31512 返信 Re:ある感想。上海さんへ。(31208投稿より)国の尊厳。 URL 水原文人@パラノイア 2004/12/19 13:04
どうにも話が噛み合っていないような…。


> > 再び申し上げますが、上海さんの日常生活がオーストラリアで進行していることをお忘れなく。僕なんぞ海外に「住んで」もいないのに、一週間でも海外に入れば、それだけで「日本人」であることはたぶんに相対化され、かなり距離を置くようになりますよ。
>
> そうなんですか。自分の場合は日がたつにつれ、自分が日本人以外の何者でもないことを痛感させられますけど・・・・・・。

日本人であることを自覚すること自体は、どう考えても他国人に囲まれた状態の方が「痛感」はしますよ。「痛」かどうかは知らないけど。だって「どこから来ましたか?」と言われれば「東京です」と答えるのはほとんど毎日でしょう?

それと「たぶんに相対化され、かなり距離を置くように」なることは、まるで別次元の話なんですが…。だって「自らを培った社会的,文化的環境。そしてそれを共有できる集団によって形成された政治的領域」にいるわけでもないし、日本語を使い続けるわけでもない。自らを形成する「社会的,文化的環境」が一時的にせよ変わるわけですから、自分自身だって変わらざるを得ませんからね。

人間は常に周囲の環境から学習を続け、自分を変え続ける生物です。昨日の私と今日の私は、すでに同一ではない。

> > その通りです。そしてあなたにとっても僕にとっても上海さんにとっても、それは「日本人」として歴史と文化をもっているだけでなく、それ以上に「人間」として歴史と文化を持っていることであることをお忘れなく。しかもそうした「大文字」の歴史と文化は、実は個々人の歴史と文化の集大成でしかありません。
>
> 全世界の人々に共通した「人間としての歴史と文化」があればそのような言い方も出来るでしょうが、

あの…。僕は「個々人の歴史と文化」に言及してるんですが…。

> かの大戦という事象を一つ取ってみても諸民族の経験や体験は千差万別。

…である以上に、その状況(全世界のほとんどの人間が大なり小なりそれを体験した、世界史上きわめて稀な、おそらく初めての「事件」である「第2次世界大戦)に巻き込まれた個人個人の体験が千差万別である、と僕は言ってるんですが・・・

> ある民族にとっては屈辱的敗北であり、またある民族にとっては民族の歴史に残る痛恨の過ちであり、また別の民族にとっては侵略者に勝利した輝かしい歴史であり、あるいは自由のための正義の戦いであり、あるいはお上(独裁者)の身勝手に振り回された天災のような代物だったり・・・・・・。
> 世界各国が通って来た道はあまりにも違う。そして現在立っている場所も。

その個々の民族のなかでも、一人一人の個人で実際に体験したこと、そこに感じたことは違うはずである、と僕は言ってるんですが…。

> 全世界が共有できるような歴史なり文化が無い以上、我々は日本人であるという所によって立つしかないんじゃないのでしょうか?

そうですか? 被爆者なら被爆者、出征した人なら出征した人、引揚者なら引揚者、戦争犯罪者とされた人なら戦争犯罪者で、「日本人」のなかでさえ千差万別なんですから、個人の歴史が無数にあるわけですし、直接体験のない我々からすれば自分の家族の歴史とか、家族でなくてもその個人の歴史の一部だけでも分かち合う機会を与えてくれた方々以外に、リアリティを持ってその体験の実際を感じられることなんてほとんどないと思いますけど?

「民族」であるとか「国家」の歴史、政治史は、そうした一人一人の体験をより深く理解したり、分析したり文脈のなかに置く上で役に立つだけだと思いますが。

我々がよって立つところは結局、自分自身しかないはずですよ。

> 歴史と文化とは人々が歩いてきた道で、それが色々だから民族という物が存在するんだと思うんですけど。

現代使われている意味での「民族」なんて概念は、近代以降の産物ですよ。

> どうも、ここは誤解を招いたようですね(汗)自分が言いたかったのは情報の集積体としての生物。本能という名のプログラムにのみ支配され、祖先から継承される情報が極めて少ない、

あのですね…「本能」はDNAに組み込まれているはずですから、祖先から継承されているはずなんですが…。人間の脳の構造にだって、かつてご先祖が爬虫類であった時代のものがちゃんと残ってるんですが…。

> 故に動物が群れから離れて生きられないのは逆に彼らが「一匹」だからであり、人間にアウトロー的(笑)生き方が可能なのは,群れから離れてもヒトは一人ではないから、とも言えるのかもしれませんね。

たぶんに無自覚な「本能」ではなく、意識し知性化された自らの意思を持ち、環境からの学習によって常に自らの「自我」を更新し続ける大脳の肥大した生物であることが、人間を生物のなかで例外的な存在としているだと思いますが…。

> > 別の考え方をすればこの場合の「OS」は言語ですが、近代以前には「民族の言語」という意味での「母語」という概念はありませんでしたし、それはただ「最初に覚えた言語」程度の意味しか実際には持ち得ませんでした。
>
> 民族が形成されるには50年いらない、が自分の持論なんです。よって、近代以前は・・・・・・って話にあまり興味はなかったりします。

なにがおっしゃりたいのかさっぱり分からなくなって来ました。たとえば「パレスティナ人」という民族意識は1948年の戦争以前にはまずありませんでしたしが、1948年の戦争の渦中にすでに形成され始めていますから、未だに「パレスティナ人のアイデンティティ」とはなんであるかについての模索は続いているにせよ、50年すらかからないと思いますよ。

ただそれならば、「出現以来数百万年蓄積してきた知識と技術と文化」だとか「歴史と文化とは人々が歩いてきた道」に対するコモンラバックさんのこだわりが、まったく理解できなくなります。

仮に50年だとしても、それだけでも人間一人のライフスパンのなかに納まる時間ですよね。なのになぜ「祖先から引き継ぐ」ことがそんなに重要なんですか?

> 確かに江戸時代以前、人々が小さな村落で自給自足に近い生活を送っていた頃ならそうかもしれません。しかし時代は近代に入り、物流と人の交流が活発になるとインフラとして言語や倫理観を統一する必要が生じ、日本の場合は国家がそれを主導して行いました。

そうですよ。日本が19世紀半ばに開国した時に、周囲の国際的環境に併せて国民国家イデオロギーを急遽作り出す必要はあったと思いますし、その点では「作る会」教科書は間違っていません。というか、通常ならマッチョ的ナショナリズムの歴史理解のなかでは当然のように忌避されるはずの「やむをえなかった」的な、ある種自分たちを被害者的立場に置いた上でその生存の選択としての自己弁明を図る論法がストレートに表明された点で、僕は率直に驚きましたし、ずいぶん奇妙な感触を未だに持ってるんですが。「これが保守反動右翼の書くことか?」と。確か「天声人語」もそういう評価をしてましたね。

> 幻想? 確かにそうかもしれません。しかし明治維新以来1世紀半近く。我々はその幻想を現実として生きてきました。人々から根っから信じられる幻想は半世紀も経てば現実に変わる。現実に変わってしまったそれをいまさら排除することは、それこそ「レイプで出来た子だから」と間引いてしまうような発想だとは思えませんか?

思いませんね。「レイプで出来た子」にはその子供自身の個人としての自我も生命もありますが、「民族意識」は観念であり意識の問題に過ぎません。そして人間は常に周囲の環境から学習することで自我、自らのアイデンティティ意識を更新していく能力を本来持っていますし、それは人間の人間としての生存に不可欠なものです。

それに御説の通り「民族が形成されるには50年いらない、が自分の持論」なのであれば、それ自体は日本列島に当時居住していた日本人が国際的環境の中で生存するために必要であった「日本人」としての国民国家意識が暴走した結果逆に日本人の生存を危機に追い込んだ過ちから、すでに50年以上経過しています。日本人が日本列島のなかだけに閉じこもって生きて行けた時代は150年前に終わってますし、こと過去50年日本は主に交易と加工産業で経済的な地位を築いて来ました。「日本的価値観と日本語が通用する世界」で生きているという幻想は、この現実のなかではむしろ我々の生存にとってマイナスですし、我々は環境から学習し生存するための新たな選択肢を見いだし自己を更新して行くことが出来ないような無能なDNAなぞ、本来継承していないはずです。

> 我々は現実として、日本的価値観と日本語が通用する世界で生きています。

それは過去150年間、現実ではありませんでした。相対的には直接外国人に接する機会のある人間が少なかったという点ではまだリアリティはありましたが、その前提は過去50年間崩れ続けていますし、こと過去10年間に渡っては日本人をとりまく環境は激変しています。

> これを無理やり変更するのはそれこそレイプみたいなもんです。レイプは犯罪だけど、レイプで出来た子を間引くのはそれ以上の犯罪だと、自分は思います。

どこが「レイプみたいなもの」なのか、さっぱり理解できません。永遠の処女を誓った宗教者であれば話は別でしょうが、我々は修道院や山寺にこもっているわけじゃありませんし、だいたい多くの宗教の貸す性の禁欲は僕はダイッ嫌いでして、セックスを通じた他人との接触から学習することだって山ほどありますよ。

> 他者が現れたことで自己を認識した事も、近代ナショナリズムを語る上では重要なのでは。

そうですよ。それがなにか?

> 司馬の創作かもしれないけど、幕末の志士達が強大な黒船に対抗するために初めて日本全体を考え始めた、「俺たちは日本人ぜよ」と言い出した、そういう面もあったんじゃないかなぁ。

司馬の創作でもなんでもなく、そう考えるのが自然ですが?

> > パレスティナ問題などを見ていると、「うっとうしいだけ」どころか恐ろしく危険であるとすら思えて来ますよ。
>
> パレスチナ問題は、不用意かつ不自然な形でパレスチナに異民族を大量に移住させた結果では?

あのですね…。パレスティナ問題というのはユダヤ人の問題でもあるんですが? で、イスラエル国家の原典となったシオニズムという民族思想は、たかが100年ちょっとの歴史しかありませんよ。で、御説の50年どころか、先頃なくなった知人(友人のご母堂)は90数年の生涯において、一度もシナゴーグに足を踏み入れることもなく、徹底した無神論者でした。

> ナショナリズムを人の自然な感情と考えれば、あそこであのような反発が発生するのはむしろ当然じゃないのでしょうか?

だからこそ現実的な両民族の生存のためには、「自然な感情」であってもそれが過度なナショナリズムになれば、危険であり厄介だと申し上げているのですが…。

ユダヤ人、アラブ人ないしパレスティナ人という意識を「捨てろ」とまでは、僕は決して言いません。ただその意識は現実に適応して常に更新されるべきだと言っているだけなのですが? 個人の自我にとって自らが育って来た文化的な伝統は重要です。しかし同時に、その文化的伝統は今生きている自分が作り出しているものでもあるのです。

> 逆に日本では江戸時代から現代に至るまで、幕末維新にささやかな内乱があったのみで殆ど内戦がなかったことを考えれば、比較的近しい文化的背景を持つ人々によって政治単位を形成することがいかに社会の安定と平和に貢献するか,おのずから明らかではないかと。

でしたら中国も韓国も北朝鮮も台湾も、もともと同じ文化圏ですし、言語的に共有している面も多いし、困ったことに官僚主義的な体質まで共有してます。なのになぜ「他者」として拒絶し続けようとするのかが、よく分かりません。問題の倫理的な大きさでは比較になりませんが、とはいえ北朝鮮政府が拉致問題についての情報をこの期に及んで糊塗し続けようとしている態度と、NHKの不祥事に対する対応や道路公団民営化問題、年金資金のズサンな流用問題をめぐる情報隠しは、行動原理としては極めてよく似通ってます。拉致問題をめぐる日朝の協議における両政府の動き方なんて、あまりにも似通っている(どちらも外交交渉がひどくヘタ)せいで破綻しつつあり、滑稽な悲劇にすら見えて来ます。

> 日本のナショナリズムとは、こういう「安定した日本を防衛する」為のナショナリズムであるべきだと自分は思うんですよ。

「安定した日本」とは何を指しておっしゃっておいでなのか、よく分かりません。安全保障上の問題を考えれば、北朝鮮に対する経済制裁は慎重にならざるを得ませんし、靖国参拝はやめるべきですし、多くの外国人労働者を「不法移民」にしてしまう旧態依然の法制度は変えなければ危険が増大します。

新しい世代の日本人がもっと精神的な健康を維持できる環境を整えるためには、「日本的価値観と日本語が通用する世界」に無理矢理順応させるような教育は改めなければなりません。彼らが現に今生きていて、そして今後生きて行くことになる世界は、150年前の「日本的価値観」が通用する世界ではないのですから。

> 押しつぶされていることになると思います。

この一節がなんに「押しつぶされていることになる」なのか僕には理解不能ですが、あえてお返事するならば「押しつぶされていること」は人間の自我の形成上極めてよくないことです。おなじみマルクーゼを持ち出せば、「必要な抑圧」はありますが、「押しつぶされる」のだったらそれは異論の余地なく過度な抑圧であり、精神障害の温床になります。