31618 | 返信 | Re:TBS社員4人を書類送検 石原都知事の名誉棄損容疑 | URL | tpkn | 2004/12/23 03:30 | |
烏龍茶さん、 すいません。レスし忘れてますた…。 > そうは思いません。字面の意味の明確な違いは認めた上で、石原氏の発言からするに実質的な意味の違いなどほとんどない、といっています。 後段で説明しますが、その「ほとんどない」の根拠が屁理屈です。 > >「ほとんどない」と「全くない」では意味がまるで違いますし > それを認めた上で、「ほとんどない」が「全然異なる」にすり替わってしまっていることを問題にしています。 ↑ほれ、はやくもここで矛盾。《「ほとんどない」と「全くない」では意味がまるで違》うということを《認め》ているのに、《「ほとんどない」が「全然異なる」にすりかわってしまっていることを問題に》するのはおかしいわけです。要するに、「ほとんどない」と「全くない」では意味の違いなどほとんどない、と言ってるわけでしょ? > >石原慎太郎が朝鮮人の屈辱について意識しているかどうかは非常に大きなポイントです。 > しかし、併合によって朝鮮の人々が感じた屈辱ですら、「どっちかっていえば彼らの責任である」というように、併合についての日本の責任など認めていません。 屈辱を感じることと、政治的な責任の所在は別問題です。朝鮮の為政者が政策上やむをえず行ったことによって、朝鮮人が屈辱を感じるということは、両立します。そのことと、韓国併合の責任は朝鮮側にあったのか日本側にあったのかという議論は議題が違うわけです。この場合、石原は少なくとも道義的責任は表明しているということになります。 > 「おれのバシリにされて、そりゃ悔しかっただろうけど、でもそれだってどっちかっていえばバシリにされたお前が悪いんだぜ?」などという考え方に、「バシリにしたことを正当化しない」態度など微塵もありません。 そりゃ「パシリにすること」は、そもそも必ずしも責任を感じて謝罪し償わなければいけないことだとは言い切れませんから(笑)。例示が悪すぎますね。日本の植民地支配は、朝鮮をパシリにしたわけじゃありませんよ。 > 一方の当事者(しかも加害者)が、自分の責任を認めず「やな出来事だったね」などといっても、なんの意味もないのと同じです。 たとえば「パシリ問題」であれば、「やな出来事だったね」だけで謝意となり、絶大な意味が生じる場合はいくらでもあるでしょうね。それは政治的な問題ではないからなわけですが。そういう意味でもパシリの例示は不適切です。 > ちなみにこうした態度は、戦後ながらくにわたってかの戦争に対する評価を「謝罪」でなく「遺憾」ですましてきた我が国の態度と通底する物だと考えますが、tpknさんはこの辺どう思われますか? よくわかりません。韓国にも中国にも謝罪したんじゃなかったでしたっけ? それから、別にそれは「我が国」に限ったことではありませんから、通底するといえば世界中の政治や外交に通底する問題でしょう。 > しかし同時に、彼が訴訟にまで訴えて否定しなければならないほど彼の真意をゆがめてしまった報道でもなかった(結果論ですよあくまでも)わけで、字面にのみとらわれてこの部分のすり替え(意図してか否かはともかく)を見逃すことはよろしくないと思うわけです。 すり替えは、報道に対する石原の異議申し立てを「弾圧」という言葉で表現する側でしょう。この場合いちばん問題なのは、「弾圧」と表現することによって思考停止し、「どちらが正当か」という議論を放棄してしまうことです。そもそも「弾圧」などと騒ぎたてなければ、私は別に文句はありません。 >inti-solさん > 刑事責任を問うのは、犯罪行為を鼓舞するようなよほど深刻・重大なもの(たとえば「石原を殺せ」とか)に限られるべきだというのが私の考えです。 これは法益がまるで違うので、まったく別の話です。今回の件に関して言えば、意見の違いによる「論争」などではないわけですから、名誉毀損裁判でもなんらおかしくありません。 |
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