31468 返信 Re:TBS社員4人を書類送検 石原都知事の名誉棄損容疑 URL 烏龍茶 2004/12/17 22:03
横レス失礼します。

【ノンポリさん提示】
> 「百%正当化するつもり」と、
> 「百%正当化するつもりはない」には、
> 意味合いにどれほどの差異があるのでしょうか?
「百%正当化するつもり」であれば、日韓併合について「そのすべてを正当化する」という
意味になるでしょう。また
「百%正当化するつもりはない」であれば、「日韓併合には正当化できない部分もある」という前提に立った上で、割合は不明であるものの「何%かは正当化できる」と発話者は考えていることになります。
従って、石原都知事は、問題の発言上の文脈を見る限り、日韓併合につき少なくとも部分的には正当化できる(正しいと言える部分もあった、と言い替えることもできるでしょう)、と考えていることになります。では実際のところ、石原都知事は日韓併合について、どのように考えているのでしょうか。問題になった番組中の彼の発言をみれば、それは明らかです。

実際の番組(サンデーモーニング)中の彼の発言は
「彼ら(当時の朝鮮住民)の総意で日本を選んだ」「どちらかといえば彼らの先祖の責任」とした上で「百%正当化するつもりはない」と述べています。

さらに、
「しかも、このごろ、日本人を評価するべきであるとの日本の植民地政策についての正当な評価を書いた本も、向こうでは発禁ですけど、日本では発行されました。しかも、アメリカの大学の教授は、植民地主義を考えるなら、君らのうけた植民地主義は最も秩序があり、最も人間的だったということを相対的に悟るべきだと言っている。」とも述べています。
この発言のポイントは、

「日本人を評価するべきであるという趣旨で日本の植民地支配について述べた本(石原氏)」
を、「正当な評価である」とした上で紹介していること

が、まずあげられます。「単なる本の紹介である」という逃げ道を残しつつ、自分の意見すなわち「日本の植民地支配は評価されるべきだ」を述べていることになるわけです。

また、
「日本によって朝鮮がうけた植民地支配」を「もっとも秩序があり人間的だった」という
「アメリカの大学教授の言葉として紹介している」

もあげることができます。
上と同じく、「アメリカ人大学教授がいったことを紹介しただけだよ」という逃げ道はあるものの、「日本の植民地支配は秩序だって人間的だった」という意見を紹介するかたちで自分の意見を述べていることに他なりません。
これが彼自身の意見であることは、彼の著書「父なくして国立たず」p164において、日本の植民地支配について
「是を是とし非を非とする公平な、感情に溺れない、つまり母親と違った父親的な父性というものが植民地支配という国家の行政のなかにも出ていた」と述べていることからも明らかです。

まとめれば、石原氏はこれまで示した来た発言からすれば、日本の植民地(朝鮮)支配につき
1 日韓併合は彼ら(朝鮮側)が望んだ
2 日韓併合はどちらかといえば彼らの責任
3 その後の日本による植民地支配は人間的で秩序だっており、公平で感情におぼれないも
  のであり、もっと評価されなければならない
としているわけです。

しかし彼が「百%正当化するつもりはない」と述べたのも事実です。これはすべてを正当化するつもりはない、という意味の日本語文です。従って、もと発言につけられた

【当たり前の日本語講座】
>意味を同じくして言い方を変えてみた。これならわかるだろうか?
>正当化するつもりは100%
>正当化するつもりは100%ない

などというレスは、見るも哀れなごまかしにすぎないわけですが、いずれにしろ石原氏は心中、
「日韓併合について正当化できない部分もある」と考えていることになるのも間違いありません。ではそれはどういう部分なのでしょうか。

問題の番組での石原氏の発言を見ると、彼は
「私は日韓合併を100%正当化するつもりはない。」という問題の発言に続けて、
「彼らの感情からすれば、そりゃ、やっぱり忌々しいし、屈辱でもありましょう。」
と続けています。つまり朝鮮の人々にとっては日韓併合は屈辱的であったろう、そのことは否定しない、という意味になります。つまり「朝鮮の人々に屈辱を与えたことは確か」というのが【正当化できない部分である】と考えていることになります。でも、「正当化できない」のはそれだけなのでしょうか。
かれは続けて
「しかし、どちらかといえばこれは彼らの先祖の責任の責任であって」としています。
つまり、彼の発言の文脈は
「併合されて屈辱を味わったかもしれないが、それはどちらかといえば彼ら自身の責任である」
となるわけです。

つまり、彼自身が【正当化できない】と考えていると思われる部分にすら、彼自身が「それはどっちかっていえばあっちの責任」という制限をかけてしまっているわけです。
とすれば、彼が日韓併合を正当化できないと考えている部分など、

ほ と ん ど な い 

という結論になってしまいます。

「百%正当化するつもりはない」と述べた「はない」の部分が、報道で省略されてしまったことで、一見すると言葉の意味がひっくり返ったように見えてしまいます。
もちろん、報道上【実際の発言と異なる報道を行った】事は批判されてしかるべきでしょう。
発言を報道する以上、正確に行わなければならないのは論ずるまでもありません。

しかし、上記で見てきたように(またノンポリ氏が指摘するごとく)、実際上の意味においては
ほとんど変わるところがないわけです。
今回の訴訟につき、このあたりの問題をすり替える事が原告側の意図にあるとすれば(事実上すり替わってしまっているわけですが)、それはたいへん卑劣な行為といわなければなりません。

(以上のソース)
http://yucarimint.hp.infoseek.co.jp/ishihara/