31467 返信 Re:議論の水準低下は残念 Re:アフガニスタン女性革命協会(RAWA)の主張は真実か?Re:再質問Re:ICTYの違法性についてRe:Erna Parisは帝国主義の手先 Re:『歴史の影――恥辱と贖罪の場所で』 URL 前田 朗 2004/12/17 18:46
森永和彦さん
ご教示ありがとうございます。いつもお返事が遅くなりまして失礼いたします。

****目次(少々長いのでつけてみました)*****

1 ようやく持ち直してきたのに
2 人格攻撃?
3 RAWAの歴史
 第1 歴史の視点
 第2 アフガニスタン史固有の問題
 第3 もうひとつ前提問題
 第4 アフガニスタン史の初歩知識
 第5 ミーナの暗殺
 第6 調査・取材なき評論家
4 毛沢東主義
5 おわりに

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1 ようやく持ち直してきたのに

> 残念ながら議論の水準が低下してきていますが続けます。
>

もともと私は90年代後半から今日まで日本で続いてきた「歴史・記憶・記録・責任」などをめぐる議論の周辺問題および応用問題に関する投稿をしています。アーナ・パリス『歴史の影――恥辱と贖罪の場所で』も、その参考文献です。せめてスタートラインにたつことが必要ですから。

従って、ようやく議論が持ち直してきたところですが、そろそろ締めくくったほうがよさそうです。



2 人格攻撃?

どこが人格攻撃なのか理解できないのですが、そういう反問をしても無駄でしょうから、人格攻撃でない理由を示しておきます。

第1に、私が指摘しているのはLouis Proyectさんの行為そのものへの疑問です。「コンピュータの前に座ってチャカチャカとキーボードを叩いて記事を量産」という表現がいささか揶揄的なため反感を生じたのかもしれませんが、たとえそうであっても、これは「人格」に対する攻撃ではなく、行為(表現行為)とその結果への批判です。

第2に、Proyectさんが「コンピュータの前に座ってチャカチャカとキーボードを叩いて記事を量産」していることは明々白々です。ただ、前回はその部分を省略しましたので、若干補足しておきます。

http://archives.econ.utah.edu/archives/marxism/2002/msg01428.htm
上記ページのAuthorをクリックすると、2001年10月15日から2002年6月20日までのProyectさんの膨大な数の投稿を確認することができます。
http://archives.econ.utah.edu/archives/marxism/2002/author.htm#01428
あるいは、最近の投稿は下記で見ることができます。
http://archives.econ.utah.edu/archives/marxism/2004w49/author.htm

あまりに多いので全部をチェックはしていませんが、30本ほど開いてみました。これらをチェックして直ちに明らかになることは、ソ連/ロシア、アメリカ、アフガニスタン、イラク、ブラジル、フィリピン、ジンバブエ、サウジアラビア、コロンビア、バルカン、オーストラリア、フランス、日本など、世界各地のありとあらゆる問題に、矢継ぎ早に発言し、時には一日に数カ国の問題について発言し続けていることです。よく言えば世界的な視野で該博な知識で語っているように見えるかもしれません(そのことを断定的に否定するつもりはありません)。

次に明らかなことは、Proyectさんの投稿の大半が、ウエッブサイト上で拾った情報を、そのまま、又は、少しコメントを付して流しているものだということです。この点は100%断定します。

結論としていえることは、ひじょうに精力的に情報提供活動を行なっている、かつ、意欲的で該博な知識を持っているかのように見える人物であること、同時に、現場とかかわりのない、取材という観念を微塵も持っていない、それゆえジャーナリストでも歴史家でもないことです。ご本人がどのように自己規定されているのか、当該ML上でどのように評価されているのか、森永さんがどのように評価されているのか、私は知りませんし、知る必要もありません。私はウエッブ情報横流し評論家には関心がないということだけ付け加えておきます(ウエッブ情報横流し評論家がよろしくないといっているのではありません。そういう人物も役に立ちますから、それはそれで結構です)。



3 RAWAの歴史

> > 従って、森永さんが指摘される論点(KGBとヘクマティヤル・・・)は私にとってはどうでもいいことです。というか、ほとんど誰にとってもどうでもいいことで、これを「論点」として思いつくのは森永さんだけでしょう。
>
> なぜ、どうでもいいことなのでしょうか?
> >
> ソ連が「宗教反動勢力と共謀して、女性の権利の擁護者を暗殺した」のか否かということは、RAWAが取った反ソ姿勢の正当性にかかわるではありませんか。これはきわめて重大な問題です。
>
> RAWAの主張を確認できる根拠がないのに、この主張をそのまま宣伝するというのは、ソ連に対する重大な誹謗となるのではないでしょうか。


上記のご主張が私にはまったく理解できないのですが、私にとってはどうでもいい問題であり、RAWAにとっても当然の話に過ぎないのですが、それが「ソ連と森永さんだけにとってはどうやら重大問題であるらしい」ということだけは理解できます。

「ソ連に対する重大な誹謗」ですか? 侵略し殺す側に対して、難民となって逃れ、拷問されてきた側が批判の声を上げただけです。ソ連側は圧倒的な情報量でいつでも自由に反論できました。


第1 歴史の視点

(1)侵略者・抑圧者の側の視点で書かれた「歴史」、(2)外部の他者の決め付けによる「歴史」、(3)男性の視点で書かれた「歴史」――こうした不公正でゆがんだ「歴史」をもとにした議論には価値を認めることはできないことです。私の書き方がうまくなかったのかもしれませんが、この点は理解していただけなかったようです。(1)ソ連にせよアメリカにせよ、侵略者側の資料を持ち出して詰問されても、とほほと思うしかありません。(2)インターネット上の情報をチャカチャカ検索して1970年代80年代のアフガニスタンについて語ることができるというのは、およそアフガニスタンの当事者を無視した外部だけの視点に立っているからです。(3)しかも、見事なまでに男性の視点です(私もなかなか女性の視点には立てませんが、理解するように努力はしています)。

第2 アフガニスタン史固有の問題

(1)戦争・内乱・秘密工作活動による資料の不存在・隠匿・散逸、(2)もっとも抑圧されたアフガニスタン女性の限界、(3)なおかつ海外に難民として逃れている状況、を指摘しました。より具体的に言えば、1987年当時のアフガニスタンの具体的状況を無視して、あたかもKGBの活動内容を文書で証明することが容易であるかのような議論をされていますが、KGBの活動の一部はその後のソ連崩壊と文書公開によって明らかになったものの、全体像はわからないままなのです。RAWAには、当時のKGBの活動内容を立証する必要もなければ、その手立てもないのです。だからといって、証拠のないことを決め付けていいといっているのではありません(後述)。

第3 もうひとつ前提問題

人民民主党による虐殺・投獄・拷問を批判せず、当時の状況の中では仕方がなかったかのように議論すること自体、受け入れることはできません。あっちで虐殺して、小さく「仕方がない」とつぶやき、そっちで無差別投獄して「他に選択肢はなかった」と開き直り、こっちで拷問して「女性を解放しようとした」と歪曲することで、いったい何を守ろうとしているのでしょうか。

第4 アフガニスタン史の初歩知識

アフガニスタン史に本当に関心を持っているのかどうかもいささか疑問を指摘せざるを得ません。森永さんは、前々回、「当時、ソ連が撤退し、人民民主党政権が崩壊したなら、暗黒の宗教独裁が実現し、女性の権利は完全に奪われてしまうことくらい、誰の目にも明らかだったのではないでしょうか」という想定を前提に議論を進めています。しかし、物事の順序がまったく逆です。

1977年 ダウード大統領
      RAWA設立
1978年 四月革命、タラキ大統領
1979年 アミン大統領
      12月 ソ連による侵略開始
      アフガニスタン解放戦争始まる
1986年 ナジブラ政権
1987年 ミーナ暗殺
1989年 ソ連撤退
1991年 ソ連崩壊
1992年 ムジャヒディン政権

(1)RAWAは1977年の創設時から弾圧され、非合法化され、後にパキスタンへ逃れています。つまり、人民民主党による人民虐殺・投獄・拷問の嵐が吹きぬけた時代、すでにRAWAは人民民主党と闘っていたのです。それはソ連侵攻前からです。「当時、ソ連が撤退し・・・」という条件は歴史経過とまったく異なります。

(2)ソ連は1989年に侵略戦争に失敗して撤退し、1991年には崩壊しています。ソ連の傀儡政権もすぐに崩壊しました。国際社会への責任を果たせない崩壊政権をあてにしてアフガニスタンの政権を維持しようなどという妄想は現実に裏切られたのです。傀儡政権の無責任を棚にあげてRAWAを批判するのは、どう考えても、妄想に基づく議論としか言いようがないというのが正直なところです。

第5 ミーナの暗殺

A 当時のRAWAがおかれていた具体的状況は、チャビスさんやブロツキーさんの著作に様々な表現で出ています。カブールに残っていたメンバーがいつも直面していたのはKHADによる弾圧です。一例をあげると、RAWAの機関誌「女性の声」2号には、ファリダ・アーマディがKHADによって身柄拘束され、拷問され、後に釈放されて、国際赤十字によってフランスの病院に送られて治療を受けたことが報告されています。ファリダはアフガニスタンには戻らず、RAWAの欧州メンバーになりました。

(森永さん以外の人のために補足説明しますと、KHADは、当時のアフガニスタン秘密警察の略称英語表記です。KhADと書くこともあります。言うまでもなく、KGBの指導の下につくられ、訓練を受けた諜報機関です。こうした事実はアフガニスタン史の常識であって、いまさら証明するべき対象ではありません。)

B パキスタンに難民として逃れ、難民キャンプで教育活動と裁縫業を経営して女性の権利を主張していたRAWAが直面した敵は、イスラム原理主義を呼号していたヘクマティヤル派でした。RAWAの学校が襲撃されたり、中傷ビラがまかれたりしました。「RAWAはレズビアンである」といった非難が行なわれたこともあります。イスラム社会ではこれが最大級の非難だったわけです。ヘクマティヤルがペシャワルやクエッタの難民キャンプに大きな影響力を誇っていたことは知られるとおりです。

C ミーナが行方不明になったのは1987年2月4日でした。6ヵ月後、パキスタンの新聞記事に、国境を越えようとした2人の男性が、爆発物を車に隠していたことから逮捕され、取調べの後に、RAWAメンバー殺害を自白したことが報じられました。RAWAは警察に問い合わせましたが何も答えがありません。後に何度か交渉して、ようやく、2人が警察を案内した場所から若い女性の遺体が発見されたことを知らされ、その指輪を見せられています。ミーナの指輪です。遺体引取りは拒否され、埋葬場所も教えられませんでした。

D 犯人とされた2人、アーメド・スルタンとモハメド・ハマユンは釈放されたといわれました。なぜ釈放されたのかわかりません。RAWAにはわからないことばかりです。しかも、後に、2002年3月7日、この2人はクエッタでパキスタン政府によって処刑されています。なぜ87年に2人が釈放されたのか、なぜ15年後に2人が処刑されたのかも、わかりません。

E アーメド・スルタンは、ミーナの妹の婚約者でした。このためRAWAメンバーもスルタンには気を許していて、スルタンはRAWAの内情を知ることができ、ミーナの行動も知ることができました。ハマユンはスルタンの従兄弟で、KHADとヘクマティヤル派の双方とつながっていました。そのことを当時、RAWAは知らなかったため、ミーナが行方不明になったとき、誰もスルタンに疑いを向けませんでした。KHADとヘクマティヤル派の結びつきや、両者に雇われた暗殺者については、チャビスさんも、ブロツキーさんも、当時のアフガニスタン=パキスタンではよくあったことと見ています。当時の現場では常識だからです。

F 細かなことは省きますが、以上がRAWAの歴史=物語です。これに疑問をさしはさむことは容易なことです。ひとつひとつが証明された事実なのかと問えばいいのですから。しかし、何も調べずに疑問だけ提示するのは非常に無責任な話ではないでしょうか。そもそもKGBとヘクマティヤルの関係が歴史上の争点になるなどと考えるのは、いまだにKGBの呪縛から逃れられない、ごく一部の人だけです。そもそも論点ではないのです。

第6 調査・取材なき評論家

RAWAの歴史に疑問を指摘するのであれば、ほんのわずかでも自分で調べるべきでしょう。評論家には評論家の役割がありますから、それぞれの見識で発言すればいいでしょうが、歴史の事実について独自の主張をするのなら少しは調べるのが普通です。

私にとってはどうでもいい問題ですが、これが重要な問題だと考える人はきちんと次の調査をするべきでしょう。

G ミーナ暗殺を伝えるパキスタン新聞を確認すること。記者は誰か、現在しているか。

H パキスタン警察の捜査結果はどうであったのか。87年にしても、2002年にしても、RAWAには教えられなかった部分の追及。

I 犯人とされた2人へのインタビュー。Proyectさんが疑問を提起したのは2001年11月19日です。スルタンもハマユンも生きていましたから、Proyectさんにほんの僅かでも現場という感覚があり、もし万が一、取材という言葉を知っていたなら、取材すればよかったでしょうに。

J RAWAへの取材。ProyectさんはRAWAに取材した形跡もありません。ほかのメールをすべてチェックはしていないので、確言はできませんが。

K ヘクマティヤル派の主張の確認や取材。RAWAは一貫してKGBとヘクマティヤル派を糾弾してきましたから、ヘクマティヤル派がどのような反論をしているかを確認すればいいでしょう。

以上に限らず、調査し、取材するべきことはいくつもあるでしょう。ここで重要なのは、Proyectさんの辞書には、調査とか取材という言葉がないこと、それだけです。


4 毛沢東主義

毛沢東主義者の主張とRAWAの主張に共通点があるからRAWAは毛沢東主義者だ、という素晴らしい推論ですね。ここでも具体的な歴史の事実を見過ごして、一部を恣意的に拾い上げる手法が使われていませんか。まるで、ソ連のアフガニスタン侵略当時、アフガニスタンには毛沢東主義者とRAWAしかいなかったかのようです。

当時のカブールは実に多様な思想がごった煮状態でした。マルクス主義、毛沢東主義、イスラム、自由主義さまざまな立場の議論がなされていたことは改めて証明するまでもありません。前回紹介した文献を少し見れば明らかです。そして重要なことは、人民民主党のカルク派という最悪の虐殺集団以外の、多くの党派が「ソ連侵略反対」を掲げて戦ったのです。カルク派はそれ以前から逆上して内ゲバに走ってパルチャム派まで虐殺していました。

カルク派以外のマルクス主義者の少なくとも一部はソ連侵略に反対。
毛沢東主義者はソ連侵略に反対。
イスラム教徒のほとんどがソ連侵略に反対。
自由主義者はソ連侵略に反対。
地方の豪族たちはソ連侵略に反対。
ムジャヒディンたち諸派はソ連侵略に反対。
RAWAはソ連侵略に反対。

こうした事実を前に、「毛沢東主義者もRAWAもソ連に反対したから共通だ」というのは、木を見て森を見ずというよりも、落ち葉1枚を見て枝も木も森も見ずというべきではないでしょうか。

キリスト者は自衛隊イラク派兵に反対。
仏教者の一部は自衛隊イラク派兵に反対。
スターリン主義者は自衛隊イラク派兵に反対。
トロツキストは自衛隊イラク派兵に反対。
ワールドピースナウの若者はイラク派兵に反対。
イラク国際戦犯民衆法廷実行委員会はイラク派兵に反対。

では、イラク国際戦犯民衆法廷実行委員会はキリスト者なのでしょうか、スターリン主義者なのでしょうか。


> さらに、当時大統領のファシスト(Vichy協力者)のFrançois Mitterandが党首を勤めるフランス社会党の党大会に招待されたとあります。Mitterand政権は前任大統領の反ソ・核武力強化・親NATO政策を継続強化した右翼反動政権でした。この政権の与党に招かれたというところに、RAWAの政治的本質が伺えるのではないでしょうか。
>

ミッテランのフランス社会党に招かれたというところに、RAWAの政治的本質が伺えるのですか?

同じ1981年のフランス社会党大会には、ボリス・ポノマリョフ率いるソ連共産党代表団が招かれています。ポノマリョフ率いるソ連共産党の政治的本質は「反ソ」・「右翼反動」だったのですね?




5 おわりに

冒頭に書いたように、そろそろ締めくくったほうがよさそうですので、これで最後にします。

いろいろとご教示いただきましてありがとうございました。
ご質問に十分お答えできなかったことをお詫びいたします。

Proyectさんと私の違いは、第1に、現場でものを考えるか否かです。イスラマバードやペシャワルのアフガン難民キャンプ、カブールの瓦礫、クンドゥズの荒廃、マザリシャリフ郊外のカライジャンギ収容所を見ることで、世界の見え方が違ってくるはずです。

第2に、取材するか否かです。人々に会って、話を聴くことで違った問題意識を持つこともあるでしょう。

第3に、文献調査をするか否かです。インターネットで得られる情報にも重要なものはもちろんたくさんありますが、1987年のアフガニスタンに関する情報を「コンピュータの前に座ってチャカチャカとキーボード叩いて」発言するのは問題外。上記G〜Kを考えれば歴然としています。

さて、森永さんは・・・?


ちなみに、ICTYに関する文献をひとつご紹介しておきます。

中山康子「旧ユーゴスラヴィア国際刑事裁判所とミロシェヴィチ裁判」INTERJURIST No.148(2004年12月)

INTERJURISUTは、日本国際法律家協会の機関紙です。
http://homepage3.nifty.com/jalisa/
ただし、上記掲載号はまだウエッブサイトに出ていませんが。

中山論文は、森永さんと同様の主張を展開していますのでご参考までに。