31872 返信 Re:あけましておめでとうございます URL 水原文人@パラノイア 2005/01/04 00:12
武蔵の一住人さん、

> > たとえ系図のうち2、3カ所、本当に「万世一系」であるかどうか疑わしいところはあるとは言え、その怪しげな部分も含めてフィクションとしてでも維持して来たことは無視できませんね。また「象徴天皇」という実態権力を持たない君主という存在自体がある意味フィクショナルなものですから、たとえフィクショナルな捏造(実は血がつながっていない箇所があるかも知れないとしても、「血がつながっている」と信じること)の継続性は、それだけで伝統として無視できません。
> >
><中略>
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> こうした問題では、「嘘」であろうがなかろうが、社会に広く受け 入れられていることが重要なわけで、それを切り崩すというのは、たいへんに困難というか、ほとんど無理だろうとは思います。

「嘘」という言葉を使うにはいささか抵抗は感じます。「嘘」と言うとなにかそれに対して「真実」が存在するかのような印象がありますから。そして天皇制に限らず、政治的な体制やそれを象徴するもの、民族的アイデンティティの基盤のひとつとなる歴史伝統意識は、どれもたぶんにフィクション性をはらんだものですし。

そのフィクション性はまた、「まったく作り事」という意味でもありませんし。なんらかの事実や真実がその出発点にはあるのでしょうし、それは日本の建国神話や、旧約聖書にしてもそうでしょう。そして我々はあらゆる時代について、結局は「点」として存在する「歴史的事実」の断片を基にそれを一つの流れ=線として解釈することで歴史を理解しているか理解しているつもりになっているわけで、その意味ではあらゆる歴史がフィクション性を持っており、それは過去の出来事を「歴史」として受容する我々の解釈の問題ですから。

つまり問題は「社会の多くの人がその“フィクション”を“信じて”いるかどうか」ですが、それもまた揺れ動いているものです。一般参賀に行って痛切に分かったことは、世代の違いだけで「天皇制」というものの受容がかなり異なっていることです。

> そこで、否定するとしたら、まあ確かに、現代的な視点というか価値観で否定論を構築していくしかなかろうとは思うのですが、近現代の日本社会において、「天皇制否定論」が幅広い支持を得たことはなく、これは、幅広く支持されるような有効な否定論が提示されなかったことにも起因するものでしょう(私自身も、素朴な 否定論を述べることしかできませんが…)

たとえばどのような「素朴な 否定論」をお考えなのか、教えていただければ幸いです。一方で肯定論の方だって素朴なものか、もったいぶった言葉を使っていながら中身は空虚のもの(「日本の象徴ですから」って、それは意味不明な憲法第1条条文のまんまやんか)かしか聞いたことがなく、そして素朴なものの方がどう考えても説得力がありますから。

> 伝統とは、取捨選択・改変・創出しつつ継承・再生していくものだという私の考えからすると、

…というよりも、今現代やっていることが10年20年経てば「伝統」になりますから、伝統は常に作り続けられて行くものであるという認識がまず重要ではないでしょうか? ちなみに我々が「伝統」と思っている形での天皇制にも、数十年の歴史しかありませんし。

> 天皇制がとにもかくにも現在まで続いているのは、「選択」されたからに他ならないのですが、どうもこれは、積極的な選択というよりは、説得力のある否定論がないことと、

もし第二次大戦の戦争責任が本当に天皇制にあれば、あれほどの惨劇をもたらしたものですから、極めて有効な否定論になるはずです。ただ本当に戦争責任が天皇にある(天皇「だけ」にある)かどうかといえば、本当にそう思っている人がどれだけいるでしょうか? そういうところが「天皇制」の恐るべき力でもあるように思えはしますが。

> 敗戦時の米国の方針に起因する、消極的な選択だったように思われます。

米国は当初、天皇も戦争犯罪人として訴追するつもりだったようです。そうしなかったのはやはり、天皇制を維持し昭和天皇も退位させないことが占領政策をスムーズに行うためには重要だった、言い換えれば日本人の圧倒的多数が天皇を必要としていたからではないかとは思います。なぜ必要だったのかは今探っていることのひとつですが。

> ただそれが、否定論の方向にいくかというと、そうでもなく、家制度や地域社会の変容により、象徴・憧憬としての天皇制を再生・強化することになるのかもしれません。

鈴木邦男氏がおもしろい指摘をしているのですが、近代以降、いわゆる「近代的」なものを日本社会が取り入れる時には、常に天皇がまずそれをやっている、というのです。パン食などの洋式の食生活もそうですし、そういえばまだ恋愛結婚が珍しく、家同士の取り決めで婚姻相手が選ばれていた家制度の名残の濃厚な時代に、恋愛結婚の決定的なお手本を示したのは明仁・美智子のテニスコートの恋でした。

当時の自民党支持者からはけっこう反発があったそうです。

今は「ゆとり教育」として歪められてしまいましたが、子供の自主性を重んじそれを育てる子育ての決定的な「お手本」になったのは、やはり「ナルちゃん憲法」でしょうし、伝統的な家制度を改革する核家族的思想も、やはり明仁美智子夫婦とその子育て方針が重要な契機になっているのではないかと思います。

> 現代は、年齢構成などの点で、これまでの人類が経験したことのない社会に突入しつつあるので、従来の価値観がどのように変容するのか、私ではちょっと予測のつかないところがあって、何ともまあ難しい時代だなあ、と思います。

先日の清子内親王記者会見の、清子さんの堂々たる態度としっかりした言葉遣いには圧倒されましたが、印象が「今時の35歳とは思えないほどしっかりしている」というのは、明仁美智子夫妻の先進的な子育ての成果だと考えるにつけ、なんというか…(時代が逆転してしまった?)

> > ところで武蔵の一住民さんや火の鳥草さんは、一般参賀行かれたことありますか?
>
> 私はいわゆる首都圏に在住していますが、人込みが好きではないこともあって、
> 一度も行ったことがありません。

人ごみは確かに、こと午前中は凄いので、新年一般参賀の午後の会をお薦めします。

> 色々と考える契機になりそうですし、何かしら知見を得ることもありそうですが…

僕の場合は、ありましたね。桔梗門を出たところでお土産屋さん屋台で新撰組人形を売っていたのも…

「新撰組は逆賊じゃないんですか?」
「大河ドラマではそうは描いてなかったですよね」
「そりゃそうですけれど、尊皇派の敵だったんですから、逆賊でしょう。幕府側だし」
「いえ、でも新撰組も天皇を守ろうとしていたんですよ。それに『勝てば官軍』と言いますし」

うーむ、天皇制はやはり奥が深い…

「でも今年は大河ドラマがあったから置いてあるだけですよ。来年はありません」

あ、そう。

> うーん、漫談のようになってしまって、まとまりが悪くなってしまいましたなあ…

こちらも漫談になってしまいました…