| 31667 | 返信 | コミュニケーション能力 NRe:精神医学・医療と精神分析について | URL | 水原文人@パラノイア | 2004/12/25 21:55 | |
| Baadさん、 > 高度なコミュニュケーション能力を必要とする演出家のような仕事をしている人が軽度にせよ自閉症スペクトラム「障害」である確率は低いだろうと思いますよ。 それは考えが甘いですね。演出家のような仕事に必要なコミュニケーション能力は、ただ「高度」というよりも、「普通」とズレているだけです。僕にはその傾向はなさそうですが(そーゆー天才タイプでは、明らかにない)、「あそこまで頭がいいのに、なぜ?」と思えるくらいいわゆる普通の人間関係においてはバかというかちょっとおかしい人が多いし、そうでなくてはやってられないんでしょう、たぶん。 だいたい認識や認知において「普通」の人とちょっと違う、人が気がつかないようなものに興味が引かれるくらいでないと、独創性なんて出て来ませんし。ある面では恐ろしく敏感である人ほど、別の局面では驚くほど鈍感で、「そのぐらい気づけよ〜」てなところで妙に人を信用して騙されたり、逆に疑心暗鬼になったり…。そこも含めて欠点だらけの愛すべき人でないと、演出とか監督の商売は続かないでしょう。 > > >トリュフォーの映画のなかでもとりわけ自閉症的要素の描写が多い言われている(実際にはいわゆるフェティッシュってやつですが・・・)「恋愛日記」や「緑色の部屋」を偏愛する私の場合当然自閉症というフィルターを通して病気をとらえてしまうこととなるわけですが・・・ > > えーっ! あれが自閉症だとすると僕も自閉症ではないか…。分裂症的気質とパラノイアは自覚してるんですけど…。 > > 水原さんは「恋愛日記」や「緑色の部屋」あたりはパラノイアの映画として見ていらしたのですか? 「分裂症的気質とパラノイア」はトリュフォーとは関係なく、僕がそうであるだけですよ。強いて言えば、僕がフリッツ・ラング大好きなところとか…。 > 「恋愛日記」や「緑色の部屋」のことは、 でも「緑色の部屋」は偽装されたパラノイア映画ではあります。かつ強迫的人格障害。あの主人公は「死者への愛」という崇高な自分の道徳の影で、その実失恋男の逆恨みパラノイア、かつミソジニーの物語ですからねぇ…。「自分は演技がヘタだ」と自覚していたトリュフォーがなぜ自分で演じたのかが、興味深いところです。「失恋男の逆恨みパラノイア」を脚本段階で表層的な部分から排除したのは、トリュフォー自身ですから。 下手にうまい俳優だったら、死者への愛」という崇高な倫理が本気のものに見えてしまうことを嫌ったんじゃないかな? >実際に自閉症者を描いていると言ってしまっても差し支えのないトリュフォーの映画は「野生の少年」です。これなんか、親から捨てられた自閉症児の療育の記録を描いた映画として見られたところで別に自閉症協会も困らないと思うのですけれど。 うーん、トリュフォー自身は教育=情報伝達の問題に興味があったみたいで、本人が宣伝目的で喧伝して山田先生が増幅させてしまった愛情的な部分は、実はそれを出さないために「ヘタな役者」の自分が演じたらしいんですけど(実際、あの医者役の方が少年よりもよっぽど「自閉症」的)。 > トリュフォーのこれらの映画は愛する人を何らかのかたちで失ったトラウマの部分と自閉症者にありがちな物の捉え方が両方出てくるので、私が見ると、果たしてこれはナニについて描いた作品であるのだろうか?と混乱してしまう部分があるのです。 「自閉症者にありがちな物の捉え方」ゆえに「愛する人を何らかのかたちで失う」ハメになって、しかもそれをトラウマとしてたぶんにパラノイアチックなドツボに陥って行く人間を描いてる、ってのじゃダメ? もっとも、「自閉症者にありがちな物の捉え方」であろう部分が、僕には単に自意識過剰でクソ真面目で、要するに不器用であるだけにしか見えないんですけど… |
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