32015 返信 Re:あけましておめでとうございます URL 水原文人@パラノイア 2005/01/10 20:44
火の鳥草様、

> 先日の「強制はいけない」御発言についてどう思われますか? あと朝鮮半島との関係改善に陛下が幾度も誕生日記者会見などの場を利用して言及されて来ていることについても、ご意見を伺えれば幸いです。
>
> 小生は、極めて頭の固い人間である。
> 天皇は基本的に「機関」であるべきとの立場を小生はとっている。

僕はどちらかといえばもう少し文学的(?)に、「鏡」ではないかと思い始めております。

> 1】先日の「強制はいけない」、(正確には「やはり、強制になるということではないことが望ましい」)御発言についてどう思われますか?
>
> このご発言の前に、「日の丸、君が代を全国の学校で掲示、斉唱させるのが自分の務め(厳密にはは違うかも知れない)」と述べた人物がおり、

米長ですが、僕はこの発言自体が天皇制の歴史からして「不敬の極み」であると思っております。理由は後述。

> これに対する天皇「機関」としてのご表明と捉える。具体的には、
>
> (1)当然のことだが、日の丸、君が代の掲示、斉唱に反対はしていない。否、それどころか、どんどん広まることを期待している。

よく分からないのですが、この(1)の部分は「強制になるということではないことが望ましい」という陛下の御発言それ自体のなかからは読み取りようがありません。まったく言及していないのでうから。

ちなみに(1)が当然のことではない可能性の傍証として、陛下が「君が代」を歌わないというけっこう有名な話があります。宮内庁の説明としては「君が代」は天皇を讃える歌だから、天皇自身が歌うのはおかしい、ということですが、ちなみに昭和天皇は歌ってました。

> (2)広まるやり方は「強制にならないやり方が望ましい」、つまり自発的に広まるのが一番よい。
>
> と、二つのことがこのご表明に含まれると解釈している。

(1)自体があやふやなのですから、(2)の前提である「広まるやり方」も怪しいことになると思いますが…

> 天皇「機関」として(1)は当然のこと。

そうでしょうか? 天皇がただ政府の決めたことにハンコを押すだけが仕事の「機関」であればそうでしょうが、こと平成の代になってから、天皇ご自身は「政府」の象徴であるよりも「国民」(当然、国旗国歌賛成派も反対派も含む)の象徴であると同時に自分自身は「私」でもあることも意図的に表明されておいでですし、憲法と「人間宣言」の文脈からしてもそうだと思います。あくまで「統合」の象徴なのですから。

> (2)のオールタナティブとしては、(a)「ご苦労さん」のように何も発言されない、もしくは(b)今回のように何か発言されるの二つ。

そう答えることは、歴史的な天皇制のあり方、天皇の立場としても言えないことだと思います。「君が代」が天皇を讃える歌である以上、自分を讃える歌を「斉唱させるのが自分の務め」と主張する人に対し「(私のためにがんばってくれて)ご苦労様」と言うことは、天皇の道徳的なあり方からして許されないのです。

ここが天皇制の、並の王制では太刀打ち出来ない奥の深さなのですが、天皇は常に民のために尽くすのが勤めです。戦前の皇国史観でも、もっとも重要な天皇は、仁徳帝ですし、それ以前の江戸時代では、たとえば文楽『妹背山女貞謹」に登場する天智天皇は盲目でほとんど白痴、私利私欲どころか自分の都合、自分のためになにかがなされることは一切要求せず、ひたすら自分に忠勤を誓(って悪虐でさえある陰謀の限りを尽くす藤原鎌足ら)う人々をいたわるだけです。

そういう立場である天皇に対し、「あなたを讃える歌を全国の学校で歌わせるのが私の仕事です。どうぞ褒めて下さい」と言わんばかりにあーゆー発言をした米長サンは、およそ天皇制の本質を理解しない不敬の極みだと思います。「ご苦労さん」などと言う事自体が、天皇のあるべき姿に反しているのですから。

> とすれば、(b)何かご発言されねばならない。ではどうご表明すべきか?
> このように考えると、一番妥当な、つまり政治性を希釈するための天皇「機関」としてのご表明は、「自発的に広まるのが一番よい」というところに落ち着かざるを得ないのである。

そういう読みもできる幅の広さを残しているのが、国民が自分たちの願望なり理想像なりを投影出来る「鏡」としての天皇の役割を十二分に理解している今上天皇ならではなのかも知れません。…というか、直接的に政治的な発言はできないので、含みを残さざるを得ないのですが。

> 実際には、それと同義語として「やはり、強制になるということではないことが望ましい」という天皇「機関」としての即応的ご発言にいたったものと考えている。
>
> この際、では天皇陛下ご個人がどのようにお考えであるのか、ということは、小生としては議論の対象外であることを申し添える。

そうでしょう。「天皇陛下ご個人がどのようにお考えであるのか」と言えば、これは推測の範囲を出ないことではありますが(それ以上の言質は与えないし、また与えることが立場上許されていない)、陛下ご自身はかなりの確度で日の丸や君が代推進運動については、少なくとも賛成はしてないでしょうから。

かなり妙なエピソードですが、今年の新年一般参賀でのこと、日の丸の小旗を降る勢いがいちばん弱く、民族派のみなさんの大きな日の丸とかが一本もない午後の最終回では、御一家はそれ以前よりもかなり長めの時間、ずっと手を振り続けておいででした。毎回の「お立ち台滞留時間」をストップウォッチで計っておけばよかった…。

> 2】朝鮮半島との関係改善に陛下が幾度も誕生日記者会見などの場を利用して言及されて来ていることについても、ご意見を伺えれば幸いです。
>
> これも、小生としては正確にはお言葉を把握していないのであるが、皇室が遠い過去、朝鮮半島の人間と交流(あえて言えば血の交流)があった旨のご発言のことと解釈する。

はい。平成13年の誕生日記者会見ですね。

日本と韓国との人々の間には,古くから深い交流があったことは,日本書紀などに詳しく記されています。韓国から移住した人々や,招へいされた人々によって,様々な文化や技術が伝えられました。宮内庁楽部の楽師の中には,当時の移住者の子孫で,代々楽師を務め,今も折々に雅楽を演奏している人があります。こうした文化や技術が,日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは,幸いなことだったと思います。日本のその後の発展に,大きく寄与したことと思っています。私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が深く,この時以来,日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。また,武寧王の子,聖明王は,日本に仏教を伝えたことで知られております。

 しかし,残念なことに,韓国との交流は,このような交流ばかりではありませんでした。このことを,私どもは忘れてはならないと思います。


そして翌年の記者会見での御発言。

韓国は,日本にとって非常に近い国です。対馬からは,釜山の灯が見られると聞いています。このような隣国との関係は,非常に大切であり,友好関係を増進していくことが非常に重要と考えます。歴史的に見ても日本書紀では,当時の百済などの国との交流が,非常に詳しく記されています。今日に至るまでの長い交流の歴史は,いろいろな場合がありますが,その歴史をしっかり認識し,その上に立ってこれからの両国の友好関係を築いていくことが大切と思います。やはり,ここで忘れてならないのは,この日韓ワールドカップの共催ができるような状況になったということだと思います。それまでに,戦後の厳しい状況にあった両国民の,両国の関係をこの共催ができるまでに作り築き上げてきた人々のことをこの機会に忘れてはならないと考えております。

> とすれば、この天皇「機関」としてのご発言は、以下のヨミのもとに成されたと判断しており、見方によっては極めて高度な政治的ものであると思う。

おっしゃるように、彼の立場で言える限りの最大限に政治的な発言だと僕も思います。

> (1)多くの日本人が既に深層意識として保持している天皇・皇室敬愛心情が、このご発言により減殺されることはない。(過激な右翼は知らないが)

当たり前だと思いたいところです。即位以降、天皇も皇后もことあるごとに国民統合の象徴としての「道徳的・政治倫理的なお手本」の責務をかなり意識して果たして来ておいでですし。

おなじ文脈で解釈するのが妥当なこととして、即位の際にすでに憲法遵守を明言しておいでですし。

> (2)一方、朝鮮半島の人々から見たとき、このご発言は日本国天皇に対する親近感(あるいは優越感)をくすぐる。
>
> すなわち、韓国側の反日感情の故とされ、未だに実現していない天皇の韓国訪問を今後実現するに当たり、その地ならしとして、日本人にも悪影響が少なく、一方韓国民に対しても受け入れられる天皇「機関」としてのご発言であると判断する。

非常に肝心なことが抜けていると思います。天皇訪韓を阻止していることのひとつが、日本側がいつまでも公式に謝罪と反省を明言しようとしない「歴史問題」であることもまた自明であります。

そもそも日本国の天皇が「このような隣国との関係は,非常に大切であり,友好関係を増進していくことが非常に重要と考えます」とか「戦後の厳しい状況にあった両国民の,両国の関係をこの共催ができるまでに作り築き上げてきた人々のことをこの機会に忘れてはならないと考えております」と言っているときに、彼がこうした発言の裏で牽制しているであろう「友好関係を増進していく」障害となっている動きは、火の鳥草様のおっしゃる「韓国側の反日感情」よりは「日本側の反韓感情」のことだろうと考えるのが、自然だと思いますが(日本国の天皇が他国民の「反日感情」についてとやかく言うような失礼なことをするわけがないのだし)。

また、そうした日本国内の一部の政治的勢力についての陛下自身の考えは、誕生日記者会見における以下のような言及(質問もされないのに)の数々から伺い知れるのではないでしょうか?

平成9年

本年は沖縄が復帰してから25周年に当たります。復帰してから随分長い年月がたったようにも感じますが,戦争が終わってから復帰までの年月の方がまだ復帰後よりも長いわけです。先の戦争が歴史上の出来事として考えられるようになっている今日,沖縄の人々が経験した辛苦を国民全体で分かち合うことが非常に重要なことと思います。数日前,戦争中1,500人近くの乗船者を乗せた学童疎開船対馬丸が米国の潜水艦に沈められ,その船体が悪石島の近くの海底で横たわっている姿がテレビの画面に映し出されました。私と同じ年代の多くの人々がその中に含まれており,本当に痛ましいことに感じています。


平成11年

この10年を振り返るとき,昭和の初めの10年間の昭和天皇の御苦労に思いが及びます。昭和天皇は,常に平和を大切にし,国際的に正しくありたいとお考えでしたが,この時期に張作霖爆殺事件や二・二六事件を始め,様々な暴力を伴う事件が起こり,やがて昭和20年まで続く戦争へとつながっていきました。当時を顧みると,この平成の10年が多くの困難や課題を抱えつつも平穏に過ぎたことを幸いに思います。

(独白)下線部は全部。日本の右派勢力が起こしたものだなぁ…。

平成12年

今世紀の印象に残る出来事としては,まず,2度にわたって世界大戦が戦われたということが挙げられると思います。特に第二次世界大戦は,軍人のほかに非常に多くの一般の人々が犠牲になった痛ましい戦いでした。前世紀と異なり人類の大量殺戮(さつりく)が行われることになったことは,今世紀の科学技術の進歩と決して無縁ではないと思います。

日本に関することでは,今世紀の前半は,その初期に日露戦争が戦われ,末期に第二次世界大戦が終わるという繁(しげ)く戦争の行われた時代でした。私の記憶がはっきりしてくるのは,第二次世界大戦に日本が加わってからのことです。平和条約の発効は,私にとって喜びとともに深く心に残るものでありました。

昭和の初めまでは,各国との親善関係を結んでいき,そして,国内的には憲法を守っていくということが皇室の在り方であったと考えます。その後,日本の方向は,その方向とは離れたものになっていき,昭和天皇の非常にご苦労の多かった時代が続くわけです。本当に先ほども言いましたように,今世紀の前半は,戦争の多い時でしたし,昭和の初めはずっと戦争で明け暮れていた時代になります。


(独白)ほんと、ことあるごとに戦争に言及する努力は凄い(聞かれてもいないのに)。

平成14年

今年は,沖縄が日本に復帰して30周年に当たります。30年前の5月15日,深夜,米国旗が降ろされ,日の丸の旗が揚がっていく光景は,私の心に深く残っております。先の大戦で大きな犠牲を払い,長い時を経て,念願してきた復帰を実現した沖縄の歴史を,人々に記憶され続けていくことを願っています。そして沖縄の人々が幸せになっていくことを念じています。

 また,この沖縄復帰の日は,今から70年前,犬養総理を海軍の将校らが暗殺した五・一五事件の起こった日でもあります。短期間ではありましたが,これまで続いた政党内閣は,この事件をもって終わりを告げ,その後政党内閣ができるのは戦後のことになります。


(独白)日付で来るか! ほとんどこじつけやんか。

平成15年(古希)

70年を振り返り,日本が,先の大戦による国民の多くの犠牲と国土の荒廃から立ち上がり,貧富の差の少ない平和な民主主義の国として発展し,国民が様々な面で豊かになっていることに深く喜びを感じております。多くの困難を乗り越え,今日の日本を築くために力を尽くした人々の努力に深く感謝しています。

 しかし,この70年の間には多くの悲しい出来事がありました。最も悲しい出来事は先の大戦で300万人以上の日本人の命が失われ,また日本人以外の多くの外国の人々の命が失われたことです。さらに,この戦争では戦後も原子爆弾による放射能やソヴィエト連邦への抑留などにより,多くの人々が犠牲となりました。

現在の日本はこのように様々な面で厳しい面がありますが,それを昭和元年から15年までの期間と比べるとき,平成の15年間は,自然災害には誠に厳しいものがありましたが,比較的平穏に過ぎた15年であったということをしみじみ感じます。この15年間を支えてきた人々に深い感謝の念を抱いています。

 昭和の15年間は誠に厳しい期間でした。日本はこの期間ほとんど断続的に中国と戦闘状態にありました。済南事件,張作霖爆殺事件,満州事変,上海事件,そして昭和12年から20年まで継続する戦争がありました。さらに昭和14年にはソビエト連邦軍との間にノモンハン事件が起こり,多くの犠牲者が出ました。国内では,五・一五事件や二・二六事件があり,また,五・一五事件により,短期間ではありましたが,大正年間から続いていた政党内閣も終わりを告げました。この15年間に首相,前首相,元首相,合わせて4人の命が奪われるという時代でした。その陰には,厳しい経済状況下での国民生活,冷害に苦しむ農村の姿がありました。そして戦死者の数も増えていきました。皇太子時代に第一次世界大戦のヴェルダンの戦場の跡を訪ねられ,平和の大切さを強く感じられた昭和天皇がどのような気持ちでこの時期を過ごしていらっしゃったのかと時々思うことがあります。私どもは皆でこのような過去の歴史を十分に理解し,世界の平和と人々の安寧のために努めていかなければならないと思います。


(独白)また2.26と5.15ね…。さらに日本側が中国侵略を正当化するためにデッチあげた事件の数々や、ボロ負けの事実が隠され続けたノモンハンにもちゃんと言及・・・

こうやって抜粋してみるに、改めて「なかなかやるものだな」と思っていたら、皇后陛下も拉致問題についてこんな発言を…

平成15年誕生日の文書回答

この10月で,地村保志さん等5名の拉致被害者が帰国して1年になります。この方たちそれぞれが,長い断絶の時を経,恐らくは私たち誰もが十分には察しきれない悲しみを内に持ちつつ,日本の社会に再適応する困難に耐えていることを忘れてはならないと感じています。

以上、御発言はすべて宮内庁ホームページ http://www.kunaicho.go.jp/ より。

> 天皇は「機関」であるにもかかわらず、昭和天皇陛下、今上天皇陛下といった瞬間に個人でありお人柄が出る。広い意味での現代天皇制が、この個人と「機関」を巧みに使い分ける技術は、なかなかどうして捨てたものではないと思う。

いや本当に、こと今上天皇夫妻の「自分たちの言えるギリギリのレベルでの良心的発言」に賭ける気合いは、相当に凄いモノがありますね。残念なのは「ゆかりを感じる」発言を初め、多くのそうしたご努力がなぜか国内マスコミには無視されがちなところでしょう。