31914 返信 Re:精神医学・医療と精神分析について URL 水原文人@パラノイア 2005/01/06 15:30
追記:

> 1970年代頃までの米国の精神科医の同性愛に対する大勢的な見方、つまり「精神病理として同性愛を捉える」見方についてはこれまでの投稿で何度も触れてきましたが、そのような認識が生まれる原因、背景に当時の精神科医の多くに同性愛者に対する差別的偏見があったかどうかについては私は具体的に触れていませんし、そういった差別的偏見の存在やそ度合いについても特に言及してきませんでした。というのは、私が言わんとしている論旨、論理にはそれに対する明確な答えが特に必要とされないからです。

そりゃあなたの論旨は「精神分析」を否定することだけですから、「当時の精神科医の多くに同性愛者に対する差別的偏見があったかどうか」があなたの論旨にとって邪魔であるからに決まってますね。自分の論旨のためには、「当時の精神科医」もまたただの人間であって、そのただの人間が同性愛に対する社会的な理由が蔓延している文脈のなかで生息していたというごく当たり前の現実を無視するのも厭わないのが、なな様の高慢ちきさのなせる業なのでしょうなぁ。

> しかし水原さんはどういうわけか、それを「過去の学者たちの差別偏見を否定するものなのでしょうか」という疑問、反問の形で返してきました。


どういうわけかもなにも、精神科医もまたただの人間であることはあまりにも当たり前なのに、あなたがそこを懸命に無視し続けているからです。

> 貴方の論理では「学者たちに差別的偏見があるから同性愛が精神的な障害、病理と見なされた」となるわけですが、別に私はそのことに直接的な異を唱えているわけではありません。

ほぉ。では「あなたの論理は逆さまです」はどういう意味なんでしょうか?(爆笑)

> たしかに、同性愛(者)に対する差別的偏見は一般市民ばかりでなく精神科医にもあったと言えるでしょうし、またそのような差別的意識から同性愛を「精神的な障害、病理」と見ていた医師もいたことでしょう。
> ただ、そういった「差別的偏見によって同性愛が精神的な障害であると見なされている」という論理を押し進めるだけで、「同性愛はもともと精神的な障害、病理ではない」ということに対する広い支持を得るための積極的、説得的な根拠になった(なる)のでしょうか、というのが、私の書き込みにおける本質的な問いかけでもあったわけです。米国の大きな勢力であるキリスト教の保守的な宗教イデオロギーを背景にした中絶(者)や同性愛(者)に対する嫌悪や差別的偏見、そしてその影響を受けている人々が持っている価値判断に対して、「それは差別的偏見に基づいた欲求の産物だ」という反差別のスローガンを掲げるだけで状況が転換できた(できる)のだろうかということでもあります。

宗教という権威が、現代的な宗教・信仰対象である「科学」にすげ変わっただけでは、なんの意味もありませんがな。

> 「同性愛はもともと精神的な障害、病理ではない」を、いかに事実として、そして科学として、明らかにし問い直していくかが重要なのであって、

それに関して「トラウマ」によるものなのか、「先天的」であるのかの原因をめぐる議論がなんの意味を持つのでしょうか? これはあらゆる「精神的病理」について大なり小なり言えることではありますが、「正常」と「異常」の区分けは、科学的なものである以前に社会的な価値観をめぐるものですよ。

> 「価値判断」化してしまったとも言える「同性愛は精神的な障害、病理」という信念に対して、それに相対する価値判断を単にアプリオリなものとして対峙させるのではなく、その価値判断を支えている「事実」や「根拠」を問い直し、洗い直していくことのほうが意義や有効性のある議論を展開できるということを、「同性愛に対する精神医学界の対応の歴史」を概観する形で私は示したかったわけです。

まったく示しておいでではありません。なお同性愛の「原因」は、先天的であるかどうかも含めて、未だにまったく明らかにされていません。一時はAIDSで死亡した同性愛者の遺体を解剖した結果に基づく海馬の縮小説があたかも定説のようにまかり通っていましたが、この説が疫学的な見地から相当に不確かなものであることは今では常識です。

> つまり、私の「同性愛は精神的な障害、病理ではない」という見方は、事実と合理的、科学的な知見によって支えられているのであって、

性愛を対象を誰にするのかに「事実と合理的、科学的な知見」を持ち出さなければ判断できないこと自体が、「同性愛」を「異常」とみなす前提がなければ、必要ですらありませんな。

> J.Marmorらが寄せた報告や多くの精神科医の意見が掲載された米国の当時の雑誌には、「私は同性愛(者)に対する差別的偏見を持っているとは思わないが、彼らの中には生得的に不幸にも抱えてしまった精神的な障害に苦しんでいる者が確かにいると思われる。」という意見を公にする精神科医が少なからず存在しました。このような「差別的偏見を持っていない」と自認していまう医師の意見にはどう対応したらいいのでしょう。

医師に限りませんが、「自分は差別的偏見を持っていない」と主張しない差別主義者がいたら、お目にかかりたいものです。ヒトラーですらユダヤ人を差別するのに「科学」や「歴史」を持ち出しましたからね。不当な差別なのではなく、ユダヤ人が劣等民族なのは「科学的」かつ「歴史的」な事実であると、アドルフおじちゃんも主張してました。

差別主義を糾弾するのに、石原慎太郎やヒトラーと「医師」や「学者」のあいだで区別をする必要があるかのようななな様の認識自体が、僕には極めて異常なものに見えますが?