| 31262 | 返信 | Re:訂正: | URL | 水原文人@パラノイア | 2004/12/03 00:55 | |
| > 間違いです。科学的・医学的定義は下のリンクをご覧ください。 > http://www.ncbi.nlm.nih.gov/entrez/query.fcgi?cmd=Retrieve&db=mesh&list_uids=68009294&dopt=Full > ご紹介のサイトには now, any derivative, natural or synthetic, of opium or morphine or any substance that has their effects と書いてありますが? ちなみに法的にnarcotics crimesは覚せい剤やコカインなどアッパー系薬物を含みます。 しかも日本語の麻薬と英語のnarcoticsは微妙に意味が違いますよ。 議論の本質とかけ離れた枝葉末節の重箱の隅欲求のようにも見えますが、根源的には共通している心理的動機があるように思います。 なぜ区別/境界をつけたがるのか? 我々の日常は精神の”異常”や“障害”、精神に影響を与え、依存性を持った薬物などなどに囲まれているのです。“文明”、”社会”自体が人によっては精神の“健全さ”を阻む抑圧に囲まれているのです。医師や医学と言う「専門分野」に任せておけば自分には関係ないとか、こういう区別があるから自分には関係ないとか、そう考えること自体が幻想に過ぎないのではないでしょうか? ユーリのパパさんの苦し紛れの「通常」と「例外」にも似たようなものがあります。「憐憫」自体に「侮蔑」の意味がなく、それが用いられる文脈によると考えるだけで済む話なのに、なぜ「通常」を求めたがるのか? そこに「自分は『通常』の側にいる」と思うことの安心感への欲望があるのではないか? 区分けをしてその区分けの「正常」なり「通常」なりのカテゴリーの側にいれば自分は安全だという欲求は理解できるものですが、しかしそんなもの幻想に過ぎません。 |
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