| 31322 | 返信 | 議論の水準低下は残念 Re:アフガニスタン女性革命協会(RAWA)の主張は真実か?Re:再質問Re:ICTYの違法性についてRe:Erna Parisは帝国主義の手先 Re:『歴史の影――恥辱と贖罪の場所で』 | URL | 森永和彦 | 2004/12/07 06:39 | |
| 残念ながら議論の水準が低下してきていますが続けます。 > > 1)私の専攻は刑法(刑事人権論、戦争犯罪論)です > 私はRAWA研究者ではありません。「RAWAと連帯する会」という運動団体のメンバーです。RAWAは研究対象ではなく、連帯運動の仲間です。RAWAの病院、学校、社会人教育教室、難民キャンプなどを4回ほど見学させてもらいました(もちろん、RAWAとの連帯活動の中からさまざまな研究の芽をもらっていますが)。 > > 従って、森永さんが指摘される論点(KGBとヘクマティヤル・・・)は私にとってはどうでもいいことです。というか、ほとんど誰にとってもどうでもいいことで、これを「論点」として思いつくのは森永さんだけでしょう。それに、私は「ヘクマティヤル」などと書いていません。 なぜ、どうでもいいことなのでしょうか? あなた自身が、31195で「創設者のミーナは、1987年に、ソ連KGBの手先によって暗殺されました。」と書いているではないですか。これは決してどうでもいい問題ではありません。RAWAとはいったいいかなる組織なのかに関わってくる問題です。 彼ら自身が Meena (...) in 1987 was assassinated in Quetta, Pakistan, by Afghan agents of the then KGB in connivance with fundamentalist band of Gulbuddin Hekmatyar... と主張しています。これはRAWAという組織の立場の根本にかかわる問題です。なぜなら、ソ連が「宗教反動勢力と共謀して、女性の権利の擁護者を暗殺した」のか否かということは、RAWAが取った反ソ姿勢の正当性にかかわるではありませんか。これはきわめて重大な問題です。 RAWAの主張を確認できる根拠がないのに、この主張をそのまま宣伝するというのは、ソ連に対する重大な誹謗となるのではないでしょうか。 > 2)歴史・記録・記憶 > > 森永さんのご指摘は、90年代日本における歴史や記憶をめぐる思想の闘いを想起させます。日本軍性奴隷制や南京大虐殺をめぐる論戦は、まさに歴史・記憶・責任(無責任)をめぐる思想戦でした。アーナ・パリス『歴史の影――恥辱と贖罪の場所で』がトータルに提起しているように、あるいはプリーモ・レーヴィが自死に至るまで懸命に問い続けたように、あるいは「女性国際戦犯法廷」に結集した日本とアジアの女性たちが日本国家に突きつけたように、そして先日、ベアトリス・トゥアソンさんと李溶洙さんが細田官房長官に面会して訴えたように、加害と被害の間での歴史への向き合い方が問われ続けてきました。 > > <歴史を語り、書いてきたのは誰か>という問いです。 > > 直ちに指摘できるのは、第1に、歴史は「勝者」「侵略者」によって記録され、語られてきたことです。「帝国主義侵略者」であろうと、「非―帝国主義侵略者」であろうと同じことがいえます。第2に、「男性」によって語られてきたことです。「女性」の歴史的経験は無視され、その声には耳を傾けることもなく、「男性による男性のための歴史」が記録されてきました。 > > RAWAについて言えば、第1に、この四半世紀のアフガニスタン史は、「勝者」「侵略者」によって書かれてきました。それに反する歴史は抹殺されてきました。ソ連や、一部のムジャヒディン、そしていまはアメリカの都合によって、<歴史が書き換えられています>。 では、どのように「歴史が書き換えられた」のか。ミーナがソ連の手先に暗殺されたという真実を覆い隠すために歴史が書き換えられたということでしょうか?その根拠は? > 第2に、アフガニスタン女性の声は無視されてきました。一般にどこの国や社会でも女性の声が無視されてきたのですが、それ以上に、アフガニスタンでは女性無視が貫徹してきました。 それは事実ですが、この議論とは関係がありません。 > 第3に、RAWAは設立当初から非合法とされ、投獄・拷問・暗殺の被害を受けてきました。そしてパキスタンへ逃げて難民として暮らしています。今でも非合法であり、アフガニスタンでは公然活動はできません。パキスタンでは多少の活動を目こぼしされていますが、今でも原理主義者に襲撃されたりします。 > > ちょうど良い機会なので、私の手元にある関連文献のリストをつくってみました(研究のために購入したわけではありません。ICTAの運動のためにカブールやイスラマバードの書店で購入したものです。アラビア語、ダリ、パシュトゥンはわからないので購入していません)。そのリストを末尾に掲げます。日本語文献は除外してあります。 > > これをご覧になっても、アフガニスタンについて誰が書いてきたのか、語ってきたのかを推測することができます。多くはニューヨークやロンドンや、ニューデリーやラホールで出版されてきたのです。そしてほとんどがムジャヒディンやタリバンやビン・ラディンについて言及しています。あたかも男たちの闘いだけで世界が成り立っているかのように。一部の例外を除けば、アフガニスタン女性の姿を見ることができません。RAWAや設立者のミーナの名前すら、登場しないのです。 > > 以上のことから言って、RAWAがその主張を文献によって「証明」できなかったとしてもそれはやむをえないことです。「証明」を求めるほうがどうかしています。RAWAがその設立当時の記録を保持していないことはやむをえないことです。それにもかかわらず、RAWAに「証明」を求めること自体が「抑圧」にほかなりません。RAWAの記憶を否定し、誤りを指摘することはもしかすると容易かもしれませんが、それは「日本国家によって書かれた歴史だけを絶対視して、慰安婦の声に耳を傾けない」のと同じことではないでしょうか。 これはまったく別の問題を混同しています。 いわゆる「慰安婦」(日帝性奴隷)に関しては、個々人の受けた被害を証明できない人もいるでしょうが、さまざまな証言の積み重ねや部分的であれ明らかになった資料が、性奴隷問題の実態をある程度明らかにしています。 この板で誰かが、歴史研究をジグソーパズルにたとえていました。多くの欠落部分はあるけれど、日帝性奴隷として被害を受けた人々が数万人以上存在したということはもう疑いの余地はありません。ジグソーパズルを完成させていけば、「巨乳アイドルだと思っていたが巨貫力士だった」ということはありうるにしても、そこに大きな悲劇があったことを疑うことはできません。 しかし、RAWAの主張する「創設者を殺したのはソ連の手先」という主張は、部分的な証拠もまったくなく、RAWAの立場を正当化するための政治的捏造である可能性が大であると言わざるをえないのです。RAWA創設者が暗殺されたことは誰も否定していませんが、それがソ連の手先によるものという部分がきわめて疑問であるということです。 いわば、あるインドネシア人女性が性奴隷として被害を受けたことは疑いの余地がなくても、その女性が「私を拉致したのは、イスラーム教徒を滅亡させようとするユダヤの陰謀だ」とか言い出したとしても、「証明を求めることは『抑圧』である」ということになるのでしょうか。 > 「・・・だけであることが指摘されています」とあるので、何かと思ったら、「マルクス主義メーリング・リスト」ですか。その主張をすることに「政治的利害」を有している「マルクス主義メーリング・リスト」に書いた投稿です。上に書いたようなアフガニスタンの歴史と現実をめぐる状況を一顧だにせず、コンピュータの前に座ってチャカチャカとキーボードを叩いて記事を量産している人物の投稿に史料的価値があるはずもありません。 あまりにあほらしいですが、内容に反論はないのですか?内容に反論できなければ、相手への人格攻撃をしてとりあえずごまかす、というのは時間の浪費です。 > それより何より、カブールに行って普通の市民に質問すればすぐにわかります。ヘクマティヤルが無節操な人物で、あちこちから資金援助を受け取り、かつ私物化していたこと、あっちにつき、こっちについてその場その場で立ち回ってきたことは、常識の部類に属します(「無節操」というのは私の「評価」であって、本人は戦略的に多方面からの資金援助を獲得している、ということだったのかもしれませんが)。「まったく証明されていません」というのは、常識に沿わない、机の上の議論に過ぎないと思います。 まったくのごまかしであり、論点ずらしです。 あなたははっきりと、31195で「創設者のミーナは、1987年に、ソ連KGBの手先によって暗殺されました。」と書いているではありませんか。 「ソ連KGBからも金をもらっていた無節操な勢力によって暗殺されました」などとは書いていません。そう訂正するのなら、いま訂正してください。 繰り返しますが、RAWA創設者を暗殺したのが「ソ連KGBの手先」なのか否かは、RAWAの正当性にかかわる重大問題です。 > 4)毛沢東主義者 > > 森永さんは次のように書いています。 > > > > > いえ、70年代および80年代の彼らの文書を読むならば、彼らが毛沢東主義者か、それに近い組織であったことを理解することは難しくありません。そもそも、前田教授が引用している「ソ連社会帝国主義侵略者」という用語自体、当時の毛沢東主義者の主張そのものではありませんか? > > > 第1に、「ソ連社会帝国主義侵略者」というのは、RAWAからの引用ではありません。森永さんがあちこちで「帝国主義侵略者」とか「反帝国主義」といった用語を多用しているので、それに合わせて私が造語したものです。誤解を招く表現だったとすればすみません。 > > 第2に、「70年代および80年代の彼らの文書を読むならば、・・・理解することは難しくありません」とありますが、読んだのですか? どこで読んだのでしょうか。何語で読んだのでしょうか。ぜひ教えてください。 ここに引用されているものです。 "fundamentalists are also sworn enemies of our people. They re making trouble In our anti - Russian resistance. I a word, to fight against the Russian aggressors is inseparable from struggle against the fundamentalists. Nevertheless for the time being we should give priority to the former." 口先では「宗教反動勢力との闘い」を述べていますが、「あくまで反ソが優先」という本音を示しています。 これは、「反米反ソだが、反ソが優先で、米帝との協力は否定しない」という70年代・80年代の毛沢東主義者の路線ときわめてよく似ています。 さらに、当時大統領のファシスト(Vichy協力者)のFrançois Mitterandが党首を勤めるフランス社会党の党大会に招待されたとあります。Mitterand政権は前任大統領の反ソ・核武力強化・親NATO政策を継続強化した右翼反動政権でした。この政権の与党に招かれたというところに、RAWAの政治的本質が伺えるのではないでしょうか。 > RAWAが毛沢東主義者であるといううわさは、当時から流れていましたが、それはミーナの夫のファイズが「アフガニスタン解放組織(Afghanistan Liberation Organization)」の中心メンバーだったからです。「夫が毛沢東主義者だから妻もそうだ」という決め付けがアフガニスタンでは通用したのです。妻が自分で自由に考えて、自分で行動するということを許せない男たちの間で。しかし、ミーナは、RAWAのもとになった女性グループを立ち上げたときに、ファイズの組織とは関係ないこと、政治団体ではなく、女性の権利擁護団体をつくることを、確認しています。ですからALOとRAWAは一緒に活動はしていません。ただ、ミーナがファイズから教わった言葉を使ってチラシを書いた可能性はあります(というか、その可能性は高いでしょう)。カブール大学を中退して活動に専念したミーナにとって、世界に関する知識の多くをファイズから得ていたでしょうから。 夫が毛沢東主義者だから妻(とその組織)もそうだ、とはもちろんいえないでしょうが、RAWAの方針によれば「宗教反動勢力との戦いよりもソ連との戦いを優先する」という、当時の毛沢東主義者と一致する方針を示しています。 > RAWAは長い間、このうわさを否定し、毛沢東主義者と呼ばれることを拒否してきました。上記1)のブロツキーは、RAWAの主張を伝えています。 「毛沢東主義者と呼ばれることを拒否して」きたのは、やはり前述のフランス社会党との関係のように、西側帝国主義との関係を維持したかったからだと推測できます。 > 5)人民民主党政権の評価 > > > > アフガーニスターン女性を解放しようとした人民民主党政権とそれを支援したソ連に敵対し、宗教反動勢力と共闘したのは誰なのでしょう?当時、ソ連が撤退し、人民民主党政権が崩壊したなら、暗黒の宗教独裁が実現し、女性の権利は完全に奪われてしまうことくらい、誰の目にも明らかだったのではないでしょうか?にもかかわらず、人民民主党政権に敵対して宗教反動勢力と共闘した勢力が、どうして女性の解放者であると自称する資格があるのか? > > > 最後に、人民民主党政権の評価にかかわる論点ですが、2点だけお尋ねします。 > > 第1に、「人民民主党が女性を解放しようとした」というのは事実でしょうか。主張の中に人民民主主義的な女性解放論が含まれていたとしても、それをもって「解放しようとした」とはいえません。人民民主党が女性解放のために何かをしたという具体的事実を教えていただけませんか。 これは奇妙なことを聞くものです。New York Timesですら、"It was the Kabul revolutionary government’s granting of new rights to women that pushed Orthodox Moslem men in the Pashtoon villages of eastern Afghanistan into picking up their guns."(09/02/1980)と認めているというのに。 USAのリベラル知識人も、 "It's OUR fault that the Taliban is ruling Afghanistan and not the PDPA (the party that was backed by the Soviet Union during the last Afghanistan war.) We helped the Taliban defeat the PDPA. We gave the Taliban the weapons they used to seize control over Afghanistan. We trained them. We gave them the power to abuse their own women."と認めているというのに。 Nancy Reiko Kato, National Radical Women Organizerも、 "Under the socialist PDPA, women were freed from bondage through access to education, outlawing of child marriages, reduction of bride prices, and land reform."と伝えています。 このような進歩的改革を実行した政権とその後援者のソ連に対して戦うことが、宗教反動勢力との戦いより優先とは、RAWAとはまったく何という連中なのでしょうか。 > 第2に、人民民主主義の変革の嵐の中で、多くの女性を含む人民が虐殺されたとされていることについて、森永さんはどうお考えでしょうか。解放すると称して、多数殺していたのではありませんか。 > > RAWAは次のように述べています。「当局は国内の政治舞台の浄化を始め、民衆に実力を行使し、野蛮な弾圧を始めた。秘密警察による知識人への迫害と逮捕が始まった。アジア最大の監獄の一つであるプルチャルキ監獄は罪のない民衆で溢れ、監房はわが若き世代の血に塗れた。一年後、内務省が発表したリストには暗殺された一万二千人の民衆の名前があった」(31頁)。 > > 人民民主党による大規模虐殺・拷問・粛清は、何もRAWAだけが主張しているのではなく、アフガン史の常識の部類に属します。いちいち指摘するまでもなく、多くの文献に記録されています。日本語文献でも、前田耕作・山根聡『アフガニスタン史』(河出書房新社、2002年)にも「国内各地では反政府活動が盛んになった。政府はこれを弾圧するべく、数千人を検挙、逮捕し、様々な残忍な拷問によって粛清した」とあり、さらに人民民主党内の権力抗争により「ハルク派はパルチャム派の二〇〇〇人を処刑したといわれる」とあります(138頁)。 もちろん人民民主党政権は完全ではなかったでしょう。「大規模虐殺・拷問・粛清」は、宗教反動勢力と戦うためにある程度は必要だったに違いありませんが、無実の犠牲者もいたに違いありません。しかし、当時の情勢下で、人民民主党政権は「よりまし」であったことを疑うことはできません。そのことは人民民主党政権の崩壊後に誰の目にも明らかになったはずです。 スターリン政権にいかに問題があったとしても、独ソ戦においてソ連側につく以外の選択肢はなかったでしょう。同様に、当時のアフガーニスターンにおいても、人民民主党政権とともに宗教反動勢力と戦う以外の選択肢はなかったはずです。 |
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