| 31911 | 返信 | Re:TBS社員4人を書類送検 石原都知事の名誉棄損容疑 | URL | tpkn | 2005/01/06 13:23 | |
| 烏龍茶さん、 (#31792へのレス) > はい、よろしくお願いします。さしあたっては、あなたが日韓併合をどのように捉えているのかが知りたいところではあります。 基本的には、現在の基準で言えば不当な植民地支配ですが、当時においても100%不当だったとは考えていません(笑)。 > また、石原氏の発言(かの番組の物に限らず、私が言及した物を含めて)からして「石原氏が日韓併合をどのように認識しているのか」をtpknさんがどう捉えているのか、を示していただければと思います。 すでに示した通り、100%正当化しているわけではないと思います。少なくとも、植民地支配された側がいまいましく思うことは理解しているということでしょう。 > そうおっしゃいますが、石原氏が > 1 「併合は朝鮮の望んだことであり、それによって感じたであろう屈辱もどちらかと > いえば相手の責任」と述べたこと > 2 「併合後の植民地支配」は、秩序だって人間性に富み、是を是とする公正な物であ > った」と述べたこと > > は「客観的事実」であります。これを正当化であると捉えるのか否かが「解釈」であるとおっしゃるのでしょうが、「正当化でない」と捉えることが可能かどうか、ご検討いただくために「よく読んでください」と述べました。 > これについてのあなたの見解は、「解釈にすぎない」という物でしかありません。従って反論たりえません。 これらのことをもって、「韓国併合を100%正当化」しているとは言えないと思います。そもそも、韓国併合を最初から正当だったと考えている人(烏龍茶さんとは違う立場に立つ人、あるいは情報を共有していない人)にとっては、それは「正当化」などになりえませんよ。政治的立場の違いがあるだけです。 1に関して言えば、私は以前に政治的責任と道義的責任の違いについて述べております。烏龍茶さんのお答えは「政治的責任と道義的責任をわけていない」「私は政治的責任について述べていない」というものでしたが、烏龍茶さんがそういう立場に立つことは私の論の正当性とは関係がないということです。 2について言えば、それが「秩序だって人間性に富み、是を是とする公正な物であった」かどうかは、十分に議論の余地があります。植民地支配にはそれぞれの地域の実情に合わせた様々な方法があり、かつてスペインが南米諸国に対して行ったような苛烈な略奪と民族殲滅のようなものもあれば、現地の習慣や社会をある程度維持しながらすすめるインドのようなものもあります。日本は朝鮮人に対して、たとえばアメリカがアフリカ人を奴隷としてあつかったような扱い方はしていません。それは支配の態様についての言及にすぎないのであって、「併合を正当化」するかどうかとはまた次元の違う問題でしょう。 つまり、あらかじめ「不当であった」という立場に立たなければ、どちらも単に客観的事実の記述にすぎず、それが妥当かどうかということのみが問題になります。「併合が相手側が望んだこと」「公正な物であった」が、議論の余地もないぐらいのウソなのであれば、上記の発言は「正当化」と言えるかもしれませんが、そうではないでしょう。しかし、それぞれに十分議論の余地がある問題であり、ここに解釈の幅が出てくるわけですね。 領土問題や植民地問題というのはややこしいものでして、たとえばですね、「他国」を支配することが過去においても100%不当であるというのであれば、ハワイがアメリカの州であること、あるいはそれ以前にアングロ・サクソンが北米大陸を支配していること、北海道が日本の領土であること、カラフトや中央アジアがロシアの領土であることなどについてはどう考えればいいのでしょう。これらについて異を唱えなければ、「植民地支配を100%正当化」していることになり、「不当な意見」となりますか。韓国併合というのは、それらと本質的な意味合いにおいてどれほどの違いがあるのでしょうか(ちなみにハワイに関してはずっと独立運動があります)。結局のところ、アイヌやハワイ人、インディアンに比べて朝鮮人が勢力的に強い民族だった、というだけの違いでしかないと思うのですが。 > >烏龍茶さんとは違う立場に立つ人、あるいは情報を共有していない人が、必ずそうした解釈にいたるというものではありませんから。 > 1 「立場が異なる人」が見ようと、石原氏の発言自体は客観的事実であることに変わりはありません。 そのことに異議は唱えてませんよ。 > 2 「立場が異なる人」が「正当化ではない」と主張するというのであれば、そういう主張が石原発言をふまえてなお正当性を持ち得るか、という検討はなされていません。 自明のことなので省略しました。 > 3 かの番組しか見ていない人が、あの報道では事実と異なる評価をしてしまうであろう、という点では完全に同意します。というか、はじめからしています。なのでTBSの報道は問題であるとしています。 であれば、烏龍茶さんがTBSの報道についてお書きになった「実際上の意味においては、ほとんど変わるところがない」と矛盾します。「あの報道では事実と異なる評価をしてしまうであろう」と考えるのであれば、そうは言えないからです。 > であれば【訴訟をもって直ちに弾圧とは言えない】【TBSの報道は問題】としているわたしに、なにゆえに【反論】なさっているのでしょう。あなたのおっしゃることがよくわからないのはこの点であります。 TBSがの報道内容が「実際上の意味においては、ほとんど変わるところがない」と、TBSの報道を「正当化」することによってその主張をされているからです。 > そうですね。そしてそれは【結果論】だとも申しています。【結果論】について、私がどういう認識を持っているかは、例の【自己責任論】のところでさんざん述べましたが、あえて繰り返すなら【意味のない議論】です。 > この場合で言えば、結果としてTBSのおこなったウソの発言である「百%正当化している」と変わるところがない、ということであり、議論全体には意味を持たない話でしかありません。 ということは、烏龍茶さんが長々とお書きになった石原発言の検証には、意味がなかったのでしょうか?(笑) > >意味に違いがないのであれば、多少>字面に違いがあっても問題はありませんから > ここがあなたの間違っている点です。TBSの報道は、石原氏の正しい姿を伝える物ではありません。 > つまり、TBSの報道では「実は百%正当化しているくせに「百%正当化するものではない」と石原氏は述べている」ということが伝わらないからです。 これは屁理屈です。報道とは「石原氏の正しい姿」を伝えるためのものではなく、「石原がどのような発言を行ったかという事実」を正しく伝えるためのものです。上記の文言《実は百%正当化しているくせに「百%正当化するものではない」と石原氏は述べている》で言えば、下線部は誰にとっても「正しい姿」なのではなく、烏龍茶さんが解釈した石原像です。下線のない部分が解釈の余地のない客観的事実です。 > 私の主張は、「その言葉にかかわらず、実際のところ石原氏は日韓併合も植民地支配も百%正当化している。字面の違いという問題に紛れて、そのことが忘れられてはいけない」であります。 上記に説明したとおり、《その言葉にかかわらず、実際のところ石原氏は日韓併合も植民地支配も百%正当化している》は間違いです。したがって、烏龍茶さんはまずそれをいったん忘れたほうがいいのではないかと思います。 > 今回のTBSの報道は、上記のように石原氏という人間の姿を「正しく要約した物」ではありません。だから問題なのですね。 繰り返しますが、報道はある人間の姿を「正しく要約」するものではありません。「要約」は、その「人間の姿」ではなく具体的な発言や事実に関して行われるべきであって、それを逸脱するものではありません。ある「人間の姿」を「正しく伝える」報道などというのは、大変に恐ろしいものであることを知るべきです。 > >つまるところ烏龍茶さんは、TBSの報道は正確なものであったと言っているに等 > >しい > というわけで、全然「等しく」ありません。 いえ、等しいです。まず、烏龍茶さんはTBSで報道されたものが「実際上の意味においては、ほとんど変わるところない」と書いています。「実際上の意味においては」とは、石原の発言内容に関するものであって、「石原氏という人間の姿」ではありません。報道が関与すべきはここまでであって、これが行われたのであれば、「TBSの報道は正確なものであった」ということになります。そもそもニュースやメディアの報道が、ある人間の姿を「正しく伝える」などということが可能だと思ってらっしゃるのでしょうか? 報道が担保する正しさとは、客観的事実のみです。 > >なぜなら、ジャーナリズムとは、まず第一に事実をできるだけ正確に伝えることそ > >の仕事であり、TBSはそういう報道を行ったわけですから、この場合「問題」が > >実際には何を指すのか不明なわけです。 > 上記の説明で、「不明」でなくなるはずですね。説明不足であった点はお詫びします。 これで「不明」ではなくなりましたが、「上記の説明」で烏龍茶さんが「問題」とされていることは、結果的にTBSの報道がご自身が解釈した石原像を伝えてないということだけであって、報道それ自体が目指すべき一般的姿勢とは無関係なのですね。 > >したがって、烏龍茶さんの一連の投稿は、TBSの報道についてわたしにいわせれば > >(文字通りすべて)正当化を行っているようにしか「解釈」できません。 > そういう解釈が当てはまらないことを上に示しました。 というような主張を、石原慎太郎もしているわけですね。石原は自分の発言と報道された発言は意味がまったく違う、と述べており、烏龍茶さんは、「実際上の意味においてほとんど違いはない」と述べている。ご自身の場合は自分の説明が絶対的であるとしつつ、石原に関してはそれを認めないのは不当でしょう。 > >そしてこの「解釈」は、烏龍茶さんの発言によりますから、私個人の解釈でなどな > >く、客観的事実です。 > これは、失礼ながら「へりくつ」でありましょう。 烏龍茶さんが自明のことと思っていることは自明でもなんでもないということを指摘したまでです。もちろん、「私個人の解釈でなどなく、客観的事実です」は、おっしゃる通り「へりくつ」です。烏龍茶さんが主張していることも同様に屁理屈だということです。 図示しておきます。 A 石原慎太郎「韓国併合もどちらかといえば相手の責任」 烏龍茶「実際上の意味においてほとんど変わるところがない」 ↓ ↓ B 烏龍茶「Aは100パーセント正当化と同義である」 tpkn「Aは100パーセント正当化と同義である」 ↓ ↓ C 石原慎太郎「100パーセント正当化するわけではない」 烏龍茶「TBSの報道を正当化していない」 烏龍茶さんも私も、BにおいてAの解釈の幅を無視しているから不当なのですね。 > > >石原発言の「100%」問題に関して言えば、「するつもりだ」と「するつもりは > >ない」は、それこそ「議論の余地がない」ほど非常に大きな差異なわけですね。 > ですから「正しく伝えるべきであった」とはじめから述べているわけですね。 であれば、「実際上の意味においてほとんど違いはない」というのはその主張と反するわけです。 > 【邪推】 (名)スル ひがみから、悪い方に推測すること。(大辞林第2版より) > > だそうです。私はひがみで物は申していません。 いえ、私から見れば、ある種の「ひがみ」に見えます。これは烏龍茶さんだけでなく、反石原を声高に叫ぶ人々の多くにあてはまることですけども。本人が説明する意図が必ずしも正しいとは言い切れない、と前に申し上げた通りです。 > さて、その「客観的発言から読み取る」という行為が、私が行っていることと同じかどうか。ご検討ください。悪意と批判は異なる物でありますよ。 というか、悪意と批判を対置させるところに問題があるわけなんですが…。いいですか。悪意であろうがなかろうが、それは批判の妥当性とは直接関係ありません。悪意からのものであっても、善意からであっても、妥当な批判というのはあります。ところが、妥当でない批判をひたすら繰り返す人がいた場合、その裏にはなにか悪意が潜んでいると推定することができるわけですね。この場合は、悪意のみが問題となるわけです。 |
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