31983 返信 Re:あけましておめでとうございます URL 火の鳥草 2005/01/09 12:19
水原様
亀レスです。

> 年末には清子内親王の堂々たる記者会見での態度に呆気にとられましたし。いや実に堂に入っていましたね。あんなに素敵な人だとは思ってもみませんでしたわ。ただ服装のセンスはなんとかならないのか? 元美智子妃専属だったかなりの年をとったデザイナーが洋服を手がけているらしいけれど、日本が誇るヨウジ・ヤマモトとか川久保玲とか、滝沢直紀あたりでも使えないのかなぁ…

> ところで火の鳥草さんは、先日の「強制はいけない」御発言についてどう思われますか? あと朝鮮半島との関係改善に陛下が幾度も誕生日記者会見などの場を利用して言及されて来ていることについても、ご意見を伺えれば幸いです。

小生は、極めて頭の固い人間である。
天皇は基本的に「機関」であるべきとの立場を小生はとっている。
陛下がご自身で「人間宣言」をなされようとも、戦前、軍部、右翼が「天皇の『股肱の臣』たる臣民(赤子)、軍人」として、肉体的紐帯感覚で天皇陛下を捉えようとして、美濃部の「天皇機関説」を攻撃したような考えには全く与しない。

天皇のお言葉「綸言汗の如し」(礼記緇衣篇)もそのような立場で首肯している。

1】先日の「強制はいけない」、(正確には「やはり、強制になるということではないことが望ましい」)御発言についてどう思われますか?

このご発言の前に、「日の丸、君が代を全国の学校で掲示、斉唱させるのが自分の務め(厳密にはは違うかも知れない)」と述べた人物がおり、これに対する天皇「機関」としてのご表明と捉える。具体的には、

(1)当然のことだが、日の丸、君が代の掲示、斉唱に反対はしていない。否、それどころか、どんどん広まることを期待している。
(2)広まるやり方は「強制にならないやり方が望ましい」、つまり自発的に広まるのが一番よい。

と、二つのことがこのご表明に含まれると解釈している。
天皇「機関」として(1)は当然のこと。ここでは更に踏み込んだ(2)のご表明の妥当性が問題になるのだろう。

(2)のオールタナティブとしては、(a)「ご苦労さん」のように何も発言されない、もしくは(b)今回のように何か発言されるの二つ。
しかし、(a)では、(1)のみならず、問いかけた著名な人物が主張するところの普及させる方式まで肯定するご表明と解釈される恐れが多分にある。
これでは、発言しない「ご発言」が逆に極めて政治的ととられかねない。それを意図するしないにかかわらずである。
つまりこの人物の主張、問いかけは余りに政治性を帯びており、天皇陛下に対して肉体的紐帯感覚《この人物は戦前と同じ股肱の臣的感覚だったのであろう》では、その問いかけは許容されるという甘えがあったかも知れないが、天皇「機関」に対しては、全く妥当性を欠く問いかけだったといわざるを得ないのである

とすれば、(b)何かご発言されねばならない。ではどうご表明すべきか?
このように考えると、一番妥当な、つまり政治性を希釈するための天皇「機関」としてのご表明は、「自発的に広まるのが一番よい」というところに落ち着かざるを得ないのである。
実際には、それと同義語として「やはり、強制になるということではないことが望ましい」という天皇「機関」としての即応的ご発言にいたったものと考えている。

この際、では天皇陛下ご個人がどのようにお考えであるのか、ということは、小生としては議論の対象外であることを申し添える。

2】朝鮮半島との関係改善に陛下が幾度も誕生日記者会見などの場を利用して言及されて来ていることについても、ご意見を伺えれば幸いです。

これも、小生としては正確にはお言葉を把握していないのであるが、皇室が遠い過去、朝鮮半島の人間と交流(あえて言えば血の交流)があった旨のご発言のことと解釈する。

そもそも、皇室どころか日本人が、遥か昔、大陸、朝鮮半島からの血を引くことは、日本人なら誰でも認めるところであって、古事記日本書紀の神話伝承を科学として信ずるものはおらんでしょう。
とすれば、この天皇「機関」としてのご発言は、以下のヨミのもとに成されたと判断しており、見方によっては極めて高度な政治的ものであると思う。

(1)多くの日本人が既に深層意識として保持している天皇・皇室敬愛心情が、このご発言により減殺されることはない。(過激な右翼は知らないが)
(2)一方、朝鮮半島の人々から見たとき、このご発言は日本国天皇に対する親近感(あるいは優越感)をくすぐる。

すなわち、韓国側の反日感情の故とされ、未だに実現していない天皇の韓国訪問を今後実現するに当たり、その地ならしとして、日本人にも悪影響が少なく、一方韓国民に対しても受け入れられる天皇「機関」としてのご発言であると判断する。


天皇は「機関」であるにもかかわらず、昭和天皇陛下、今上天皇陛下といった瞬間に個人でありお人柄が出る。広い意味での現代天皇制が、この個人と「機関」を巧みに使い分ける技術は、なかなかどうして捨てたものではないと思う