31564 返信 アフガーニスターン革命の歴史的意義の擁護 Re:議論の水準低下は残念 Re:アフガニスタン女性革命協会(RAWA)の主張は真実か?Re:再質問Re:ICTYの違法性についてRe:Erna Parisは帝国主義の手先 Re:『歴史の影――恥辱と贖罪の場所で』 URL 森永和彦 2004/12/21 15:12
議論が拡散して意義がなくなってきたようですので、アフガーニスターン革命の真実を指摘して、前田教授とRAWAの誹謗に応えるのみにしておきます。

アフガーニスターン革命の歴史を簡単に振り返っておきます。

1978年4月、アフガーニスターンの抑圧された人民の蜂起により、「4月革命」が勝利しました。これは、帝国主義諸国の政府や自称「左翼」が誹謗したような「クーデタ」ではなく、真の人民革命でした。

4月17日、労働運動指導者のAhbar Haybarが暗殺されました。彼の葬儀は人民蜂起の様相を呈し、政府は人民民主党指導者を逮捕しましたが、26日には軍隊が分裂し、数時間の戦闘後に革命政権が樹立されました。

アフガーニスターンの王政との友好関係を持っていたソ連政府は、革命を促進する意志をまったく持たず、革命の勝利に驚き、しばらくは革命を支援する措置を取ろうとしませんでした。革命により、「緊張緩和」が影響を受けることを心配していたのであり、これが「一国社会主義・平和共存」の帰結です。

アフガーニスターン革命政権は、宗教反動勢力と戦い、貧農の借金帳消しや女性の法的平等といった進歩的政策を矢継ぎ早に実効しました。

ソ連官僚が革命を支援しなかったにもかかわらず、帝国主義者は地政学的に重要な位置にあるアフガーニスターンの革命を粉砕するための努力を惜しみませんでした。アフガーニスターン革命政府は、ソ連に再三の軍事援助要請を行いましたが、ソ連官僚はあくまで「緊張緩和」に固執し、帝国主義とそれに支援された反革命ゲリラとの対決を避けようとしました。

ソ連官僚は、1979年12月にいたって、ようやく対決が避けられないことを理解し、アフガーニスターン革命政府の援助要請に応え、ソ連軍を派兵しました。帝国主義諸国政府や、自称「左翼」や、中国政府などは、この援助を「侵略」と誹謗し、宗教反動勢力への援助を増強しました。しかし、ソ連軍の援助は効果的であり、1984年には国内情勢をほぼ安定させることができました。

しかし、ソ連の介入は別の否定的な側面を伴いました。ソ連は人民革命によって宗教反動勢力を一掃するかわりに、アフガーニスターン政府に反動勢力との妥協を強要しました。学校では宗教教育が復活し、宗教反動勢力との戦いや貧農の反地主闘争にブレーキがかけられた結果、革命は大幅に弱体化させられてしまいました。その後、裏切者がソ連で権力を握り、ソ連軍を撤退させた結果、革命政権の存在そのものが脅かされました。

しかし、前田教授の誹謗とは違って、ソ連の「傀儡」ではなかった人民民主党政権は、その後も3年間持ちこたえました。最終的には、帝国主義に支援された宗教反動勢力が勝利し、革命の成果は完全に一掃されてしまいました。革命に反対し、ソ連を誹謗し、「宗教反動勢力との戦いよりも反ソが優先」と主張していたRAWAも、宗教反動政権を樹立させたことに大きな責任を負っています。

今年、Quetta, Baluchistanにおいて、アフガーニスターン4月革命の26周年を記念する集会が開かれました。言うまでもなく、反革命のRAWAはこの集会に参加していません。

RAWAは、革命に反対するのみならず、革命によって打倒された旧国王の復帰を支持してきたのです!!!!いったいなんという「女性解放」組織であることか!!!!まるで、「女性も天皇になれるようにせよ」と発言した土井たか子というアフォ政治家みたいです。女性解放に君主制はまったく不要です。


> 「ソ連に対する重大な誹謗」ですか? 侵略し殺す側に対して、難民となって逃れ、拷問されてきた側が批判の声を上げただけです。ソ連側は圧倒的な情報量でいつでも自由に反論できました。

というわけで、ソ連の「侵略」といった誹謗は、事実とかけはなれたものであり、帝国主義諸国およびパキスタンの「侵略」こそ非難されるべきです。そして、RAWAが取った態度は、RAWAという組織が帝国主義諸国の手先であるという疑いを抱かせるに十分です。


> 第3 もうひとつ前提問題
>
> 人民民主党による虐殺・投獄・拷問を批判せず、当時の状況の中では仕方がなかったかのように議論すること自体、受け入れることはできません。あっちで虐殺して、小さく「仕方がない」とつぶやき、そっちで無差別投獄して「他に選択肢はなかった」と開き直り、こっちで拷問して「女性を解放しようとした」と歪曲することで、いったい何を守ろうとしているのでしょうか。

「虐殺・投獄・拷問」は、より大きな歴史的目的のためには、当然正当化されうるものです。

織田信長は、比叡山を焼き討ちし、僧侶どもを虐殺することによって、宗教反動勢力の政治介入を防ぎ、日本の発展の礎石を築きました。この虐殺は必要だったし正しかったのです。チベットにおける宗教弾圧にも同じことが言えます。

近代Türkiye建国の父であるKemal Atatürkは、世俗化のためにかなり手荒な手段を用い、ヴェールを着用している女性の夫を処刑しました。前田教授はこれも非難されるのでしょうか。私は、宗教反動勢力の排除のためにやむを得なかった虐殺を断固として支持します。


> > さらに、当時大統領のファシスト(Vichy協力者)のFrançois Mitterandが党首を勤めるフランス社会党の党大会に招待されたとあります。Mitterand政権は前任大統領の反ソ・核武力強化・親NATO政策を継続強化した右翼反動政権でした。この政権の与党に招かれたというところに、RAWAの政治的本質が伺えるのではないでしょうか。
> >
>
> ミッテランのフランス社会党に招かれたというところに、RAWAの政治的本質が伺えるのですか?
>
> 同じ1981年のフランス社会党大会には、ボリス・ポノマリョフ率いるソ連共産党代表団が招かれています。ポノマリョフ率いるソ連共産党の政治的本質は「反ソ」・「右翼反動」だったのですね?

ソ連共産党が招待されたのは外交的なものにすぎません。それに対して、RAWAの招待は政治的意味があります。

蛇足ながら、最近でもフランス社会党は、中華台北の民進党と関係を持ったり、ウクライナのNATO傀儡を支持するなど、相変わらずの極右ぶりを発揮しています。


> Proyectさんと私の違いは、第1に、現場でものを考えるか否かです。イスラマバードやペシャワルのアフガン難民キャンプ、カブールの瓦礫、クンドゥズの荒廃、マザリシャリフ郊外のカライジャンギ収容所を見ることで、世界の見え方が違ってくるはずです。

で、現場でものを考えると、「宗教反動勢力よりソ連のほうが悪い」とか「旧国王の復帰を支持する」という主張に賛同することになるわけでしょうか?



> ちなみに、ICTYに関する文献をひとつご紹介しておきます。
>
> 中山康子「旧ユーゴスラヴィア国際刑事裁判所とミロシェヴィチ裁判」INTERJURIST No.148(2004年12月)
>
> INTERJURISUTは、日本国際法律家協会の機関紙です。
> http://homepage3.nifty.com/jalisa/
> ただし、上記掲載号はまだウエッブサイトに出ていませんが。
>
> 中山論文は、森永さんと同様の主張を展開していますのでご参考までに。