| 31935 | 返信 | Re:精神医学・医療と精神分析について | URL | 水原文人@パラノイア | 2005/01/07 17:22 | |
| > >まあ、ほとんどすべての「解釈」の前提に「トラウマ」や「抑圧された記憶」なるものを置こうとする安っぽくて安直な「精神分析」の受け売りは、文科系、芸術系の人に多い傾向なのですけどね。 > > これは偏見だと思いますけれど。 強いて言えばその傾向が強いといえるのは、ヴェトナム反戦運動やヒッピーやフェミニズムなど、60年代〜70年代の政治運動的言説(父権制批判)ですし、「「トラウマ」や「抑圧された記憶」なるものを置こうとする」に至っては極めて安っぽく、かつ完璧な誤読です。 父権制的な社会の抑圧の構造は、「トラウマ」や「抑圧された記憶」といった特定できる事件にその原因が求められるほど単純なものではありませんが? むしろ家族や社会の構造が恒常的に抑圧的であることが問題にされて来たんですが? まして「文科系、芸術系」では「トラウマ」や「抑圧された記憶」なる「回答」となるものは、むしろ忌避する傾向が強いでしょうね。なにしろ「原因」があっけなく特定されたら、表現としては退屈ですから。そういうミステリーの回答としてのトラウマが出てくるのは、せいぜいい50年代ぐらいまでのサスペンス小説やミステリー映画、たとえばヒッチコックの『マーニー』とか『白い恐怖』ぐらいなものですよ。 それにしたってミステリーという説話の構造上、抑圧的な家庭環境の動機をひとつの事件に象徴させる(クライマックスの「謎解き」として)必要があるからであるだけで、たとえば「マーニー」を見てヒイロインの精神的な問題の原因が幼少時の殺人事件だけであると受け取る観客がいたら、よほど鈍感であるというだけでしょう。その事件自体が、よく見れば母親が彼女に対し愛情を表現できないことの動機になっているだけで、ヒロインの精神的な問題の理由はむしろ、母親がずっと自分を愛してくれていないと思い込んでしまっていることにあるという風になっているわけです。 『マーニー』1962 監督アルフレッド・ヒッチコック 出演ティッピ・ヘドレン、ショーン・コネリー http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00024Z478/qid=1105085706/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/250-5094283-8281061 ショーン・コネリーのキャスティングは、彼の頭の形が男根象徴的だったからだそうです。ちなみに当時はカツラ 閑話休題。教科書を字面だけ読んでいたら論文やテストで評価されてしまった類いの、秀才だけどバカな精神分析医ならともかく、ひとつの特定出来る「トラウマ」や「抑圧された記憶」に回答を求めれば「精神分析」になると思っているほど愚かな精神分析医なんて、世の中どれだけいるんでしょうかね? 少なくとも会ったことはありませんし、そんなバカ単純な著作を読んだこともありません。 |
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