31672 返信 Re:自衛隊イラク派遣が一年延長だって URL 水原文人@パラノイア 2004/12/26 02:14
> > たとえば最近、高松宮邸近辺や、昨日は皇居で、いろいろな方のお話を撮影しております。「天皇の戦争責任」についてはみなさん否定なさいますが、それは決して日本の戦争責任を正当化する議論ではありませんでした。「ではだれのせいなんでしょうね?」とお聞きすると、お答えはおしなべて「しょうがなかった」的なものです。
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>  「いろいろな方」は、天皇の戦争責任を否定する。しかし、日本の戦争責任は肯定する。そこで、ではだれ(質問する側される側の暗黙の了解として「だれ」=「大衆」をさす?)

そのような暗黙の了解があるかどうかは、僕はその方たちでないから分かりません。

> の責任ですかと問えば(「大衆」の責任を暗黙に認めつつ、社会環境との関連を理由にして)「しょうがなかった」と弁明するということですか?

言えるのは「しょうがなかった」と責任を曖昧にしていることだけです。若い人だと「軍部のせい」だと言いきる人はいますが、その時代を知っている年配の方はそうではありません。では「だれのせいなんでしょうね」といえば「しょうがなかった」です。つまり責任の所在をあえて曖昧にしていることは分かりますが、「暗黙のうち」に「大衆のせい」となるかといえば、そんなに単純ではないでしょう。印象的なお答えには「人間のやることだからね、分からないことも多いんだよ」でした。

なぜ曖昧にするかと言えば、蓋然性の高い推測はやはり「自分たちを含む日本人全体」の責任であるから、という結論がそこに出て来ざるを得ないから、だとは思います。そうだとすれば責任の所在を曖昧にするしかない理由は納得できます。もっといえば「天皇の戦争責任」を糾弾し「軍部の暴走」にすべての責任を帰結させる(国民も「騙されていた」「被害者だった」)と主張して来た戦後日本の「いわゆる左翼」もまた、自分たち自身を含む「日本人全体」、自分たちの支持基盤であるべき「大衆」に責任を負わせないためにも「天皇」「軍部」というフィクションに依拠して来たのではないか、つまり根本の部分は共通する、とも思えます。

もっと深く日本文化論に入り込めば、どちらも「天皇」という責任の浄化/無効化装置を利用している点では共通していると同時に、前者にはより人間的な感情が介在している。「人間のやることだからね、分からないことも多いんだよ」とおっしゃった方は、「天皇陛下も人間ですからね」とも言っていました。そして最終的な結論は、「私にはよく分からないですよ。言いたいこともあるけれど、やはり言葉にならないし」でした。

「天皇制というタブー/遮蔽記憶の構造」のお話をひとまず置いて、にょろさんの「社会環境との関連」という御説との比較の問題に帰れば、僕が聞いた数々の言葉が「社会環境との関連を理由にして」戦争責任を語っているという意味ではありません。「社会環境との関連」を持ち出すこと自体が責任の所在を曖昧にしている点で「しょうがない」と大差ない、という意味での比較です。もしかしたら「天皇の戦争責任」論争そのものの方が適格な比較例だったかも知れませんね。

難解な科学的な用語(その実、まだその作用が完全に実証されたとは言いがたいし、使っている本人が本当に理解し納得しているかどうかはさらに怪しい、いわゆる脳内麻薬とか言われる物質の具体的名称)を出すことで精神障害的な症状の「原因」を説明することが、実はアニミズムの神様の名前を科学用語に置き換えただけで、なんとくなく「科学」という現代的な信仰の枠内では納得できそうな響きを持ってしまうこととよく似た言語行為とも言えそうです。つまり「社会環境との関連」とは言ってみるが、ではその社会環境がどのように醸成され、それは誰の責任であるかといえば、とたんに曖昧になる。

ちなみに、再び大脱線ではありますが法的・名目的な責任で言えば、そりゃ判を押してるのは元首であり大元帥である天皇なのですから、戦争責任があることに異論の余地はありません。しかし本当の意味での歴史的・社会的あるいは倫理的な責任の問題となると、天皇本人に実際の決定権がなかったことは、おそらくあらゆる日本人にとっての暗黙の了解なのではないでしょうか?と久々に「問答有用」にふさわしいネタふり

逆ににょろさんにお尋ねしますが、「社会環境との関連」を理由に僕が「バカ」とあえて挑発的な呼称を用いている類いの人間の存在を説明しようとしている(言い換えれば、彼ら自身の責任ではない、という解釈でよろしいですね?)とき、ではその「社会環境」は誰の責任でそのような困ったものになってしまったのでしょうか?