| 31668 | 返信 | Re:精神医学・医療と精神分析について | URL | 上海 | 2004/12/25 22:11 | |
| Baadさん > 念のために解説しますと、自閉症圏と自閉症は違いますよ。 > 自閉症圏とは広汎性発達障害(高機能自閉症、LD ADHD等)を持つ人たちの業界用語的なもので、自閉症的な特徴を持った発達障害の総称です。 > ADHDは一般的にはコミュニュケーション障害を伴わないとされているのですが、コミュニュケーション障害を持っているタイプの人もけっこういまして、そういう人は自閉症圏の人だと言ってしまうわけです。 このあたり、ちょっと教えてもらえますか? えーーと、コミュニケーションについてですが、これは障害の有無の判断基準は「言葉による意思疎通」と考えていいのでしょうか? つまり、言語を介したロジックのみが、なんとかギリギリ論理的整合性を追究し得ると理解していますので、それ以外の意思疎通、例えば視覚的反応(色彩や絵画やイメージ描画など)であるとか、刺激を介する意思の表明(体を触る、環境要素を大きく取り入れるなど)などでは、治験者と被治験者間での「感触」でしか議論が出来ないからです。 また、これは精神分析的な試行を科学的と考えるか否かに大きく関ってきますから・・・ > 高度なコミュニュケーション能力を必要とする演出家のような仕事をしている人が軽度にせよ自閉症スペクトラム「障害」である確率は低いだろうと思いますよ。 いえ、逆に、演出家の場合、文筆家ではないですから、表現手法のスペクトラムは際限無く広いですから、自閉症スペクトラム「障害」を言語をのみ或いは言語を最重要視した場合の判定を基にしているとすれば、上記の「確率は低いだろう」との仮説は、根底から揺らぐわけです。 ですから、そうなると、議論系掲示板では決して成しえない議論になるであろう事は予測しつつも、自閉症などの「障害」という発想は、そう、「健常者」側からの「発想」に過ぎないレベルの事柄となり、言語中心のコミュニケーション以外の新たな手法が発達すれば、「障害」ではなくなるわけですよね? もっと言えば、例えば 机の上に置いてある水の入ったガラスのコップ を見たときの認識の仕方ですが、「机の上に置いてある水の入ったガラスのコップ」という言語としてピッタシでなくても、そのような意味合いで認識する限りは「健常者」であるわけですが、それが、「コップが無かったら見えるはずの机の表面の広がりを邪魔する阻害物」という認識であったとしても、それはそのような「言語による説明」によってしか、相手に分からせる事はできない。 そしてもし、被験者がそのコップを手にとって放り投げた場合、分かることは 1.被験者がコップに対して何らかの認識をした、或いは興味を持った。 2.結果としてコップを投げた 事でしかなく、「入力」と「出力」が無機的に観察できるだけであり、治験者は無為なモデルを幾千も積み重ねる事にしかならない訳です。 |
||||||
![]() | ||||||