31666 返信 Re:パニック障害 Re:精神医学・医療と精神分析について URL 水原文人@パラノイア 2004/12/25 21:23
Marisさん、

> > そこでお尋ねしますが、Marisさんの認識として、パニック障害の具体的な症状は、なんらかのストレスに対応して出て来るものなのでしょうか、それともなんのストレスもないはずのところで出て来るのでしょうか?
>
> 何とも言えませんね。と言うのも、自覚できるストレスもあるし、自覚していない
> ストレスもあるでしょうから。

そこが精神医療の難しいところであり、自然科学よりは解釈の幅が広い人文科学分野である精神分析の有効性を、どう割り引いたって結局は認めざるを得ないところでしょう。医者・臨床心理士・カウンセラーは直接にはその患者本人か、せいぜい周囲から(これはかなりヤバイけど)話を聞くことでしかその患者本人がどのようなストレスを体験しているのかを把握できませんから。

本人も自覚していない以上、精神分析の手法から直感・人生経験・その他を総動員してその話の「行間を読む」ことでしか、対応しきれません。これがいわゆる普通の、というか身体の病気とは大きく異なるところであり、たとえばななさんがおっしゃっているような「科学的な実証性」が原理的に不可能なところです。

もちろん大脳の機能が完全に解明されれば、意識されていなかったり無意識の奥底に封じ込められた記憶だって解読して引き出すことが可能になるのかも知れませんが…そんな世の中、はっきりいって私はご免です。住基ネットとか、監視カメラ社会よりも、もっと始末が悪い。

> ストレスと関係なく突然起きたパニック発作と自分が感じたものでも、無自覚の
> ストレスが実は存在しているのかもしれませんし。

そうですよね。だから「科学的実証性」の勉強の一方で、自分自身にとって最大の未知なる存在は自分自身であるという一見テツガク的に響くけれどその実ごく当たり前のことを自覚するのは大事だと思います。僕がさんざん言っていた「自分でコントロールできるうちは」というのは、たとえばそういう意味のことです。

> もし気が向いたら『男はプライドの生き物だから』(テレンス・リアル著/
> 吉田まりえ訳/講談社)という本でも読んでみてください。
> 邦題を見ただだけで読む気がしなくなるかもしれませんが、

邦題を見ただけだと「なにを今更」という感覚で読む気がしなくなるのは確かです。「男はプライドの生き物」は、当たり前ですし、少しガクがある言い方(マルクーゼ&フェミニズムが入ってます)をすれば、それこそが父権的社会の特質のひとつであり、「現代文明の構造が必然的に」云々とは、つまり現代文明とは父権性が表層的に洗練されたぶんより内面化している社会ですから。

で、本質的には父権的社会である現代文明のなかで生きて行かざるを得ない女性が、しかし表層的には洗練されているぶん表面的には確立した自我を要求されているし自らも自我をちゃんと主張して生きたいと思うとき、大きく分けて二つの選択肢しかなく、どちらも「病的」な状態に陥る危険性がとても高いように思えます。ここから先はかなり乱暴な分類なんで半分笑って読んで欲しいのですが、この二つの病的な心理を、私は「小和田雅子シンドローム」と「コンドレッサ・ライス・コンプレックス」と名付けたいと思います。

一方で第3の、僕にはかなり健康的に思える生き方の例には、福島瑞穂ってのとヒラリー・クリントンというのがあります。ただこれも注意して策略をネラないと、元社民党議員の清美ちゃんみたいにコンプレックスの固まりになった父権制社会に叩かれて「小和田雅子シンドローム」に追い込まれる恐怖がつきまとうでしょう。

結局いちばん安楽な道は、未だに秋篠宮妃みたいにほどほどにバカで極めて誠実さにかける亭主とくっついて、父権制社会のもっともイヤらしい部分の手先として腹黒く生き延びるというテなのかも知れませんわな…。秋篠宮妃の場合性格がまた若白髪亭主と極めて似通っているので(だいたい若白髪親王自身も宮内庁役人の手先に成り下がったわけだし)、その行動を邪魔するものとしての女としてのプライドも、良心の呵責も感じないんだろうなぁ、と。

かつて多くの日本女性のあこがれであった雅子さんがだんだん「ただの我が儘」のように扱われ、秋篠宮妃の株が上がって来ているかのような報道のあり方は、今の日本の大衆社会の病的な側面を露呈しているようで、男なら笑って見てられますが、ますます女性には「小和田雅子シンドローム」と「コンドレッサ・ライス・コンプレックス」のふたつ以外に自分らしく生きようとする道がなくなって来ているように思えてなりません。

で、一見大変そうに見えますが、人間としてより人間らしい生き方であるぶん、「小和田雅子シンドローム」の方がコンドレッサ・ライス的生き方よりもはるかに精神的に健康だと僕は思います。ある意味、「発症」する方がずっとマトモだとすら思えます。

> 原題は、 “I Don't Want To Talk About It”です。 男にとっても女にとっても、なかなか興味深い本だと思います。
>
> 蛇足ながら、今回のやりとりで、水原さんのような“I Want To Talk About It"も “Don't”が入る場合と、実は表裏一体なのかもしれないなぁ、などと感じたり して…。(^^;

思いっきり図星だと思いますが。

> あ、いえ、断定などしませんよ。私は自分の勘に確信的な自信なんてありませんから。

もう少し本当のご自分に自身を持たれた方がいいと思いますよ。一生懸命勉強した表層の「知識」だけで自分を武装し、自分本来の人間性を押し殺すことが「コンドレッサ・ライス・コンプレックス」の大きな特徴でしょう。その結果、もともと身体的には美人なのにあんなに醜悪な顔になる。

「小和田雅子シンドローム」の報道されているステレオタイプからすればナルちゃんホームビデオの雅子さんが愛子ちゃんと写っているときの笑顔は意外かも知れませんが、ありゃまったく自然かつ人間的なものであり、秋篠宮妃の能面がはり付いたような不気味な笑顔よりはるかに魅力的です。

しかし美智子さん以来「日本の理想的核家族」を演じ続けて来た皇太子(当時)御一家は、平成の世になると今度は「病める日本の家族」ドラマを演じることに転じたわけですが、少なくともお父さんお母さんと長男夫婦は人間的に誠実に悩む姿を見せることで病の先にあるかもしれない希望を体現し、つくづく日本の大衆文化にとって欠かせない存在として君臨し続けておいでです。

「小和田雅子シンドローム」が業界内部は父権制的社会そのものであるマスコミのバイアスのせいで次第にネガティヴに受け止められつつあるのが気がかりですが…。あれはお父さんお母さんと長男夫婦が確信犯でやってることかも知れないと思うと、彼ら自身がどうもかなり善良な人たちであるらしいことを勘案するに、善良な人にありがちな社会の悪意を見落としてしまう計算違いなのかも知れません。

「小和田雅子シンドローム」が大っぴらに報道されることで皇室に関心が集まり続け、かつ宮内庁に象徴される日本的官僚制度の悪弊が暴露され、かつそこも含めた父権制のなかで抑圧される女性の苦悩への理解も深まる、というのが、御一家の計算だったのかも知れない、とか。宮内庁「菊のカーテン」にも関わらずここまでいろいろ出て来るとは、これはやっぱりわざとではないか?

今やってる企画のネタバラシ&冗談はさておき、Marisさんも「私は自分の勘に確信的な自信なんてありませんから」と言って表層的な論理的整合性(その実、断片的事実の強引なつなぎあわせ)に凝り固まれるよりも、もっとご自分の感性に自信を持たれてもいいのではないでしょうか? 「人は人それぞれ」「完璧な人間なんていない」「私は(私の長所も短所もぜんぶひっくるめて)私」というのを出発点にすると、ずっと楽になるかも知れません。もっとも男も女もプライドの生き物なんでそれがなかなか難しいわけですが、とりあえず “I Don't Want To Talk About It”の裏返しとしてDon'tをとってみるだけでも、ずいぶん楽ですよ。