| 31552 | 返信 | Re:精神医学・医療と精神分析について | URL | なな | 2004/12/21 10:27 | |
| 水原さん、 レスはマイペースと言ったものの、今回は二週間も経ってしまいました^^; 例によって速攻のレスが帰ってくると思いますが、返答はひょっとしたら年越しになるかもしれません。また場合によってはレスをしない(できない)こともあるかもしれませんが、それをお含みの上・・・よろしくお願いいたします。 > > そういったことを示す例を、たとえば同性愛に対する精神医学界の対応の歴史の中に見ることができると思います。 > > 1970年代の初頭までの長い間、米国精神医学会(APA)はゲイ、同性愛を「精神障害としての病理である」と見なし、治療の必要な疾患と捉えてきました。そしてその考えを支える大きな柱となっていたのが、フロイトに始まる精神分析理論の土台的病理概念にもとづく同性愛の捉え方(同性愛は幼児期に体験された深い葛藤と抑圧によって生じたもの云々・・・)でした。実際そのころまでは、精神分析理論とその治療的手法を支持する精神分析派の医師が学会の中で大きな勢力を占める時期が続いていたと言えるでしょう。 > > それは同性愛が「精神障害としての病理である」と見なされなくなったからだけでしょう。「精神障害としての病理」でないのなら、「同性愛は幼児期に体験された深い葛藤と抑圧によって生じたもの云々」をする必要がなくなっただけです。「病理」と認識する段階での偏見があったのがなくなっただけで、「幼児期に体験された深い葛藤と抑圧によって生じた」精神的に困難な状況そのものを否定することは、まったく別次元の問題です 当時の米国の精神分析派の認識としては、「幼児期に体験された深い葛藤と抑圧」という概念自体が「精神障害としての病理」と一体のもとして捉えられていたのです。したがって問題の根幹は、同性愛を「幼児期に体験された深い葛藤と抑圧」というものに還元してしまうことの科学的妥当性、つまり貴方の言うところの「偏見」が問われ、それに対する否定的な考えが支持を得たということです。その結果として、同性愛が「精神障害としての病理」と見なされなくなったのですから、貴方の論理は逆さまです。 もちろん当然のことながら、「幼児期に体験された深い葛藤と抑圧」の存在自体が否定されたわけでもありませんし、それによって「精神的に困難な状況」(「困難」にも色々説明が必要でしょうが)が発生する場合もあることを否定されたわけでもありません。 > > そのような背景もあって、米国精神医学会は同性愛をDSM(精神障害の診断の手引き、指針)の中で治療対象の精神疾患として明記し続けて来たわけですが、同性愛者の権利解放運動によってそれが批判に晒され、DSMからの削除を求める声が強く上がった時に、それを拒否し続けた学会の指導的立場の理事らが削除反対の「根拠」の柱としたのも精神分析的な病理概念であったわけです。(だからといって精神分析派の精神科医が全てそうだったと言うのではありません。同性愛者側の主張を支持する精神科医グループの中には精神分析派の医師がいたことも事実です) > > 生物学的因子と社会的因子の関与については、色々な調査・研究による知見が集まってきましたが、どちらの病気も遺伝的基盤(病気そのものが遺伝するという意味ではないことに注意)と言われる生物学的因子が主たる病因であることが、一卵性双生児の調査研究(いわゆるTwins Test)や家族研究などの疫学的調査、脳科学的アプローチによる研究などで明らかになってきました。と同時に、精神分析派の人たちが主張し続けてきた病因説---親の育て方や家族環境のまずさが病因である---などと言えないこともかなりはっきりと分かってきたのです。 > > どっちも両立可能なんですが…。 私の論旨が伝わっていないようですね。 自閉症にしろ分裂病にしろ、それが遺伝的要因だけで発症するなんて言っていませんし、遺伝的要因と環境要因との複雑な関与によって発症するというのが医学的な一般理解で、私はそれを支持しています。 後述しますが、自閉症や分裂病の環境要因を、精神分析派の主流が主張してきたように、「親の育て方や家族環境のまずさが病因である」ことに還元させるのは科学的な調査研究によって否定されていると言っているのです。 > ちなみに僕自身がいわゆる分裂病的な気質の持ち主ですが、「遮蔽記憶」で過去を塗り固めているのでない限り、「親の育て方や家族環境のまずさ」はまるでないですね。 「遮蔽記憶」なんてわけの分からない用語や貴方の自己診断についてはとやかく言いませんが、自閉症における「親の育て方や家族環境のまずさ」については、水原さんご自身が以前の投稿で「自閉症児の発症の原因になるトラウマといえば、たいていの場合は親が関わったもののはず」と述べられ、それを明確に肯定されていますね。さらに言えば「自閉症児の親の団体などは「先天的だ」と主張しています」と自閉症児の親の会の主張を捻じ曲げられた意見も書いておられます。 (ひと言添えておきますが、「先天的」という修辞は遺伝的要因という意味で使われたのだと推測しますが厳密に言えば両者は違う意味になります) 「親の会」と彼らを医学的側面からバックアップしている医師達が自閉症の発症について語っていることは、「遺伝的要因が基盤にあり、それが環境要因とも絡み合って発症に至る」というようなことです。 遺伝的条件が全く同一である一卵性双生児の一方が自閉症を発症した時に、もう一方が発症する確率は極めて高く、その確率は同じ家庭環境(二人とも本当の両親に育てられた環境)で育てられた一卵性双生児と、全く異なる家庭環境(生後間もない頃に親から引き離された環境)で育てられた一卵性双生児とでは変らないということが、複数の双子研究、疫学調査によって明らかになってきたのです。つまり、自閉症の発症において、一定の環境要因の関与はあるが、それは狭い家庭環境というものだけで説明し規定できるものではないということです。同じような知見は分裂病の発症においても得られていると思います。 > 生物学的な因子が大なり小なり誰にでもあるとして、それが「発症」するのかどうかには生育し生存している環境からの抑圧や刺激が関連してるんじゃないですか? 大きく間違っているとまでは申しませんが、上述のような基本的な科学的知見、内容ぐらいは(知識として)理解した上で意見を述べられたらよろしいかと思います。 > > 精神分析が「定着」しない原因は実証的な知見やデータに見を向けない非科学性にあると私は見ます。 > > ほお。先進国で「定着」してないのは日本だけなんですが…。 何をもって「定着」というのかはありますが、非科学性に対する批判の声は日本より欧米での方が強いように思います。 まあ、「定着」しない原因が非科学性にあるというのはあくまでもひとつの要素でしかないでしょうが、日本では他の要因も考えられるでしょうね。 > > > しかし家族が信頼し頼る対象であると同時に抑圧して来るものでもあるという認識の欠如は、こと今の日本の若者に深刻な影響を与えていると思います。 > > > > 家族の言動が時として本人に対して否定的、抑圧的に働くことがあるのは、別に「精神分析」を持ち出さなくても広く認識されていることです。かりにその認識が「欠如」しているとしても、それは「精神分析」を批判、否定することで生じているわけでも全くありません。 > > 「批判、否定することで生じ」るわけがないでしょう(苦笑)。「批判、否定」する以前に知らないんですから、「批判、否定」しようがありませんわな。 どうも噛み合いませんね^^; 「知らない」 というのは水原さんの思い込み、主観でしかないのでは? > > 水原さんの意見で特に気になるのが、家族による「抑圧」が「若者に深刻な影響を与えている」主因であるかのように書かかれている点です。そしてそれが、「今の日本」という言い方で、以前より重大になっているかのように、根拠も上げずに決めつけるような書き方をされていることです。 > > 根拠を明示したらそれこそプライバシーの侵害になります。ヒントを言うなら、二年間ほど学校の先生はやってました(ということは前にも書いた気がするけど)。 プライバシーの侵害にならないように根拠を提示することはいくらでもできると思いますが。それと「学校の先生はやってました」こと自体は根拠の提示にはなりませんよね。 > もうひとつの根拠は、最近もとても陰惨な家族殺し事件がありましたが、報道を信じる限りにおいては、どのケースでも極めて抑圧的な家族環境が垣間見えますね。 あのですね、私が気にかかったのは、<家族が信頼し頼る対象であると同時に抑圧して来るものでもあるという認識の欠如は、こと今の日本の若者に深刻な影響を与えていると思います。>という貴方の言辞にある「こと今の」という修辞です。これでは、「今」以前はそういった「認識の欠如」がなかったか、少なかったのか、もしくは「今」は家族の「抑圧」が強くなったのか、のいずれかの解釈しか成立しないわけです。そのどちらについても根拠が上げられて論証されていないと申したのです。 > > ひょっとして、水原さんご自身のトラウマが家族環境を否定的な要素に捉えさせているのではないでしょうね。(これこそは余計な邪推かもしれませんが) > > その邪推の通りであればあなたは嬉しいのかも知れませんが、 あら、単なる揶揄をそう受け取りましたか。 邪推の通りであったら、私は嬉しくないことになりますよ。なぜなら「家族・家庭環境の中で生じたトラウマが、分裂病的な気質と自己診断される水原さんの精神状態(症状)を作り出している」という精神分析的な捉え方に私は極めて否定的な意見を展開しているのですから、自論への援用にもなりません。へたをすると反証言辞になってしまいます(笑)。 > 残念ながら極めて平凡に幸福な家庭で育ちました。幸福すぎるのも抑圧といえばその通りですが。 そうすると「家庭環境に還元できない」という私の主張のごくささやかな援用になるのかもしれません(笑)。 > > 科学、学問における実証性というのはどういうことなのか、どうもよく理解されていないようですね。 > > あなたが科学、学問の限界性を理解してないだけだと思います。理解されるだけの情報はお持ちなのに、それを認識できない。 そうですか、その時々の科学(的成果、知見)の限界性(分かったこと、分からないこと、未だ知らないこと、明確でないこと)を具体的に認識することこそ科学的態度のひとつだと思います。貴方は科学の「限界性」を仰いながら、どうもその中身にしっかり目を向けていないように見えます。自閉症や分裂病について書かれたことを読むと・・・。 > > 事象にかかわる全てのデータを100%把握するというのは実際的にもほぼ不可能なことです。それは人文科学の分野に限らず自然科学の分野においても言えることです。貴方の言葉を借りれば、精神科医療以外の、例えば癌診療における患者に対しても「その年齢に至るまでの肉体活動のすべてを医者なりなんなりが把握すること自体、まったく不可能」と言えてしまいますが、しかしそうであっても、診断や治療においての実証的なスタンス、言い換えれば科学性は求められるでしょうし、その追求は原理的にも可能だと言えます。 > > 精神医学の場合は、現時点では不可能でしょうね。人間の脳の情報伝達の構造ですら、やっと基本的なところが分かりかけてきた程度のところなんですから。 不可能という言葉を頭からかざすのではなくて、「基本的なところが分かりかけてきた」だけでも重要な一歩だと思うのですけどね、私は。 > > ひとつの例になりますが、かなり昔に開発され長く続けられてきた乳房を根こそぎ切り取る乳癌のハルステッド手術の有効性が、長い年月をかけた膨大な疫学調査研究によって放射線と縮小手術の併用療法となんら変わらないデータが示されたことから、明らかに患者の負担が少ない縮小手術に切り換えられている(未だに拡大手術も多いですが)というのも、乳癌治療への実証性の追求例と言えるでしょう。 > > ええ。科学や学問の限界性を理解している賢いお医者さんもいますから。 乳癌で例示したことは「科学や学問の限界性」だけを提示したものではなく、科学の可能性への前向きな評価、姿勢から新たな成果が得られたと言うべきではないでしょうか。「限界性」を全面に押し出しているような人には、新しい知見を探求しようとするモチベーションが生まれてこないばかりでなく、そういった姿勢によって築き上げられた科学的成果に対しても知的アンテナを張ろうとしない傾向があるように思いますけど・・・・ > > 精神医学、精神科医療という分野においても、そういった実証性の追求は原理的にも不可能ではありませんし、 > > 原理的には可能ですが、物理的(時間的)に不可能だと思いますよ。 なるほど、今度は「時間」ですか・・・・ > > 実際にそのスタンスに立った研究や調査が行われ、多くの知見が積み重ねられています。そのさらなる積み重ねによって精神科医療や医学の発展もあると言えるでしょう。 > > ええ。自らが今立っている科学的・学問的な地平が極めて限界のあるものだということを自覚できる優秀な研究者がいる限りにおいては、ね。 > > だいたい、それがなければ科学も学問も先に進まんわ 科学的態度を貫こうとする研究者ほど、自ら立っている地平---得られた成果の「限界」性について敏感であり、かつその中身の具体性にもしっかり目を向けるはずですけどね。 > > 私は、精神科医療も含めて医学・医療というのは基本的に自然科学と人文科学の両方の複合的な視点に立って進められるべきものだと考えています。俗に言えば、体を診て人を見ないのは医学でも医療でもないっていうやつですね。 > > そのような立場に立たれているとしたら大変に結構なことですが、先の同性愛の例をみても、また僕の「削除して下さい」というお願いに対する過剰な反応を見ても、すみませんがまったくそうは見えません。 私としては、水原さんの削除要請に発した、特に投稿規程に触れるような掲示板行動のほうが「過剰な反応」だと見えましたが。でもそれが貴方の主観による他者の心理(精神)分析なのですら、私がどうこう言って収拾するような状況では既にないように思います。それはまた、貴方と他の多く方とのやり取り経過を拝見しても・・・ ということで、そのような考えもあって「削除要請」に絡んだもう一方の投稿にはレスをしませんでした。ただ、水原さんはここにも何らかの反論やレスをつけられると思いますが、以後この件については、特別なことがない限り、こちら側から発言を発信しないことにしました。 > > 「そのような医者に限って〜カウセリングやセラピーを怠け〜危険な療法に走りそう」なんていう貴方の言辞には精神科医療に投げつける強烈な不信が表れていますね^^; > > はぁ。どうやったらそう読めるのでしょうか? 「電気ショックなどのかなり危険な療法」などと一般化するような書きぶりにそう読めました^^; > > たしかに、精神科医療で使用される薬物の多くは中枢神経作用薬ですから、それが麻薬にカテゴライズされている物質が主作用としてもつ麻酔、鎮静といった作用と同じような作用を、その効果や依存性において大きな違いはあるとしても、持っているとは言えるでしょう。しかしポイントなのは、何故それらの薬剤が医学・薬学的に麻薬としてカテゴライズ、分類されていないのかというところにあります。つまり、麻薬が示す作用と一部共有していることも認識した上に立って、臨床的効果が確認された薬理作用をもつ薬物が麻薬からカテゴライズされているということに医学、薬学としての科学性があるわけです。 > > その薬理作用が、あらゆる薬が毒でもあるというあまりに常識的な認識を無視して“信仰”されているとしたら、そりゃ不安になります。 だから、貴方の言われるその「信仰」という規定付けがとても公平とはいえない偏見の領域に至っているように見えるからなんですが。 「あらゆる薬が毒でもある」は大きくは間違っていないでしょう。それを全く無視して薬「信仰」の境地に至っている人がいることも否定しませんが、だかといってそれを一般化することはできないでしょう。だいいち、水原さんご自身が「常識的な認識」と書いているのですから(笑)。 > > 麻薬と向精神薬のカテゴライズにおいても新しい知見によって変更になる部分が出てくる可能性は否定できません。 > > どっちも根本的には同じもので、使い方によって、あるいは処方される相手によって麻薬にもなれば薬理作用も期待できる、という基本の基本にそんなに大きな違いが出てくるようには思えませんが。 > > > その辺の機知を捉えずに、「定義としては立派に麻薬ですしね」などと無内容に語り捨てるのは、科学や医学を揶揄するための言辞にしかなっていないように思います。 > > 「無内容に」と読解したことに、そう受け取ったあなた自身の属する文脈が露骨に現れていますね。そういうことに無自覚な方が「俗に言えば、体を診て人を見ないのは医学でも医療でもないっていうやつですね」とかいう批判をエラソーに言われたところで、自らその言葉の意味も自分に引き寄せて理解できないくせにスローガンだけは立派だ、という正直な感想を私は持ちます、ハイ。 「処方される相手によって麻薬にもなれば薬理作用も期待できる」の「期待できる」という言辞にもそれなりの科学性が図らずも暗示されていると考えられますから、全く「無内容」とは言えないのかも知れません。ですので「無内容」は一部だけ撤回いたします、ハイ。 > > > >「人間はみんな精神病を抱えている」という水原さんの捉え方自体には特に意見を申し上げませんが、「現代文明の構造上当たり前」ということは「精神病」は「現代文明」でしか生じ得ない所産と考えているということでしょうか。それとも「精神病」を何らかの形で区分けしてある部分(もしくは大部分)が「現代文明」の所産であると主張したいのでしょうか。 > > > > > > 大変に失礼ながら、論理学の基礎中の基礎である必要条件と十分条件の違いも分からないまま、他人が言ってもいないことを「言った言った」と決めつけているような質問には、お答えのしようがありません。 > > > > 貴方が書かれた文章を再引用してみます。 > > > > >>> 僕自身は人間はみんな精神病を抱えているし、そうなるのは現代文明の構造上当たり前であるというマルクーゼの理論を支持してます。 > > > > この文章を読んだ上で引用された私の質問が出てきたわけですが、あらためて読み返してみても、私の質問が論理的な枠組みから外れているとは思えません。 > > 思いっきり外れてます。 > > > 必要条件と十分条件の違いは充分理解しておりますが、どういった点からその「違い」が分かっていないと仰るのでしょうか? > > 理解していないからあなたのような質問が出て来るんですが、まだ気づきませんか?しょうがないなぁ、もう。「現代文明の構造上当たり前」という言葉のどこで、精神障害になる条件を「現代文明の構造上」のみに限定してるんでしょうか? 「AはBである」とだけ言ったときには、その発言自体は「CもまたBである」「DだってやっぱりBじゃん」という可能性は排除してませんよ。CやDにはそもそも言及してないんだから。 なるほど、そういうことですか。 「人間はみんな精神病を抱えている」ということを「構造上当たり前」と強調的に書かれている文脈からすれば、「ああ、水原さんの『人間みな精神病を抱えている』という認識は『現代文明の構造上の必然』という考えから来ているんだ」と解釈するのがふつうで、するとその考えからは、「現代文明以前はどうなんだろう、みな精神病を抱えることはなかったということなのかな、もしくは精神病という概念そのものの成立が怪しくなると考えているのかな」との解釈も可能なわけですね。 ですから、 >> ということは「精神病」は「現代文明」でしか生じ得ない所産と考えているということでしょうか。それとも「精神病」を何らかの形で区分けしてある部分(もしくは大部分)が「現代文明」の所産であると主張したいのでしょうか。 といったレスが生じるのは、それほど不自然な、また「論理学の基礎」も分からないと水原さんに拗ねられるほどの問いかけでもないと思いますけどね。 貴方の言明では、<「精神病」は「現代文明」でしか生じ得ない所産>や<「精神病」のある部分(もしくは大部分)が「現代文明」の所産>という意味の読み取りも可能でしょう。「決めつけ」と仰いますが、あくまで確認のための問いかけをしたレス文章なのですから、「思いっきり外れてます」、「論理学の基礎」云々と非難されるのは全く心外でした。 > > それと、「言った言った」と決めつけている部分とはどれを指すのでしょうか? > > 「「現代文明の構造上当たり前」ということは「精神病」は「現代文明」でしか生じ得ない所産と考えているということでしょうか。」という質問の仕方ですね。これが「質問」ではないことも、少なくとも僕は文脈上そう判断しました。まあ被害妄想かもしれませんが(笑)、 文意を再確認するための質問以上の意図はありませんでしたので、思いっきり「被害妄想」だと言わせていただきます(笑)。 > ななさんの一生懸命感情を抑えた文面の、それでもその行間から立ちのぼってくる攻撃性と、現に他人の発言を誤解しまくっているところをみると、そう的外れではないだろうと、自信過剰にもうしあげておきます。 「一生懸命感情を抑えた文面」、「行間から立ちのぼってくる攻撃性」、「他人の発言を誤解しまくっているみると」ですかあ〜〜・・・ まあ取り敢えず、貴方はそういう受け取り方をされるのだということだけは確認できました。 「自信過剰に」と言われてもそれは貴方の主観ですから、私としては何を返してもしょうがないですね。ただ、「誤解しまくっている」というのは第三者的に見てもちょっと違うんじゃないかと思いますけど・・・・あっ、でも貴方との過去の議論の中にはわざと誤解をした“ふり”をしたことがあったことを否定できないかも・・・・でもヤッパリないなあ。 > 「精神障害」が常に治療の対象になるなんて、誰が決めたんでしょうか? また堂々巡りで気が引けるのですが、「治療の対象と理解されている「精神障害」」というのが本当に一般の認識であるとしたら、僕がそれを共有していないのは再三繰り返してる通りです。そしてそのような一般の認識自体を打破すべきだと考えています。(と何度言えばいいのやら…) 臨床の専門家でさえも、漫然と<「精神障害」が常に治療の対象になる>などと決めつけている人はほとんどいないと思いますが。まあ、積極的治療のひとつである薬物療法ばかりでなく経過観察的な無治療も治療のうちと言われてしまうのかもしれませんが。 私がお聞きしたいのは、どのように貴方が「共有していない」のかということの具体論です。「共有していない」だけでは「打破すべきだ」と言っても話が進みませんから。 > > それから、「自分でコントロールを働かせられる状態」から「働かせられなくなった状態」への変化を貴方ご自身は認知、自覚できるかのように書かれておりますが、 > > 書いてませんよ(笑)。それができる自分でありたいと、希望してますが。 > > でも自分で認知、自覚できるなら、それはコントロールできてる範疇になります。つまり、ご質問自体が、無意味。 「コントロールを維持している(働かしている)」というような言葉をお見かけしたように思いました。だとしたら論理的にはそれは「働かせられなくなった状態」をもそれなりに認知できることを含意していることもあると考えましたので、かような言い方になりました。 > > > >たしかに、フロイトは「遮蔽記憶を取り除いてトラウマを現出させれば、精神障害から解放される」という主旨の学説を唱えました > > > フロイトから100年くらい経ってますから、今更そこまで単純に考えている人はいないと思いますよ。 > > 貴方の発言をそのまま引用しただけですよ。「単純に考えている人」がいるとも多いとも言っていないのに、この揚げ足とり的なレスは何というか・・・ > あのぉ、あなたがレスをつけた僕の猫まんまさんへのお返事のどこに、「現出」できるほど具体的な「トラウマ」への言及があったんでしょうか? 「現出」云々は私に帰することではありません。貴方の発言をそのままオオム返し的に「引用した」だけですよ、それ以上でも以下でもありません。 といいますか、貴方ご自身、猫まんまさんへのお返事の最後の文章で、 > というのは、えらくフロイト主義の原理原則そのものな話なんですが…。要するに遮蔽記憶を取り除いてトラウマを現出させれば、精神障害から解放されるってヤツ。独創性のかけらもない投稿だなぁ と書いておられたのですよ。「原理原則そのものな話」という貴方の擁護的言辞と「今更そこまで単純に考えている人はいない」という私への反語は明らかに矛盾していますね。 |
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