31232 返信 Re:「精神障害」をめぐる議論 URL 水原文人@パラノイア 2004/12/02 02:48
横レス〜

> >これらの文は、日常生活の気楽な対話では発話されません。

当たり前です。「憐憫」も「禁じ得ない」も文語的な表現ですから。

> >ポイントは、(4)のタイプの文には、「禁じ得ません」という文語的でもったいぶった表現が使われていることです。

まず掲示板は書き言葉でしか進行し得ない場所ですから、口語表現をそこに用いることの方がよほどレトリック的な意味を持つのが当然のはずですが?

だいたい「文語的」であるから「もったいぶっている」のだとしたら、そんなの文語表現を駆使できない言語能力未熟者のただのヒガミじゃん。

> >対話(対面しての話し合いに限らず、メールのやりとりなども含む)においてこうした表現が使われると、通常は、いかにも「慇懃無礼」という印象を与え、「侮蔑」の言語行為となります。

うっそー。赤の他人や目上の人相手のメールでは、慇懃無礼スレスレの敬語三昧でメールを書くのが普通ですよ。こと仕事上のやり取りでは、口語表現なんて用いませんね。

> 話し手の意図とは関係なしに、「・・・であるおまえなんか、わたしの憐憫の対象にすぎない」という嘲笑、罵倒と受け取られるわけです。

だとしたらそれは受け手の脳内の文脈の問題であって、第一義的にはそう思い込んだ人の責任でしょうね。

> そこで、「どういう場合が【通常】なのか?」の判断が問題になってくるのではないでしょうか? その判断は【文脈】からしかしようがないのではないかと私には思えるのです。

前にも書きましたが話し手の意図なんて「最終的」もなにも、文脈以外に判断する材料がありませんよ。そしてどんなにがんばったって、「意図」という内面の問題はせいぜいが確度の高い推測でしか判断できません。

デリダ尊師も逝去した今日に、まだユーリのパパさんのように「衒学的」な方がこのテの寝言を言うこと自体が想像の範囲を超えてますな…

> >仮にJUNEさんが太っているとして、どちらかというと緊張関係にある人から「(あなたが)太っていることに対して、憐憫を禁じ得ません」と言われたら、どんな気がしますか。
>
> とってもイヤな気分で、「太っててなにが悪い? あんたに、哀れまれる筋合いなんてないよ!」と思うでしょう。

その通り。「太ってるとしんぞうびょうや糖尿病になるから痩せなさい」と言われたって、ムカつくでしょう。

1年半ぶりに再会するフランス人女性・年上の親友に「痩せたわね、心配だわ、もっと食べなさい」と言われ続け、数日間その友情に感謝しつつもムカついてた私…

> >この文は、話し手がJUNEさんに「どうしても憐憫の情を感じてしまう」という心情を文字通りに記述しているのではなく、「太っているあなたはみっともない。わたしの憐憫の対象にすぎない」と主張しているからです。

ちゃいますね。ホントのことを言われれば言われるほど、ムカつくのは人の常です。実家に帰る度に母に「タバコはやめなさい。あなたお金だってないんだし(よけいなお世話だ、ブツブツ)、体に悪いし、見なさい、お父さんだってやめたのよ」(だからなんだよ、オレの勝手だ、ブツブツ)と言われてる私の身にもなって下さい(笑)。

母の殺し文句「意思が弱いのね」。これなんて「憐憫を禁じ得ない」どころじゃないストレートな一言ですが、反論はできない…

> 「みっともない」どうかはともかく、「太っている」ことに対してなんらかの負の価値判断をしていることは推測できると私も思います。

心臓病、高血圧、糖尿病の温床ですし、「痩せてるのが美人」というのが「社会常識」的な価値観ですからねぇ。

マティス展開催中・・・

http://event.yomiuri.co.jp/matisse/

こんなものもあります

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Cinema/3008/fellini_top.htm

> >ただし、(4)のタイプの文が、場合によっては、誤って文字通りに受け取られる可能性もあります。たとえば、日本語を学習中で、まだ日本語の表現のニュアンスがよくわからない外国人は、「この人はわたしに同情してくれている」と思うかもしれません。
>
> 「誤って」というのが適切かどうか疑問に思いますけれども、

大いにあり得ますね。というか、

> 「憐憫 を 禁じ 得ない」 という表現は、どう読んでも、 「哀れむこと(気の毒に思うこと)を禁止することができない」 = 「どうしても哀れみ(気の毒さ)を感じてしまう」という意味にしか読み取れません。

(某所におけるJUNEさん投稿)

を文字通りには絶対に受け取らないとしたら、そりゃ感性が相当にひねくれてますね(苦笑)。

> 「文字通りに受けとられる」場合もあることについては、私も同意です。

素直な感受性を持っていれば、そこがまず出発点になるのが普通ですね。


> >さて、問題の水原さんの発言です。
>
> > (※)限りなく精神障害予備軍に近づいておいでなのに対して、憐憫を禁じ得ませんな。
>
> > この発言は、緊張した人間関係において行われていますから、

どこが? いつ僕と毒芋虫さんのあいだに「緊張した人間関係」があったんですか?

> JUNEさんが示したような例外的なケースではありません。明らかに、話し手の意図とは無関係に、相手の毒芋虫さんを侮蔑する言語行為です。

どっちにしろ僕は毒芋虫氏が侮辱と感じることは当初から計算に入れてましたが? ショックを与えるのがまず最初の目的なんですから。

問題はそれがなぜ「差別」になるかで、そのあたりの論でユーリのパパさんはすさまじく混乱しています。

> 【通常】と【例外】を判別する基準は「緊張した人間関係であるかどうか?」なのだという理解でよいのでしょうか?

よくないでしょうね。だいたいJUNEさんも相当に人が悪いけど(笑)、イノセントな質問をぶつけるように見せながらユーリのパパさんを相当に緊張した状態に追い込んでいるんだから。

> この「緊張した人間関係において行われていますから」 という判断は、「憐憫を禁じ得ない」という【表現】だけではわからず、【文脈】を読み取らない限り、知り得ないのではないでしょうか?

というか、JUNEさんの質問はそもそも

(引用開始)−−−−

31183
返信
Re:「精神障害」をめぐる議論(ユーリのパパさんに質問)
URL
JUNE
2004/11/29 01:42


ユーリのパパさん、どうしてもわからないので、一点だけ教えてください。

>(C)(通常)「憐憫を禁じ得ない」と発言すれば、話し手が相手を侮蔑する意図を持っているかどうかとは関係なく、「侮蔑」という言語行為になる。

>これは、次のような例と同様です。
>・「ありがとう」という発言は、話し手が相手に感謝の気持ちを持っているかどうかとは関係なく、「感謝」という言語行為です。
>・「ごめんなさい」という発言は、話し手が相手に謝罪の気持ちを持っているかどうかとは関係なく、「謝罪」という言語行為です。

私には、(C)の文がどうしてそうなるのか理解できないのです。
私には、「憐憫を禁じえない」という表現は、「侮蔑」ではなくて、「どうしても憐憫の情を感じてしまうという心情を述べる」言語行為であるように読めるのです。

どうして、「憐憫を禁じ得ない」という表現が、それだけで「侮蔑」という言語行為だとわかるのでしょうか?
(引用終了)−−−−−

ですから、ユーリのパパさんはまったく質問に答えていません。

どうして「(通常)「憐憫を禁じ得ない」と発言すれば、話し手が相手を侮蔑する意図を持っているかどうかとは関係なく、「侮蔑」という言語行為になる」のですか? だいたいこの「通常」ってなんですか?

> 結局のところ、「憐憫を禁じえない」という【表現】からだけでは、「侮蔑」かどうかはわからない、【文脈】の読み取りが必要だということになるのでは?

文脈から解釈するしかありませんし、その解釈を公表した時点でその意見そのものが他者の解釈のためのテクストになります。

どっちにしろデリダ尊師の慧眼によると、正しい読解なんてものは存在せず、人間にできるのは誤解しかないそうなのですが。

ユーリのパパさん、この手の横レスが気に入らないのなら、そもそも僕に言及しなければいいんですよ(笑)。JUNEさんは一般論としてなぜ「憐憫」の読解として「侮蔑」ということだけになるのかを問うているのに、なんで僕が横レスしたくなるような言及をするんでしょうね?

で、ついでながら僕から質問。仮に「憐憫」には必ず「侮蔑」の意味が含まれるとしても、なぜ

「限りなく精神障害予備軍に近づいておいでなのに対して、憐憫を禁じ得ません」

が「精神障害者に対する差別」になるのか相変わらずさっぱり要領を得ないのですが? ただ当該の本人の精神状態に言及しただけのことが、なぜなんの関係もない「精神障害者」一般を巻き込むことになるのでしょうか?

「衒学的」なお答えを期待しております(笑)。

ちなみに「精神障害」が差別語として認識される文脈が受け手の側に存在しない限りまずあり得ないことは、すでに論証済みです。

…つーか、「精神障害」って意味、分かってます?