| 31791 | 返信 | Re:差別表現とは何か | URL | ユーリのパパ | 2004/12/30 13:48 | |
| JUNEさん またまたお返事が遅くなりました。 > これって、また『現実の例』(水原さんの発言)に舞い戻って話してるのですよね? > (ユーリのパパさんの関心は、一般論としての「差別表現とはなにか」にあるのではないということでしょうか?) これは差別表現に関するわたしの一般的な主張(の一部)を再説しているだけです。xに代入する語の1例として、カッコの中で「精神障害予備軍」を挙げているにすぎません。 > >これは完全に理解していただけたと思います。 > > もう、何度も言っていることですが(これではまた堂々めぐりです)、あの表現(憐憫を禁じえない〜)がどうして「侮蔑の表明」だと断定できるのかという点が【私には】理解できないのです。 > > >こんな簡単なことが理解できない人が多いのが不思議でたまりません。 > > 【私は】そこが理解できないのだと言いつづけていることが、いくら説明しても【ユーリのパパさん】には理解してもらえないのはどうしてなのでしょう? 完全に誤読していますよ。わたしは具体的な水原氏の発言ではなく、差別表現に関する一般的な主張についての理解を問題にしているのです。 > もう一度(しつこいですけど)確認しますけど、「言葉(単語)の意味は文脈によって変わる」ということについては、ユーリのパパさんも、私も、八木沢さんも、水原さんも、みな同意していることですよね? おっちゃんと水原さんの対話と、毒芋虫さんと水原さんの対話は、独立した別の文脈でのやりとりです。水原さんが言っているのは、「おっちゃんが発話した文脈での『憐憫』という言葉の使い方では、いよいよもって下位に見ていることになる」という文脈毎の一解釈にすぎないでしょう。 ある発話の解釈は文脈によって決まりますが、それぞれの発話および文脈が虚空の中に完全に孤立しているわけではありません。新たな発話のたびに他の発話および文脈を一切無視してゼロから解釈することなど不可能です。それでは言語そのものの存立が不可能になってしまいます。 ある発話を解釈する際、解釈を一義的に確定する一般的な条件を前もって与えることは(たぶん)できません。しかし、われわれは日常生活において暗黙のうちに、また無意識に、別のさまざまな文脈での類似した発話を参照して解釈を試みています。それが帰納的推理というものです。 ある人がAという文脈でのaという語はかくかくしかじかの意味であると言い、その直後のBという文脈で同じaという語を使った場合、まず最初に「同じ意味ではないか」と考えるのはごく自然なことです。この例の場合、わたしは「憐憫」について異なった解釈をしなければならない文脈の相違を見いだすことはできません。 > >前に「太っていることに対して憐憫を禁じ得ません」という文を例として挙げました。問題の発言は、この文とまったく同じ形式をしている上に、発話の状況も類似しています(親しい間柄の気安い冗談などではない)。ですから、明らかに侮蔑表現です。 > > 「発話の生きた文脈」が問題なのだから(その点、同意済みですよね?)、「形式が同じ」だといいうことは判断の根拠になりません。「発話の状況が類似」(親しい間柄の気安い冗談などではない)というのも、「明らかに」侮蔑だと断定できる説明になっていません。別に、意見が対立しているからといって必ず相手を侮蔑するはずだなんてきまりはないでしょう。(少なくとも【私は】、そのような『経験則』や、「憐憫を禁じえない」をデフォルトで「侮蔑」と認識する『言語感覚』を持ってはいないということです) 上に述べたように、われわれはある発話を解釈する際、類似した文脈でなされたさまざまな類似した発話を参照して解釈を試みます。この場合、そのような作業により、侮蔑表現と解釈するのが最も妥当だと主張しているのです。そのような一般的な規則があるとは言っていません。 もちろん、どんな発話についても、標準的でない解釈をすることは、原理的にはつねに可能です。ですから、ある発話の解釈が100%の人において一致することは、原理的にはあり得ません。一致する割合が99%のこともあるし、50%のこともあります。極論すれば、複数の解釈のうちどれが標準的な解釈かを決めるのは、最後は多数決でしょう。 > 実はだいぶ前から、感じていたのですが、【私が】ユーリのパパさんの判断の根拠を読んでいて、一番、不思議に思うのは、「私は〜(思う、考える、判断する)」という一人称単数の主語がほとんど全くでてこないことです。 わたしは差別表現の一般的、理論的な解明を目指していますから、できるだけ一人称単数の主語を使わないのは当然のことです。原則として、チョムスキーの言う「理想的な話し手・聞き手」を暗黙の主語として立てて論を進めようとしているのです。 >>単なる侮蔑と、社会構造的な偏見と蔑視を内包する差別がごっちゃになっている >うみゅ。 侮蔑、蔑視、差別【的】、「差別」、の区別があいまいで、きちんと整理されてない感はぬぐえませんね。 >>政治家という職業を軽蔑していたら政治家差別になるんでしょうか(苦笑)。 >なるほど。(← ううっ、じつにおマヌケなコメントだぁ。大汗) これを読んで脱力してしまいました。だって、こんなことは、ほぼ1カ月前の11月26日に、31145においてとっくにきちんと説明済みですよ。それを忘れてとんちんかんなコメントをしているだけです。 次に引用する通り、侮蔑であっても差別になる場合とならない場合があるとして、たとえば「官僚」の場合は差別にならないと書いています。政治家の場合は差別にならないのはあたりまえです。もう一度、31145を読み直してください。 (31145からの引用) 具体例を考えましょう。 「・・・」に入るのは、「精神障害(者)」「官僚」「サラリーマン」「主婦」「ホームレス」等々、何でもかまいません。 それらを代入した(1)(2)の形式を持つ発言をすれば、(3)により、「精神障害(者)」「官僚」「サラリーマン」などを侮蔑していることになります。 ただし、これがすべての場合に「差別」を意味するとは限らないことに注意しましょう。それぞれの人の立場により、侮蔑を受けることの重みが異なるからです。 社会的な弱者や差別されている(されがちな)人々の場合は、当然、差別となります。「官僚」のような例は、差別とはなりません(「差別だ」と怒る官僚もいるかな?)。「サラリーマン」は微妙ですかね。 (引用終わり) JUNEさんは、わたしの主張(あくまで差別表現に関する「一般的」な主張の方です)の6割か7割ぐらいは理解してくれているのではないかと思っていましたが、今回の2本の投稿を読んで、ほとんど理解していただいていないことに気づいて愕然としました。一から始めて十まで論じてきたのに、二や三を無視してまったく的はずれな批判を受けたという感じですね。今、徒労感におそわれているところです。 意味論や語用論、言語行為論など言語哲学の知識は前提せず、わかりやすく論じてきたつもりですが、いささか無謀な試みだったかもしれません。こうした分野の知識が多少なりともある人には、わたしの言うことは打てば響くように通じるんですが・・・。 わたしは煉瓦を積むように論理的に主張を展開しており、ちょっとやそっとでは論駁できないように論を構成しています。そうした積み上げを無視し、その場その場の思いつきでコメントをされても困ります。批判しようとするなら、わたしの主張の論脈に沿って逐一、論理的に批判してください。 この掲示板での議論はこれで完全に打ち切ります。この後、「万物流転」に移動して議論を継続したい気持ちもありますが、理解してもらえないまま同じことの繰り返しになるのではないかという懸念も持っています。 |
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