| 31549 | 返信 | Re:自衛隊イラク派遣が一年延長だって | URL | にょろ | 2004/12/21 08:22 | |
| 水原文人さん。 > 「現実」は信仰対象にはなりませんよ。現にそこにあるんですから。また「理性」も、本質的に少なくともノンポリ的ないし2ちゃんウヨ的な盲目的な「信仰」は確実に排除されまるでしょう(だってそれは「理性的」な行為ではないから)。 ご指摘ごもっともと思います。現実、理性を「」で括ったのはご指摘の解釈と区別するためです。「現実」「理性」と分かちがたく結びついている情念、我欲、願望などに目をつぶって状態ということです。 > 「現実」は本来自分もその一部であるものですし、「理性」は自分に内在してないと困るわけで、「信仰というのは他者に対する確信」には当てはまらないでしょう。 カタカナ表記における他者は内なる他者であり、ビリーバーにおいてもこの領域にとどまるものと考えています。 > もっとも「サヨク」が「理性的」であるかどうかは、こと日本の場合は大いに問題がありますが。 これに関しては、以下の反応も一例になるでしょう。 「金子−藤原さんが朝日新聞の論壇時評で、ジャーナリストの斎藤貴男氏に対する面罵に近いような言葉を書いて、左派的な人々からは藤原さんの転向問題として非常にクローズアップされたけど、一体どうしちゃったんだろうという感じがした。つまり、俺たちはもっと言葉を鍛えなきゃいかんよ、というメッセージが伝わらないんだよね。つまり、いくら守ろうとする価値が同じであっても、従来の図式に縛られたままじゃダメだというメッセージを送り出したときに、全然その言葉が届かない。絶望的なのは受け取った側がみな、「信者」に近いような人たちだということです。」 「宮台−リアリスティックになると転向したって言われてしまう(笑)。」 「藤原−面罵したつもりはないんだけどね。でも、そんな残酷なことを言う人だとは思わなかった、と言われてしまいました。」[1] > …だとしたらそういう自我が確立せず、また自我を確立しようという努力すらしようとしない者は人間として極めて怠惰な存在だと思いますし、そうした人は僕にとって無条件に侮蔑の対象となります。 しようとしていないからといって怠惰といえるのかどうか疑問です。するほどの魅力が自我にあるのか。よいわるいを基本的なところから考え直す、信じている自分を懐疑しながら、立場、利益を仮に離れて思考することにいかほどの現世利益があるのか。思考停止したまま既存の枠内ないしなければ枠をつくって上位につくほうが魅力的かもしれない。 > また社会の個々の成員が自らの意思を持って良心に基づいて判断することが要求されている民主主義にとっては、ガンであり邪魔者であり淘汰されるべきだとすら思います。あざ笑うくらい可愛いモンでしょう。 合理的に全体主義に移行可能ですから民主主義は脆いシステムです。つまり、「信仰」にもとづいた「正しい」統治、「正しい者」による支配も可能でしょう。したがって、「信仰」をもつ者によるに対して「ガンであり邪魔者であり淘汰されるべき」と警戒されるのはわかるような気はいたします。しかし、それが「コミュニケーション弱者」…だとしたら、それは杞憂でしょう。せいぜい表層の共感でしかつながることができず、結合と分裂をたやすく繰り返し続けるだけでしょう。 「民主主義にとっては、ガンであり邪魔者であり淘汰されるべき」に焦点をあてつづければ「他者性の排除ということで言うと、議論にもいろんな他者性の排除があり得るわけで、いまここで出ている恐怖の悪循環のような状態って、結局違うものとの共存があり得るとは考えないで、違うものは排除するということに向かっていくわけでしょう。違うものはなんだか分からないから、パラノイアが増殖するわけですね。」[2]というのが水原さんの状態かもしれません。しかし、民主主義のよさというのは失敗を恐れないということだろうとおもいます。全体主義的な考えに対しても開かれている。票決にしても絶対的なものではなく、暫定的な判断にすぎない。それゆえ異論である少数意見は尊重される。正しい結論をだすのではないから、あとから柔軟に修正対応できるなどの懐の広さがある。人間の理性の限界をふまえた民主主義のよさというものを社会の個々の成員がリアルに感じられるかどうか。そういう魅力がないのであれば民主主義が淘汰されてもしかたないだろうと思います。 > さてこれでユーリのパパさんがまた「差別発言であることは自明」とか騒ぎだすんでしょうか? ユーリのパパさんにたずねられたほうがよいでしょう。 > では質問、僕は上記の発言のなかで誰を侮蔑しているんでしょうか? 「自我が確立せず、また自我を確立しようという努力すらしようとしない者は人間として極めて怠惰な存在だと思いますし、そうした人は僕にとって無条件に侮蔑の対象となります。」 > それがどこで特定の集団に対する社会構造的な偏見や蔑視を含む「差別」に結びつくんでしょうか? その前に、「社会構造的な偏見」はどのようなことをいうのですか? > ま、僕がバカが嫌いな差別主義者であることは明言済みですが(笑)。 すいませんが、この段、直前の段の二段において、水原さんがおっしゃりたいことがよくわからない。 > そして本当のバカとは、自らのバカさ加減を自覚できない人のことであるとも既に言っておりますです、ハイ。 以前にも似たようなことを申し上げましたが、バカを自覚できないのであれば、バカ当人ではなく、バカに見えた側で対処するしかなかろうかと思います。 [1]金子勝、アンドリュー=デウィット、藤原帰一、宮台真司『不安の正体!』<筑摩書房>p.332-333 [2]同上p.334 |
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