| 31257 | 返信 | Re:「精神障害」をめぐる議論(ユーリのパパさんに質問) | URL | ユーリのパパ | 2004/12/02 23:21 | |
| JUNEさん > > どうして、「憐憫を禁じ得ない」という表現が、それだけで「侮蔑」という言語行為だとわかるのでしょうか? > > >これらの文は、日常生活の気楽な対話では発話されません。 > > そうとは限らないように私には思えます。 > ↓例えばこんな感じの会話はあリ得るのでは? > http://otd3.jbbs.livedoor.jp/372472/bbs_plain?base=2816&range=1 その皇太子と友人Jの対話は、非常に親しい関係における冗談ぽい「憐憫」の表明ですね。MさんとDさんの対話と同様、例外的なケースです。 > そこで、「どういう場合が【通常】なのか?」の判断が問題になってくるのではないでしょうか? その判断は【文脈】からしかしようがないのではないかと私には思えるのです。 おっしゃる通り、「通常」か否かの判断は、「文脈」によります。「文脈」から通常の例と判断される場合はこうだ、と論じているわけです。 > 【通常】と【例外】を判別する基準は「緊張した人間関係であるかどうか?」なのだという理解でよいのでしょうか? > 私にはそこのところもよく理解できないのですが、仮にそれは置いておくとしても、 > > この「緊張した人間関係において行われていますから」 という判断は、「憐憫を禁じ得ない」という【表現】だけではわからず、【文脈】を読み取らない限り、知り得ないのではないでしょうか? 「文脈」から「緊張した人間関係」(MさんとDさん、皇太子と友人Jの対話のように、親しげな冗談を交わしている関係とは正反対)と判断し、「侮蔑」と解釈することができる、ということです。 > 結局のところ、「憐憫を禁じえない」という【表現】からだけでは、「侮蔑」かどうかはわからない、【文脈】の読み取りが必要だということになるのでは? まったくその通りです。 わたしは次のように議論を進めています。 ・通常のケース、標準的な解釈では「侮蔑」となる。 ・しかし、文脈によっては標準的な解釈が妥当しないケースがある。 ・多くの場合は、最終的に文脈で解釈が確定する(まれに、文脈を参照しても解釈が確定しない場合があり得る)。 議論のしかたとして、標準的なケースと標準的でないケースを区別せず一緒に論じたり、後者を先に論じたりすると、混乱して話が前に進まなくなります。 だから、上のような論じ方をしているわけで、「文脈が重要だ」という点では、JUNEさんと完全に意見が一致しています。 |
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