31974 返信 水原さんへ731部隊の虚構の証明 URL ミサキ 2005/01/08 23:00
731部隊は、東京裁判では一つも言及がありません。
731部隊を裁いたハバロフスク裁判は、1949年12月25日に始まり、5日間で終了、ずいぶん短いですねぇ。

そもそも、なぜ、終戦から4年も経過してからなのか?

なぜ、死刑が一人もいないのか?

最も重い懲役25年が8年で日本へ帰国しているのはなぜなのか???
つまり、8年が最も重い刑なのです?
こんな軽い刑ってあり???

だいたい丸ビルの14倍の広さの研究所???

実験結果はアメリカが持っていって隠している???

これを信じろと言われてもねぇ???



そもそも、つくろうとするならば、毒ガスを使うのが常識です。
細菌兵器を使うならば、自軍を守るためのワクチンを大量に製造し兵士に配らなければなりません。
そんな大量のワクチンの製造に731部隊が成功していたとはとても考えられません。

また、そのようなワクチンをつくるために、人体実験を繰り返したというのも、非論理的です。

毒ガス兵器よりも細菌兵器の何が優れているのか?
自軍にたった一人、死ぬ覚悟をした兵士がいればいい。

北朝鮮からペスト菌に感染した兵士が一人東京を歩くだけで、
東京は死の都市になります。

特攻隊はご存じですね。日本には、生還率ゼロの作戦に多くの若者が、参加しました。

では、問いますが
もしも731部隊が本当に細菌部隊であったならば、
レイテ沖海戦が行われた時に、なぜ、レイテ島は細菌兵器によって汚染されなかったのか?なぜ、アメリカ軍はレイテ島をやすやすと統治できたのか、納得のいくご説明をしていただきたい!!!

レイテ島は、フィリピン領であり、日本の占領下でありました。
日本は、ここをどうしても死守しなければならないと考え、
第一回目の特攻作戦を実行しました。

このような戦況の中、レイテ島が奪われた時のための措置として、
細菌兵器を使わないのは、利敵行為に他なりません。

また、
1945年2月3日にアメリカ軍はフィリピンの首都マニラを占領します。
その後8月15日までの半年間、首都マニラが細菌兵器で汚染されなかったのはなぜなのか?

余談ですが
フィリピン方面軍司令官山下大将がアメリカ軍に降伏するのは、9月3日です。

このような点から考えれば、
日本は細菌兵器を持っていなかった、と断言できます。