| 31717 | 返信 | Re:精神医学・医療と精神分析について | URL | Baad | 2004/12/27 15:56 | |
| 上海さん 明日お出かけと言うことなので取り急ぎレスいたします。 果たして間に合うかどうか・・・ > このコミュニケーション障害の判定に使用される「コミュニケーション」の種類はどんなものがあるのでしょうか?治験者の発意は何を介して被治験者に伝えられるのでしょうか? > 文章や言葉が主体と思いますが・・・・ 場面設定して治験者と被治験者が会話する。(箱庭を使ったりもします。)絵を見て絵に出てくる人物の考えていることがなんであるか語らせる、など言葉が主体です。 > > 高機能自閉症と一般の自閉症の診断の境目がIQ70ですので、学童期以後の診断だと言語も主たる診断基準になると思います。 > すみません、ここでも疑問があって・・・・IQテストの指示は全て言葉による「問い」ですよね。(問題自体は視覚的なものも多いですが・・) > そのバイアスはどう判断されているのでしょうか? 視覚・言語理解等いくつかに別れている分野の知能の検査のでこぼこがある線を描いていると自閉症だと判定されるようです。判断基準についてはよく知りませんが。 > つまり、知能障害の場合と、自閉症の場合と、そこでバイアスがかかりませんか? バイアスは大いにかかります。10才以下の子どもの場合など、検査する人とコミュニュケーションが成り立たず、こわがってやらない、とか、好きじゃない分野は飛ばたり手抜きするなんて言うことはありがちではないでしょうか。自閉症の知識のない技官が就学時の追加検診などしたら冗談ではなく大変なことになったりします。 そうでなくても、数年おきに行う発達障害の検査のたびに診断名が変わる、といことは発達障害児の場合、ざらですし、自閉症周辺の診断名は診療機関によっても変わってしまうことが多いのです。 > > そういえば、精神分析的手法かどうかは記憶にないのですが、高機能自閉症を持っている人自身が書いた手記にカウンセリングの過程を書いた部分があるのを思い出しました。 > > > > 「自閉症だったわたしへ」1〜3巻(ドナ・ウィリアムズ)新潮社です。 > > http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4102156119/qid=1104057837/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/249-3828458-5600303 > > 1−2巻は新潮文庫から出ていますが、その部分だけでも読まれれば上海さんが知りたいことの参考になるのでないでしょうか。(私は日本語で読んで、3巻目で挫折しました。多分3巻目は英語の方が読みやすいと思います。) > 明日から暫くキャンプに行きます。帰ってきたら注文してみようかな? > 日本語で読んでも難しいというのは、基礎的な臨床医学の知識が必要であるということでしょうか? 普通の手記ですから、別に難しいことはないのですが、著者が自分の自閉症を受容していく過程でだんだんと自閉症的な発想を文体に出すようになっていったので三巻目では翻訳者が判読に苦労したと言うことなんです。和訳では翻訳者が少しかみ砕いて訳したらしいので1−2巻は全く問題なく読めますが、もしかしたら原文は多少特徴のある文体かもしれません。3巻目は著者の新婚生活を延々と書いたもので、日本語で読むと割と要領を得ない内容なのですが、上海さんのように自閉症者と接した経験のある方はあえて原文で読んだら文体等からも得るものがあるかもしれない、と思ったので3巻目は原文の方をお勧めしました。 > どうもテストというのは、「正常」と言われる人が、「こういう風に答える連中は異常となるように」作ってしまっていると思えて仕方が無いのですね。 自閉症を診断するための心理テストの診断基準はまさにそういうものですよ(笑)。 > つまり、議論系掲示板がひとつの例ですが、ここでは言葉をのみ用いた意思疎通の場です。色彩や音楽や匂いや触感は伝わりません。ですから本議論は、言葉を介してのみの条件でどれほど続けても、所詮「靴の上から足を掻く」ようなもんでしかないだろうという事が前半。 こちらは諒解です。 > で、後半は、はじめから「言葉による意思疎通」を主体とする多数派である「健常者」が、「異質の相手」を規定するのに、様々な「レッテル」を貼り付けていったに過ぎない、一対象として、「自閉症」もあるのではないか?という事です。 う〜ん、こちらは難しいですね。 自閉症者のすることは発達段階のある時点で普通の人が誰もがやっすることがあることなのですが、発達の段階で他の人はやらなくなってしまったことがまだらに取り残されているために他の人から見たら奇異な行動をしてそれが社会に適応する上での障害になってしまうわけです。 で、実際に自閉症者として何らかの意味でレッテルを貼られている人は家族か社会か自分が望んだためにそういうレッテルがついているわけですよね。乱暴な言い方をすれば、本人が望まなかった場合は上海さんのおっしゃるとおりだと言い切ってしまっていいと思います。一方で、アイデンティティーの確立の為に診断名が必要な人も存在しています。(とくに知的レベルの高い高機能自閉症者の場合は多いようです。)これが「健常者」が、「異質の相手」を規定するのに、様々な「レッテル」を貼り付つけしつづけたことへの反作用であるか、自閉症者自身が、積極的に自閉症者的な文化の受容を一般社会に要求するためもの行動であるかを判断するのはとても難しいことだと思います。 > > 例えばアスペルガー症候群や高機能自閉症を持っている人の場合、意志疎通は出来ても、それが余りにあからさまで場にそぐわないやり方であることにより、日本の文化の下ではとりわけ、生活する上で何らかの障害を感じてしまうことが多いようで、それは知的能力が高いとされている人ほどそうであるようです。 > ここはとても面白いです。じゃあ、彼らは生活の場が変われば「どうってことない」となる可能性も高いわけですよね? アスペルガー症候群に関する限り、最近までは日本では割とどうってことなかったんです。いまでも、生活の場が変わればそうだろうと思いますし、全く問題なく生活している人も多いと思いますよ。高機能自閉症の場合でも自閉症自体や知覚過敏の症状が重くなければちょっと頓珍漢で変わった人ぐらいで済んでいたことも多かっただろうと思いますが、今の学校現場では難しいかな。(実際に、ながらく医療や養護教育の対象外でしたし) > 相手と容易に意思疎通が出来なければストレスを感じる僕らも、十分、精神的な障害を有しているんですよね。 う〜ん、どうなんでしょう。社会的状況がタイトになってきているのにつれてどんな人もそうなっているのじゃないかと思います。 でも、正直のところ、周りで変なストレスを掛けない限り、普通の自閉症者は一般の人たちよりストレスに強いと思いますよ。 水原さん 水原さんの書き込みを読んでもう一度「野生の少年」を見直してみました。 きっちりレスしたいので、前回の投稿は書き直しますので、しばらくお待ちいただければありがたいのですが。 |
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