31486 返信 Re:ある感想。上海さんへ。(31208投稿より)国の尊厳。 URL 水原文人@パラノイア 2004/12/18 12:46
コモンラバクさん、横レスですが・・・

> > 最近は英語の方が多いですが・・・
>
> ま、少数派でしょうね。

上海さんの日常生活が英語で進行していることをお忘れなく。オーストラリアに住んでいるんですから。

> > >日本という国家と民族が今までに遭遇した様々な歴史的事件。これらが無数に累積して現在の我々を形成しているのだと自分は理解しています。要するに自分たちのソフトウェアは日本の社会と文化と歴史によってインストールされた代物なんです。
> > じゃあ、そんな鬱陶しいものは、早々に捨ててしまったら如何ですか?
> > 迷惑でしかないですね。そんなモノは。
>
> 狼に育てられた子供の話をご存知ですか? 「女は女に生まれるのではない、女になるのだ」という言葉も当然ご存知ですよね。

再び申し上げますが、上海さんの日常生活がオーストラリアで進行していることをお忘れなく。僕なんぞ海外に「住んで」もいないのに、一週間でも海外に入れば、それだけで「日本人」であることはたぶんに相対化され、かなり距離を置くようになりますよ。

> 少なくとも自分にとって日本人であるということは自我を形成する上で必要かくべからざる要素です。己の血肉を迷惑だからと捨てられる人間が一体どこに?

「捨てる」ことはできないしする必要もありませんが、「日本人であるということは自我を形成する上で必要かくべからざる要素」であることと、そこにある種の信仰的な熱情を抱いて固執するかどうかは、まったくの別次元の問題だと思います。

> そもそもヒトが他の生物と一線を画するのは、人間が歴史と文化をもち、これを面々と継承している点です。

その通りです。そしてあなたにとっても僕にとっても上海さんにとっても、それは「日本人」として歴史と文化をもっているだけでなく、それ以上に「人間」として歴史と文化を持っていることであることをお忘れなく。しかもそうした「大文字」の歴史と文化は、実は個々人の歴史と文化の集大成でしかありません。

> 一般的な動物はただの一匹として生き抜くしかない。

それは違うでしょう。多くの動物は群れで生活するように本能が働きます。その点で人間と「一般的な動物」を区分けするのは困難ですし、むしろ逆でしょう。「一般的な動物」のうち群れ生活をするものは生涯自分の群れから抜け出すことは生存の必然上ほぼ不可能らしいですが、人間は違います。なぜならば人間にはまさにあなたのおっしゃっている「自我の形成」が、人間が人間であるためには不可欠だからです。

> しかし人間は、出現以来数百万年蓄積してきた知識と技術と文化を活用することで、無数の同族達の力を活用できる。だから人間は特別な生き物なんです。ヒトが20年近い、他の動物では考えられないような長い生長期間を持つのも、こうしたソフトウェアのインストールに多くの時間を要するが故です。

おっしゃる通りではありますが、「ソフトウェアのインストール」は「自我」というOSを持って初めて可能になります。そして人間の「自我」は個々人に固有のものであって「民族」で区分けできるものではありません。

別の考え方をすればこの場合の「OS」は言語ですが、近代以前には「民族の言語」という意味での「母語」という概念はありませんでしたし、それはただ「最初に覚えた言語」程度の意味しか実際には持ち得ませんでした。使っていなければ忘れることもありますし、他の言語を「OS」にすることもまったく可能です。

> そして我々は日本人だ。日本人であるという要素はこのソフトウェアのインストールの中できわめて大きな比率を占めると自分は考えます。
> ヒトであることの根本、日本人が培った歴史と文化、そしてそれをインストールされた結果として形成された現在の自分の意志と自我。これを「うっとうしいだけ」?「迷惑だから捨てる」?

パレスティナ問題などを見ていると、「うっとうしいだけ」どころか恐ろしく危険であるとすら思えて来ますよ。

> > > 我々と同じ文化的・歴史的背景を有する人々と全く異質な社会の中で育った人々。区別せざるを得ないのは当然でしょう。
> > いいえ、区別する必要なんて、これっぽっちもありません。

差異があることは認識すべきでしょうが、区別の必要はないと思いますし、区別することによって個々人の差異が見えてこないのは、すでに「認識障害」とまでは言わずとも「偏見」の領域に足を踏み込むことになりますし、「普遍」的な「理想」を追い求めて来た「人類」としての歴史と文化を「迷惑」だから捨て去っているんじゃないか、というようにも見えて来ますよ。

> > > 上記のとうり、人の人格と社会・文化・歴史は明確に分離する事が困難だと自分は思います。

そうであるのなら、自国の言語はあなたにとって「人の人格と社会・文化・歴史は明確に分離する事が困難」なもののはずですが、それならば「とおり」と標準日本語表記で正書されているはずが、「とうり」というあなたご自身の書き方をされてますね。あなたの発音からすれっば「とうり」の方が実感に近いからそう書かれたのでしょう。つまり「民族」の「歴史と文化」の根幹である言語においてですら、個々人の差異が実は存在しているのです。

だいたい「とおり」が標準日本語表記の正書になったのだって、かなり最近のことかも知れませんし、つまり相対的なものであって絶対的なものではない。

>>> そうであれば、人が誇りと自尊心を持って生きるには祖国への愛国心は必要不可欠だとは思いませんか?
> > 全く思いません。
> > 自分が育った街や、学校での友達、社会に出てからの友達、それらに対する愛着や同情
> > 等の感情は人並みにありますが、「祖国」なんてなんとも思いませんが・・・
> > なんですか?「祖国」って?
> > たまたま生まれた所?
> > 一番長く住んだ場所?
>
> 何を見てるんですか。自らを培った社会的,文化的環境。そしてそれを共有できる集団によって形成された政治的領域。それを自分は祖国と呼ぶのですが。

だとしたらたとえば僕には「祖国」はありません。どうしますか?

> > > それに、民族というのはインフラという側面もあります。日本語で万事通用する、日本的価値観・倫理観を共有する人々が作った社会の中だからこそ仕事もプライベートも円滑に進む。最近中国と関係の深い仕事をやってるとそれを特に痛感するんですよね。
> > そりゃあ、そうでしょう。
> > それは、ただ、中国人との付き合いに慣れていないだけです。
> > じゃあ、アメリカ人とは価値観や倫理観の違いは感じませんか?
> > レバノン人とは? 朝鮮人とは? イタリア人とは? ロシア人とは?
> >
> > んなもん、生きてきた背景が違うんだから、いろいろ違って当たり前でしょう?
>
> あたりまえです。だから我々はレバノンでもアメリカでも朝鮮でもイタリアでもロシアでもなく、日本という国を作ってるんです。

すでに百年以上、人類はこの地球上をいろいろ動き回ることで生存しています。日本ですらもう150年以上、鎖国はやっていません。「日本」だけでなく「人類」全体が我々の社会と文化になっているのではないでしょうか?

> てーか、中国は付き合いあるからサンプルとして出しただけなんだけど。

交易と加工産業によって経済を支えている我が国の宿命として、付き合いがあるのは「中国」だけでなくレバノンでもアメリカでも朝鮮でもイタリアでもロシアでもイスラエルでもパレスティナでもイラクでもイランでも、付き合いはあります。日本人であってもそこに住むことや、そこの人々と仲良くなることはありますし、影響も受けます。

> > > 日本人として生まれ、日本人的人格をインストールされてしまい、そこから逃れる事が多分一生できない以上、日本的人間の生存領域の維持と安定を強く望むのはそれほど変な事でしょうか?
> > そう思う人はそれでいいんじゃないですか?

よかないですね。今の世界の現実のなかで「そう思う」ことは現実ではないフィクションに必死で固執することにしかなりません。

> 日本は民族国家です。良くも悪くも実態が伴った民族国家だ。日本国籍所持者=日本民族ではないが、イコールに限りなく近いことは事実です。日本人であることをなぜ、ただの背番号としか考えられないんですかね?

日本人であることに固執し過ぎて自分が「人間」であり「個人」でしかないことを自覚できないとしたら、それは重すぎる背番号を背負って押しつぶされていることになると思います。