| 31886 | 返信 | Re:あけましておめでとうございます | URL | 武蔵の一住民 | 2005/01/04 18:43 | |
| > 「嘘」という言葉を使うにはいささか抵抗は感じます。「嘘」と言うとなにかそれに対して「真実」が存在するかのような印象がありますから。そして天皇制に限らず、政治的な体制やそれを象徴するもの、民族的アイデンティティの基盤のひとつとなる歴史伝統意識は、どれもたぶんにフィクション性をはらんだものですし。 それらをも含んで、広い意味での人類社会自体が、 たぶんにフィクション性をはらんでいなければ成立 しがたいものだと思います。 その意味で、「まったく作り事」という意味ではないにしても、 私個人としては、フィクションという言葉よりは、約束事という 言葉のほうが落ち着きがよいように感じます。 > そのフィクション性はまた、「まったく作り事」という意味でもありませんし。なんらかの事実や真実がその出発点にはあるのでしょうし、それは日本の建国神話や、旧約聖書にしてもそうでしょう。そして我々はあらゆる時代について、結局は「点」として存在する「歴史的事実」の断片を基にそれを一つの流れ=線として解釈することで歴史を理解しているか理解しているつもりになっているわけで、その意味ではあらゆる歴史がフィクション性を持っており、それは過去の出来事を「歴史」として受容する我々の解釈の問題ですから。 歴史に限らず、現生人類の認識行為自体がそのような ものだと思います。現生人類以外の生物であれば、また 違ってくるのでしょうが。 > たとえばどのような「素朴な 否定論」をお考えなのか、教えていただければ幸いです。 私自身も支持する、万民の平等・自由を謳った社会においても、 現実的には、機会均等はありえないし、選択の自由とはいっても、 程度の差はあれ制限があるものですが、それが当然だとして開き 直るのではなく、格差を是正するように努力する必要があり、その さいにもっとも大きな役割を果たすべきなのは、現時点では国家 だろうとの考えが前提にあります。 その国家が、ごく少数とはいえ、選択の自由や様々な権利を大きく 制限された世襲制の集団を前提とした体制を選択することは、 大きな、そして是正すべき矛盾のように思えてならないのですが… > 鈴木邦男氏がおもしろい指摘をしているのですが、近代以降、いわゆる「近代的」なものを日本社会が取り入れる時には、常に天皇がまずそれをやっている、というのです。 子育ての件も含めて、「お手本」としての役割を果たしてきたところは かなりあるでしょうね。 もっとも、マスメディアの発達した社会において、そのような役割は、 美空ひばり・石原裕次郎・長嶋茂雄といった諸氏のような存在でも 果たしていた可能性があるのではなかろうかと思います。 > 僕の場合は、ありましたね。桔梗門を出たところでお土産屋さん屋台で新撰組人形を売っていたのも… 足利尊氏人形を売っていたらもっと意外だったのですが、 そもそも足利尊氏人形なんて作られてないかな(笑) 比較するのも何ですが、靖国神社のありようを想うと、 なかなか興味深いものがあります… |
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