| 31259 | 返信 | Re:「精神障害」をめぐる議論(ユーリのパパさんに質問)−精神障害はどこに行ってしまったのか? | URL | ユーリのパパ | 2004/12/03 00:03 | |
| 上海さん 誤解があるようですので、あらためてわたしの考えを説明します。 わたしがなぜ水原氏の発言が差別発言と考えるかは、次の通りです。 (1)水原氏は「憐憫を禁じ得ませんな」という表現で相手を侮蔑した。 (2)その際、侮蔑した相手に「限りなく精神障害予備軍に近づいておいで」とレッテルを貼った。 (3)それは「精神障害予備軍」を自分が侮蔑した相手と同類と断定し、侮蔑の対象とみていることを意味するから、前者を侮蔑していることになる。 そして、(2)の「精神障害予備軍」の代わりにどんな語を代入しても、その語で指される人を侮蔑する文となります。たとえば「朝鮮人」「ホームレス」「ネットウヨク予備軍」「官僚」「サラリーマン」等々、です。 ですから、わたしは水原発言が精神障害者を侮蔑する発言であることは、「精神障害(予備軍)」の意味とは関係がない、と主張しています。上に挙げた「朝鮮人」などの語を代入した場合も、その語の意味とは関係なしに、その語で指される人を侮蔑する文となります。(ここで「意味」と言っているのは、指示対象のことではなく、意味内容のことです。) ただし、それが差別発言となるのは、「精神障害者」「朝鮮人」「ホームレス」のように、現実社会で差別されている、あるいは差別されがちな人々の場合だけです。 「官僚」のような社会的強者の場合は、官僚を侮蔑する発言にはなりますが、差別発言にはなりません。彼らは一瞬むっとするかもしれませんが、その発言を笑い飛ばす余裕があるからです。「ネットウヨク予備軍」の場合も同様です。発言を聞いてもへのかっぱでしょうから。 この問題を論じる際には、少なくとも2つの主題があります。 (イ)一般にこうしたタイプの文はなぜ差別発言になるか。 (ロ)そもそも精神障害とは何か、精神障害者はなぜ差別されるか、等々。 わたしは何よりも(イ)に関心があり、その問題を言語哲学の立場からできる限り一般的に議論しています。そして、こうした文の差別性は「精神障害(予備軍)」という語(およびそこに代入されるさまざまな語)の意味とは関係がない、と主張しています。 したがって、(ロ)はまったく別の問題となります。わたしはこの議論で「精神障害とは何か」などと論じる必要はないし、論じれば自己矛盾をおかすことになるわけです。 ですから、上海さんの「精神障害はどこに行ってしまったのか?」という問いに対する答えは、わたしの主張においては、もともと「精神障害とは何か」といった問題を論じる必要が論理的にないから、論じるつもりがない、ということにつきます。 「精神障害」という語の意味を無視して(イ)を論じることは不可能だ、という批判はあり得ます。その場合は、わたしの議論を逐一、論駁していただければよいだけの話です。 もし仮に、おまえは(イ)という瑣末な問題にしか関心がないが、自分は(ロ)という重要な問題に関心がある。自分と関心を共有しないおまえはけしからん。−という批判であれば、当惑するばかりです。 ある問題について、Aという側面に関心のある人もいれば、Bという側面に関心のある人もいます。それぞれの人がそれぞれの関心に沿って問題に取り組めばよいのではないでしょうか。 わたしは言語哲学や論理学に関心のある人間で、論じ方が非常に粘着的で、「回りくどい枝葉末節の部分に拘泥する」印象を与えるかもしれません。しかしそういう論じ方しかできないのです。その点はどうかご容赦ください。 |
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