| 31567 | 返信 | Re:精神医学・医療と精神分析について | URL | なな | 2004/12/21 18:55 | |
| 水原さん、 私としては珍しく「速攻のレス」です(笑)。 > 出来ればレスはない方がありがたいです(笑)。 そう書かれるとレスしたくなるのが人情というものです(笑)(あ、これは冗談で、ほとんど自分の時間と都合に従って投稿してます) > 少なくとも、こーゆー無内容なレスでは返答のしようがありません。 そうですか、もうじゃあ、次のレスはそのひと言だけでもけっこうですよ(笑)。 > > 当時の米国の精神分析派の認識としては、「幼児期に体験された深い葛藤と抑圧」という概念自体が「精神障害としての病理」と一体のもとして捉えられていたのです。したがって問題の根幹は、同性愛を「幼児期に体験された深い葛藤と抑圧」というものに還元してしまうことの科学的妥当性、つまり貴方の言うところの「偏見」が問われ、それに対する否定的な考えが支持を得たということです。その結果として、同性愛が「精神障害としての病理」と見なされなくなったのですから、貴方の論理は逆さまです。 > > はぁ? もう一度繰り返しますが、それは「理事」の人々が「同性愛」を「精神的な病理」とみなしたい偏見に基づいた欲求を持っていたから、というだけでしょう。逆さまなのはあなたですよ。同性愛はもともと精神的な病理ではないんですから。 ですから、考え方が大きく変った原動力になったものは何かということを書いているのです。単に<偏見に基づいた欲求を持っている>と指弾、批判するだけでは「同性愛はもともと精神的な病理ではない」ということが理解され、広く説得力ある証拠を伴った力にはならなかったということですね。「幼児期に体験された深い葛藤と抑圧」という「病因」説への科学的な反証の提示なくしては当時としては情勢は大きく変わらなかっただろうと言っているのです。 この辺の詳しい経緯については当時、自ら精神分析派を自称しながら同性愛者たちの立場に立って精力的に活動していた精神科医のJ.Marmorが有名な論文を報告していますので、よろしかったら読んでみてはいかがでしょうか。 > ま、「同性愛」と「精神分裂(統合失調症)」を並列した例として出すななさんの潜在意識の精神分析まではする気になれませんが(怖すぎるので)。 並列的に出したのは「精神分析」を批判する上では当然の帰結になるからです。つまり、「精神分析」ではどちらとも「幼児期に体験された深い葛藤と抑圧」という概念がそれらの根源的な病理、病因とされていたのですから。 > > 遺伝的要因と環境要因との複雑な関与によって発症するというのが医学的な一般理解で、私はそれを支持しています。 > > ではなんの意見の差異もないはずなんですが(爆笑)。 あら、先の投稿の肝心な論旨がスルーされていますね。環境要因をもっぱら家庭環境、「親の育て方や家族環境のまずさ」に収束させてしまう貴方の意見を根拠を上げて反駁したのですが。 > > > ちなみに僕自身がいわゆる分裂病的な気質の持ち主ですが、「遮蔽記憶」で過去を塗り固めているのでない限り、「親の育て方や家族環境のまずさ」はまるでないですね。 > > > > 「遮蔽記憶」なんてわけの分からない用語や貴方の自己診断についてはとやかく言いませんが、自閉症における「親の育て方や家族環境のまずさ」については、水原さんご自身が以前の投稿で「自閉症児の発症の原因になるトラウマといえば、たいていの場合は親が関わったもののはず」と述べられ、それを明確に肯定されていますね。 > > 僕は「発症の原因」としか言ってませんが? つまりこれは契機としてなにがあるかの問題でしかありませんが? 今度はななさんの誤解ですね(笑)。 「としか」ですか?家族の関わりを主因のように言ってこられたのではありませんか。 「精神分析」的な見解では自閉症の発症の大きな要因に「親の育て方や家族環境のまずさ」という家庭環境が上げられています(貴方の発言もまさにそれに沿ったものです)。しかし、Twins Studyを始めとする色々な調査・研究成果によって、「環境という要因の関与は認められるが、それが『家庭・家族環境』に収束できるかのような見方は検証されていない、多くのデータから社会的環境要因一般からそれを有為的に抽出するような見方は否定されている」ということです。お分かりになりましたか?貴方の発言は、自閉症の親には「育てのまずさ」がある、そこに大きな責任があるという「精神分析」論理を支持し、一般化していることになります。 > > さらに言えば「自閉症児の親の団体などは「先天的だ」と主張しています」と自閉症児の親の会の主張を捻じ曲げられた意見も書いておられます。 > > 現に私の大先輩にあたる映画評論家の著書がコレで絶版に追い込まれましたが…。その抗議文ではそう主張されてましたよん。 抗議文も含めて正確に詳しく出典なり経緯を示してください。その上で議論しましょう。「そう主張されてましたよん」では分かりませんから。 もしですね、貴方の大先輩の映画評論家が同じような「精神分析的」見地にもとづく自閉症の発症因を公言されたのだとしたら、それは「家族の会」などの批判を受けるのは当然だと私は思います。 ちなみに、自閉症についてボケたことを言った有名人では養老孟司がおりましたね。『バカの壁』でもおかしなことを書いていました。 > 要するにこういうタカビーなことを言いたいだけのレスであることはよーく分かりましたが(笑)… 反論ができなくなったら、「タカビー」ですか(笑)。 > 現に精神分析は文化として定着してません。日本に精神分析ネタの大衆文化がどれだけありますか? あの、「精神分析」が文化(芸術?)として定着するかどうかの話が論点ではありませんが。 > > それと「学校の先生はやってました」こと自体は根拠の提示にはなりませんよね。 > > 当たり前です。ヒントと書いてあるのが読めませんか? 「ヒント」と言われても読む方には何にも具体的なものは伝わってきませんが。 > > あのですね、私が気にかかったのは、<家族が信頼し頼る対象であると同時に抑圧して来るものでもあるという認識の欠如は、こと今の日本の若者に深刻な影響を与えていると思います。>という貴方の言辞にある「こと今の」という修辞です。これでは、「今」以前はそういった「認識の欠如」がなかったか、少なかったのか、もしくは「今」は家族の「抑圧」が強くなったのか、のいずれかの解釈しか成立しないわけです。そのどちらについても根拠が上げられて論証されていないと申したのです。 > > 後者ですね。根拠? 僕からみればあなたのご家族に言及した投稿の削除をお願いしたことに対するあなたの反応が、非常に典型的な根拠に見えます。これはあてこすりですから、あてこすりとしてなにをにおわしているのかよーく考えて御読解くださいませm(_ _)m。 また、見えないものの「精神分析」ですか? 『問答』周辺の掲示板を覗くと、貴方の「精神分析」は水戸黄門の「印籠」状態になっていると揶揄する声が聞こえてきますよ(笑)。 > > > > ひょっとして、水原さんご自身のトラウマが家族環境を否定的な要素に捉えさせているのではないでしょうね。(これこそは余計な邪推かもしれませんが) > > > > > > その邪推の通りであればあなたは嬉しいのかも知れませんが、 > > > > あら、単なる揶揄をそう受け取りましたか。 > > 僕があなたを揶揄し返しているのに気がつきませんでしたか? 承知の上での揶揄返しなのですが、「気がつきませんでしたか?」 > > > 残念ながら極めて平凡に幸福な家庭で育ちました。幸福すぎるのも抑圧といえばその通りですが。 > > > > そうすると「家庭環境に還元できない」という私の主張のごくささやかな援用になるのかもしれません(笑)。 > > なりませんよ。なぜそう読めるのですか? 後段についておっしゃっているのだとしたら「幸福すぎるのも抑圧」というのは、文字通りそういう意味です(つまり、それも家庭環境の問題です)。なお前段についておっしゃっているのだとしたら、僕は「気質」はありますが発症はしていません。 これも皮肉で味付けした揶揄のつもりでしたが、「なぜそう読めるのですか?」とマジに受け取られましたか。やっぱり、お互い「ユーモアのセンスに欠如」しているのかもしれませんね(笑)。 多分、水原さんからは多分「悪趣味だ」との言が返ってくるのかなあ。もしそうだとしても貴方ほどの「悪趣味」ではないと自認しますが(笑)。 > > 私としては、水原さんの削除要請に発した、特に投稿規程に触れるような掲示板行動のほうが「過剰な反応」だと見えましたが。 > > ええ。あなたの主観でそう見えなければおかしいでしょう。ただそこであなたが自分自身にある種の距離を置いて客観化できるなら、上記のようなあてこすりの必要はありませんね。 「自分自身にある種の距離を置いて客観化できるなら」なんていう言は、議論においては結局のところ、「言ったもんが勝ち」程度のレベルでしかないと思いますね。私は、貴方が議論相手に頻繁に使うそういう言い回しは好きではありませんし、ほとんど使う気もありませんね。 > > でもそれが貴方の主観による他者の心理(精神)分析なのですら、私がどうこう言って収拾するような状況では既にないように思います。それはまた、貴方と他の多く方とのやり取り経過を拝見しても・・・ > > 自分の限界性を自覚できない人とのやりとりは、こうなって当たり前です。プライドというのは怖いものだ(苦笑)。 「プライドというのは怖いものだ」という言も上に書いたのと同じようなものかな。 > > 「人間はみんな精神病を抱えている」ということを「構造上当たり前」と強調的に書かれている文脈からすれば、「ああ、水原さんの『人間みな精神病を抱えている』という認識は『現代文明の構造上の必然』という考えから来ているんだ」と解釈するのがふつうで、 > > それが普通であるのは、必要条件と十分条件の違いを理解していない人だけです(爆笑)。 > > > するとその考えからは、「現代文明以前はどうなんだろう、みな精神病を抱えることはなかったということなのかな、もしくは精神病という概念そのものの成立が怪しくなると考えているのかな」との解釈も可能なわけですね。 > > 必要条件と十分条件の違いを理解していない人以外には、不可能ですね。 「必要条件と十分条件の違い」の一点張りですね。よほど、この部分には私のように解釈されて欲しくないものがあるではないかという邪推がちょっと働いしまいます・・・(笑)。 体制的な「精神病」定義や解釈に強い疑問をずっと呈されていた貴方の一連の文脈をも読み取った上での解釈といえば、「それまた誤解だ、弁解だ」という反論が来るので・・・・しょうか(笑)。 ところで、「人間はみんな精神病を抱えているのは文明構造上当たり前」を貴方の言葉で分かりやすく説明してくれませんか。 私ばかりでなく、ROMされている方にも分からないと思っている人が多いのではと想像しますので。 > > > でも自分で認知、自覚できるなら、それはコントロールできてる範疇になります。つまり、ご質問自体が、無意味。 > > > > 「コントロールを維持している(働かしている)」というような言葉をお見かけしたように思いました。 > > ええ。してますよ。発症してないもん。 > > だとしたら論理的にはそれは「働かせられなくなった状態」をもそれなりに認知できることを含意していることもあると考えましたので、かような言い方になりました。 > > 含意してませんね。 「精神障害」に近づいていない、もしくは至っていないの判断は、あくまでも本人の「申告」によっても依拠できるというわけですね。つまり貴方の論理では、貴方ご自身が「コントロールを維持している」と自覚できなくなった、そう答えられなくなった時が「発症」の時かもしれないというわけですね。それはそれで、了解いたしました。 でもそこで不思議に思うのは、貴方が毒芋虫さんに「限りなく精神障害予備軍に近づいて・・・」云々と言及した時には、本人の声を全く聞かないうちに一方的に論断していたということなのですね。それがかなりのご都合主義に私には見えるわけです。つまり、ご自分の時には「コントロールを維持している」云々と言いながら、相手に対してはそれこそ「見えたから、見えた」式の一方的と受け取られても致し方ない論理をぶつけていると・・・・。 > > といいますか、貴方ご自身、猫まんまさんへのお返事の最後の文章で、 > > > > > というのは、えらくフロイト主義の原理原則そのものな話なんですが…。要するに遮蔽記憶を取り除いてトラウマを現出させれば、精神障害から解放されるってヤツ。独創性のかけらもない投稿だなぁ > > > > と書いておられたのですよ。 > > はい。これは自己を揶揄したシャレです。自分を揶揄するなんてこと自体、ななさんにとって想像のつかない世界なのかも知れない、と勝手に妄想しています(爆笑)。 また、後付けですか(笑)。 |
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