| 31755 | 返信 | Re:パニック障害 Re:精神医学・医療と精神分析について | URL | Maris | 2004/12/28 10:26 | |
| 水原さん、こんいちは。 > > 「行間を読む」とおっしゃることの意味が、何気ない話から患者の生活背景や > > 生育過程、気質、性格を推測して治療に生かす、ということならば、精神科に > > 限らず、どの分野の臨床医にとっても、いわゆる問診の際に必要な過程でしょう。 > > 精神分析というのは、しょせんその程度のことでしかありませんよ。 > > > もちろん、おっしゃるように、精神科の場合はその必要がより多いであろうことに > > 異論はありません。が、その手法が従来の精神分析的手法なのかどうかは疑問です。 > > 「従来の精神分析的手法」に、なんだかアレルギー的な拒否反応を示しておいでのようですが、なぜなんでしょうか? 『女優フランシス』を観たトラウマでしょう。(冗談です(^^; ) たぶん、まさに“I Don't Want To Talk About It."だからじゃないで しょうか? > > 現在カウンセリング現場では様々な療法が取り入れられており、たとえばTFTや > > FAPといった療法などは、むしろ臨床体験から「行間を読む」ことの限界を理解した > > 結果、用いられている療法なのではないかと思います。 > > これは「精神分析」でも同じ問題があるのですが、理論や方法論を導入したとたん、それにばっかり依拠してしまって、自分本来の人間的な直感だとか、多くの人に接して来た上で得て来た知恵みたいなものが無視される傾向が強いことですよね。「精神分析」にしても、ひとつのツールに過ぎないわけで、「無意識」という問題に視野を広げたところが歴史的な功績である以外に、とりたてて大騒ぎするほど(「信仰」対象にするほど)のものではありません。 > > ちょっと乱暴に分かりやす言い方をしてしまえば、精神分析の功績は、人間は自分自身に対してでも嘘をつくものだし、それが嘘であることを自覚できない存在であることを意識させ、またその理論体系によって「自分に対して嘘をついている人間という存在」をある程度客体化して、距離を置いてみられるようになった、ということでしょう。 まったく、おっしゃるとおりだと思います。 その意味で、TFTやFAPといった療法もツールであるに過ぎない、ということは、 当の精神科医も認めているところです。 「何だっていいんですよ。盆踊りだっていい。臨床効果があれば」(斉藤 学) > > > もちろん大脳の機能が完全に解明されれば、意識されていなかったり無意識の奥底に封じ込められた記憶だって解読して引き出すことが可能になるのかも知れませんが…そんな世の中、はっきりいって私はご免です。住基ネットとか、監視カメラ社会よりも、もっと始末が悪い。 > > > > そのようなことは、数多くの生体解剖実験でもしない限り実現しそうもないこと > > ですし、 > > …ということは、実はパニック障害の「科学的」原因究明も、「数多くの生体解剖実験でもしない限り」やはり理論上の推測の域を出ないことになりませんか? > > ちなみに「数多くの生体解剖実験」をしても、やはり分からないと思います。なぜって大脳に情報としてインプットされる刺激の全体像を把握しようがないから(一生大脳にセンサーでもつけて死ぬまで生活するモルモット人間でも大量にリクルートすれば別なのかもしれませんが)。 > > > そんなことは医学倫理上まったく許容されるはずもないことですから、 > > ご心配には及ばないと思いますよ。 > > それが実現することはあり得ないと思いますが、しかしそういう実は「医学倫理上まったく許容されるはずもない」ことを志向している類いの人間の精神に対するアプローチの方は現実に蔓延しています。たとえばパニック障害の原因を「科学的」に(つまり、たとえば脳内の神経伝達物質から)究明しようとする態度が、僕からみれば「医学倫理上まったく許容されるはずもない」ことを志向している類いのアプローチに思えますよ。 脳内の神経伝達物質が関係していることや、それがどの神経伝達物質なのかを 探求していくアプローチは、薬物療法にとっては必要不可欠だと思いますよ。 なぜならば、パニック障害患者のパニック発作における激烈な苦痛を軽減させる ためには薬物療法が最も適しているからですし、その分野の研究が進んだおかげで、 より副作用の少ない薬も開発されてきた訳ですから。 > > 「自分自身にとって最大の未知なる存在は自分自身である」というご見解には > > 同意しますが、他者とて大差なく「未知なる存在」であると思いますよ。 > > しかしだからといって、「未知なる存在」であるからといってその他者との関わりを忌避してそこから逃避するようなことは、人間として生きている限り不可能です。それに他者の方が客観的に見られるぶん、場合によっては「自分」よりもその存在がよく見える、ということは、あります。 > > > 現実社会でさえ、簡単に相手が「分かる」ものではありません。 > > だからって「分かろう」という努力を忌避する理由にはなりませんよ。 「分かろう」という努力を忌避する理由になどしていませんよ。 「分かった」と確信的に判断することの確率は、決して100%ではないのでは? と、クエスチョン・マークを提示しているだけです。 > > ましてやコミュニケーション手段に限界のあるネット社会においては、なおさら…。 > > 私が発してきた問い「なぜ分かるの?」は、そういう意味です。 > > しかし不完全ではあっても「ある程度は分かる」を前提にしなければ、コミュニケーションなんて成り立たないのです。逆に言えば、「完全に分かる」ことを希求することそれ自体が、実はコミュニケーションの拒絶であります。 はい、これが上記「?」のお答えになっておりますね。 > Marisさんやななさんを見ていると、失敗することを恐れるあまりに「絶対的」に思える「科学的」に頼ったり、他者との深い関わりを恐れているようにも見えます。 それは誤解でしょう。 繰り返しになりますが、人間は多面的であり、その中の一面を見ただけで全体像を 把握したと勘違いする方がアブナイとは思いませんか? 私に関して言えば、もっと別の側面も他板においてかなりご披露していると思い ますが? 江戸弁でボーゲンを吐いたり、おっちゃんにオチャラカシーをしてみたり、 水原にいちゃんと映画談義だってしたことがあったでしょう? それなりに他者との関わりを楽しんでおりますよ。 > > 蛇足ながら、今回のやりとりで、水原さんのような“I Want To Talk About It"も “Don't”が入る場合と、実は表裏一体なのかもしれないなぁ、などと感じたり して…。(^^; > > 思いっきり図星だと思いますが。 > > ↑このように、Marisさんの直感もまったく捨てたものではないのですよ。 ありがとうございます。ええ、もう、実生活では思いっきり、勘と本能で生きている アニマルですから、大丈夫ですよ。(^^) > > ウディ・アレンが好んで精神分析ネタを作品に登場させるのも、自分を含めて > > 他者もまた同様に、人間とはややこしくて面倒くさくて、いかに不可解なもので > > あるかを言いたいがためではないでしょうか。 > > それをコメディとして扱っているのは、「人間とはややこしくて面倒くさくて、いかに不可解なもの」であることこそが、人生をおもしろくしてくれるものでもあるからだと思いますよ。 まったく賛成です。 > そして「「人間とはややこしくて面倒くさくて、いかに不可解なものである」ことを > 本当に人間的に理解するためには、人間関係で失敗することを恐れていてはいけない > のです。 もちろんです。私は欲深いですから、鶏の卵だけじゃなくて、カエルの卵、鰐の卵、 カモノハシの卵なんかにも手を出しちゃったりすることはままあることで、後で とんでもないことになったりする経験も…。 それでも懲りずにいるところを見ると、ウディ・アレンの言うように、「卵が必要」 だからなのでしょうね。 ちなみに、『アニー・ホール』のラストに関しては、くだんの精神科医をネタにした ギャグの後に、アレンがひとくさり話していたことは覚えていますが、ギャグも 含めてうろ覚えだったので、書かなかっただけです。 というよりも、「しめくくり」なんて言葉が良くなかったのでしょう。 ご指摘のとおり「しめくくり」はアレンの恋愛談義でしたから。 なんたって、ずぅ〜〜〜〜っと前に見た作品ですから、正確な台詞など覚えとらん のですよ。すべてうろ覚えで、それを調べるなどという「マジ」なことはせずに 書いちゃったものですからね。 これで私がかなり「ええかげん」な人間であることは、逆にお分かりいただけた のではないでしょうか? おまけにもうひとつ言えば、映画では断然、心理描写に見ごたえのあるものが 好きですね。 ロバート・レッドフォードが監督した『クイズ・ショウ』など、大好きですから。 社会派映画の装いに見えて、あれは心理劇でしょう。 若い検察官と名門出のヴァン・ドーレンのやりとりや互いの心理的コンプレックス など、見ているとワクワクゾクゾクしちゃいます。 過激に言えば、あれは男同士の恋愛に近いものがありますね。 っとっとっと、あららん、ここは今は亡き田中荘じゃなかったわ。 皆さん、どーも失礼致しました。m(_ _)m |
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