりはするでしょうが、それはさほど重要な裏切り行為ではない、むしろ反発はする一方で当然のことをやっているという受け取り方もまだどこかで出来るはずです。しかし上記の状況は違います。

また自分の家族のプライバシーを本人の自由な意志の同意なく自説の強化に利用する事自体が、場合によってはその家族がどんなに親しくても自分とは別人格なのだという当然のことを無自覚のうちに無視してしまっている可能性があります。

こと夫婦間で夫が妻に言及したり、親子で親が子に言及する場合、父権的な構造のなかで自分の独立した人格を認められていないと感ずることは、この上なく堪え難い抑圧にもなると思います(で、ここからどうなるかはフロイトを読んでるだけでも恐ろしくなってくる話ですが)。

> それらについては、プライバシー保護という観点から全て問題がないなどとは言いませんが、人々がネット上での交流、コミュニケーションを通して得られる利益の方が、個人情報の万が一の漏洩によって発生するかもしれない不利益よりもはるかに上回っているのではないかと思います。

一般論ではそうですが、精神障害と総称される精神の不安定な状態の場合は、不利益の方がはるかに上回る場合も多々考えられます。親しく信頼している人に裏切られるのはべつに精神が安定していても耐え難いことですし、こと現実に社会的構造として差別があり、また自身もハンディキャップを抱えているなかで、それを暴露されるのは想像を絶する苦痛であり、失望であり、絶望でしょう。

> それから確認しておきますが、そのような形で語られている情報は、その時点では厳密に言っても、水原さんが仰るようなプライバシーを“晒している”などと指摘される、もしくは非難されるようなものではないとも考えます。

プライバシーを晒すというような杓子定規な問題よりも、本当に重要なのはそれによって精神の安定を取り戻すのに必要不可欠なのかも知れない信頼関係が破壊されることです。

> また、家族のことをネット上で触れることがあるのは、その内容も含めて本人も充分知っており、もちろん了解もしっかり得ていることも付け加えておきます。

本当にそうであること、またそこに経済的依存とか、父権的な家族構造に乗っ取った支配や服従の関係がないことだけは祈っておきます…が、言った先からなんですが、そのようなものが皆無な家族関係というのもまたあり得ないような気がしますが。少なくとも今の日本でそんなあk族があるとは、僕にはまったく考えられませんというのが、率直なところです。

> 以上のような考え方に立ってはおりますが、私の31180番投稿での当該部分は、本掲示板での議論においては特に必要ではない、今回はあえて提示することでもないので、それを削除するのはやぶさかではないと考えました。

ご理解いただきありがとうございました。

> #31194や#31206(削除した投稿のレス投稿もなくなるとのことですので、これらの投稿もこの投稿の時点では削除されているかと思います)を読む限り、水原さんは「精神障害」の方に対するプライバシー保護や心のケアを非常に大切にされ、それに気を配ることの重要性を非常に強調されております。

本当のことを言えば「プライバシーの保護」という「社会常識」化したルールはどうでもいいと思っています。本来ならケース・バイ・ケースできめ細かな対応があってしかるべきであり、それは公式化したルールよりは本来なら人間が誰しもどこかに持っているはずの他者への愛情や思いやりの範疇で済ませられれば、それに超したことはないはずです。

> しかし、水原さんがそのような立場に立っているのであれば、何故、毒芋虫さんに対して「精神障害予備軍に限りなく近づいて」いるという貴方の見方、判断による文言をあの時、ネット上のパプリックな場で晒してしまったのでしょう?少なくともそれは私信(毒芋虫さんはメールアドレスを開示しています)によって済まされるべきことであり、パプリックな場に突然に書き込むことではないと思いますが、いかがでしょう?

それとこれとはまったく問題の次元が違うと思います。まずパブリックな場に投稿していること自体、自分の文章がそこに書かれている情報に忠実に読解される限りにはあらゆる解釈に対して開かれていることは自覚すべきです(誤読や恣意的な歪曲や読み落しは、それ自体が今度はそれに基づいてなされた解釈を発表した側が非難ないし批判されて当然のことです)。少なくとも左翼はみんな親中国なんだというみたいな妄想めいてかつバカげた思い込みに基づいた投稿は、バカにされてしかるべきです。

またそういう投稿をすることで「サヨク」をからかったつもりで悦に言っているような人間が、その精神状態にあることで苦しんでいるとはとても思えません。「本人がハッピーならそれでいいじゃないか」とも僕は思いません。自立した自我は、それなりに自分の所属する社会に対する一定の責任感を持っているはずですし、それを身につけさせることはマルクーゼの言う「必要な抑圧」の範疇であるはずです。

> 批判しようとする論争相手を揶揄したり、蔑むという意図、気持ちがない限り、そのような文言は、最近貴方が書かれている趣旨、論旨から言っても、パプリックな場では出てこないと私は思うのですが、いかがでしょう?

今さら批判しようともしていませんし、論争相手だなどと認識したこともありません。ただ単純にバカであり、迷惑であるだけです。

また毒芋虫氏を侮辱していることになるのは、そりゃその発言内容が精神障害の状態から出たものであると断言しているのですから、本人がそう受け取って当然ですし、怒りもするでしょう。

しかも毒芋虫氏だけの問題ならいいのですが、同様のまったくの認識障害としか思えないとるに足らない思い込み、少なく見積もっても意見の違う他者がそれぞれに異なった個人であることを認識できず、「左翼」=「親中国」とかの思い込みに耽溺しきった人はすさまじい数がいますし、ネット掲示板どころか一般マスコミにさえ、今の日本では平然と流布しています。ほとんど集団催眠かなにかと見まごうほどです。

この辺りはまったくの個人的な嗅覚の問題ですが、本人は自分の考えだと思い込んでいるかも知れないがその実いわば集団催眠的に同じことを言っているだけの人間の方が、右・左に限らず今の日本には多いですし、掲示板の発言を見れば誰がそうであるのかはだいたい検討がつきます。それも当然のことでしょう。今の日本に限らず、今の世界で本当に自分の考えを持つということは、すさまじく難しいことであり、自己と自己の属する文脈や社会に対するアイロニカルな視点なしにはまず不可能であろうと思います。

僕が掲示板上でそういう精神状態だと目される人にあえて挑発的な議論や、場合によっては激しい批判をぶつけるのは、そうしたアーケタイプをその個人に代表させてやっている(それにパブリックな掲示板という構造上、僕がそうするまでもなくその人物はその立場に立っている)ことでもある、ということはすでに猫まんまさんへの返信で述べていますので、すでにお読みになっていると思います。

つまりああいう発言がなんの疑念もなく集団催眠的に多くの人から繰り返されるのは、それはもう「社会がビョーキ」だということです。たまたまいわゆる「ウヨ」発言が今回の対象になりましたが、いわゆる「サヨ」にも表層的な発言内容こそ違うもののまったく同じような精神状態から出てきていると推測できる(嗅ぎ分けられる?)発言をする人はいますし、経験から言えばこの掲示板上で一度は僕にすり寄ってくる人はだいたいそうです。気持ち悪いし精神衛生上よくないのでそれなりの対応をすると、なかなかおもしろいことになります。

いささか無責任なことを言ってしまえば、ああいう奴隷的な精神構造のなかに本来の自分を押し込めているくらいなら、一度発症した方がよほど健全であります。

> さらに言わせていただけば、「削除要請」などと名打った題名で掲示板上で公に削除を求める行為は、それがより多くの読者の目を私の31180番投稿(既に削除しましたが)に注がせてしまうという作用を考慮すれば、掲示板管理人への私的なメールで済むことであり、それは貴方が主張されている論旨にも合致することであると思うのですが、いかがでしょう?

あなたのメールが公開されていればさきほど削除した31194番自体を投稿していないで私信で伝えていたであろうという旨は、やはりさきほど削除した「投稿規定違反」云々の投稿にも明記してありましたが?

メールを公開されていない以上、掲示板に書き込む以外に連絡する手段はありません。31194番を投稿するにはかなり躊躇しましたし、いったんは問題の部分に言及せずに投稿し、やはり考えを改めて再投稿したものです。

そして今晩に至っても、あなたの投稿はメール非公開のままです。それを棚にあげて僕を責められても困惑するばかりですし、ななさんのことを少なくとも議論においては誠実な方だと思っていたのが僕の買いかぶりであったのかと、疑心暗鬼にもなります。

> 以上のように、私には水原さんがこの間、色々と書かれていることにはちょっと欺瞞的なものがあるのではないか、批判のための方便になっている部分があるのではないか、という疑問を拭えないのです。私のこの疑問、疑念が全くの誤解であることを祈りつつ、まずはご返答をお待ちします。

まったくの誤解でしょうーーななさんが期待しているのとは正反対の意味で。

僕が「プライバシー保護」や「心のケア」に関心があるとお考えになること自体が誤解です。前者はそもそも職業がドキュメンタリー制作になってしまった今では敵視すらしている考えですし、後者に関しては虫酸が走るほど嫌いな言葉です。

ただ苦しんでいる立場にある人にとって何よりも大事であるかも知れない信頼関係が破壊されることが極めて危険であることと、フロイト的な系譜で精神分析理論もかじっている立場からすれば家族内における信頼関係というものがそんなに単純なものではなく、こと一方が病気などを抱えて弱い立場になれば依存や服従がすぐに起こって、それが抑圧になってますます本人を苦しめるであろうこと恐れているだけです。それは「プライバシー保護」とくに「心のケア」というような耳に聞こえはよいがその実まったく薄っぺらで空虚で無内容な、人間の血の通っていない言葉で説明できることだとは思いませんし、そんなものでまとめられたら適わんとも思いますし、もっと言えばそのような空虚な言葉があたかも究極の善のようにまかり通っていること自体が、「現代社会の中では人間は必然的に大なり小なり精神障害を抱えることになる」の一例としての抑圧の体質ではないかとすら妄想しています。

>あえて言わせていただくと、「限りなく精神障害予備軍に近づいて」と精神状態を規定した相手に対し「憐憫の情を禁じ得ない」という感情表現で括ってしまったのは、書いた本人の意図とは別に、社会に存在する「精神障害」者一般を憐れみの対象と見てしまう差別的な感情(これは身体障害者についても言えると思う)を固定させたり誘発させることに一役買ってしまう可能性がないとは言えないという印象もあります。

誘発させることについては、まさにそれを狙った発言ですが、ななさんがおっしゃっているのとは逆の意味でそうなるだろという計算はできていましたし(パブリックな掲示板上で堂々と差別的にふるまうほど間の抜けた人は、まずいない)、現にそうなりました。杓子定規に「差別反対」を唱える人ほど実は差別意識に凝り固まっているのではないかという疑念はずっと持っていましたし、結果として何人もの方がその実例になってくれました。

「社会に存在する「精神障害」者一般を憐れみの対象と見てしまう差別的な感情」が自分のなかにも刷り込まれていることを(自分もまたその社会の一部なのですから、ないとは絶対に言えないはず)自覚するのを忌避する感情が、オートマチックに「差別だ!」と反応してくれたわけです。

ちなみに「自己投影」とか「パラノイア」とかの精神分析用語をいくら使っても問題にされず、「錯乱」も問題にされないのに、その総称である「精神障害」にのみここまでヒステリックな反応が出るのは、ほとんど喜劇的です。僕にさんざん「自己投影」と言われたトルティーヤ君なんかは、「不公平だ!」と言いだしてもおかしくない(>怒るんだトルティーヤ君、と言いたいところながら、彼は高所恐怖症の定義についてとても有意義な疑問を提起してくれたのでした)。

>精神医学について言えば、少なくともその臨床において、フロイト理論をそのまま応用・援用して診療に当たっている精神科医はまず少ないと言えるでしょう。

当たり前です。精神分析の純粋に理論の分野ですら、フロイトはすでに大昔の基礎の古典ですから、出発点でしかありません。出発点であると同時に土台でもあるわけですが。

またこと日本の場合、精神障害の発症の原因を成長し生存してきた環境による自我や超自我への抑圧に求める論理展開が、患者家族に嫌われてなかなか定着しないのではないか、おおっぴらに言えないのではないかという邪推もしています。「成長し生存してきた環境」といえばまず家族ですから。

しかし家族が信頼し頼る対象であると同時に抑圧して来るものでもあるという認識の欠如は、こと今の日本の若者に深刻な影響を与えていると思います。「ひきこもり」などもその例でしょう。その上伝統的な社会構造のなかにあった大人になる=自立するイニシエーションも消失してしまっているので、子供が家族のなかでその自我を確立させることには大きな困難が伴うように思います。実際、表面的には完璧な親を演じているところほど、確立しつつある自我が抑圧されて精神の安定を欠いてしまっていてそこから抜け出すために必死にもがいている若者に、僕はかなりしばしば会います。そこからなかなか脱せないのは、「家族は愛さなければいけない」という強迫観念があまりに強いからでしょう。だいたいにおいて芸術表現の分野に進みたがっている人が多いので、イングマル・ベルイマンの『秋のソナタ』を見せるだけで、こと女の子の場合は、相当に役に立つみたいです。

>しかし、そのことをもってして、フロイト理論が実証科学であるべき精神医学の知見にも適っていると決めつける合理的な根拠にはならないでしょう。

大変に失礼ながら、精神医学が実証科学になれるわけがないと思いますが? たった一人の個人のケースでさえ、その年齢に至るまでの精神活動のすべてを医者なりなんなりが把握すること自体、まったく不可能ですよ。結局はすべてが、医者なら医者、あるいはセラピストの把握できた限定されたごく一部の情報に基づく解釈にしかならないでしょう、原理的に言って。

実証科学にしたいという一部の精神医学関係者もいるでしょうけれど(またそれを信じたい大衆もいるんでしょうが)、その誇大妄想的願望にも興味はありますが、治療を受ける側としてはあまりつき合う気はしませんし、そういう医者に限ってもっとも重要な話を聞くことやカウセリングやセラピーを怠け、薬物とか電気ショックなどのかなり危険な療法に走りそうで怖いです。精神病の治療に使われる薬は、全部科学的な定義としては立派に麻薬ですしね。

…ドラッグは酒とタバコと、せいぜいがバファリン程度の頭痛薬で僕は十分です…

>「人間はみんな精神病を抱えている」という水原さんの捉え方自体には特に意見を申し上げませんが、「現代文明の構造上当たり前」ということは「精神病」は「現代文明」でしか生じ得ない所産と考えているということでしょうか。それとも「精神病」を何らかの形で区分けしてある部分(もしくは大部分)が「現代文明」の所産であると主張したいのでしょうか。

大変に失礼ながら、論理学の基礎中の基礎である必要条件と十分条件の違いも分からないまま、他人が言ってもいないことを「言った言った」と決めつけているような質問には、お答えのしようがありません。

> 「精神障害」もしくは「精神病」の判断ポイントのひとつは、心のコントロールを自分で働かせられなくなった状態である、と貴方の発言を解釈しましたが、

どこからそのような解釈が出てくるのかも不思議でなりません。僕は自分の精神障害を自覚してますが、自覚してコントロールしている限りにおいてはむしろ便利だとさえ言っておりますが?

「自分で働かせられなくなった状態」であれば、医者に行くか、周囲が医者に無理矢理運んでいくか、自殺でもしてしまうか、でしょう。

>たしかに、フロイトは「遮蔽記憶を取り除いてトラウマを現出させれば、精神障害から解放される」という主旨の学説を唱えました

フロイトから100年くらい経ってますから、今更そこまで単純に考えている人はいないと思いますよ。

>用の水原さんの発言によれば、その「理論」を社会や政治の問題にまで援用、適用できるかのように聞こえますが、もしそうだとすれば、それはほとんど検証的なものではないし、ご都合主義的な拡大解釈ではありませんか。

だとしたらラカン尊師もマルクーゼもライヒもユングもクリスチャン・メッツもショーレムもバルト大教祖も…下手すりゃサルトルだって全部ご都合主義的な拡大解釈になると思います。もちろんイングマル・ベルイマンもフェデリコ・フェリーニも超拡大解釈だし、ストリンドベリもそうかも知れないし弟子をしばしば精神病院送りや自殺に追いやったことで悪名高いリー・ストラスバーグも拡大解釈ですし、20世紀の思想と芸術の相当なパーセンテージが拡大解釈でしょう。本当にそうなのかも知れませんが、そうなると僕にとってはえらく不都合ですね。