32021 返信 「日本人」の罪(2) URL memo 2005/01/11 01:00

 31422番投稿の続きです。

「日本人」の罪
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_plain?base=31422&range=1

 上の投稿で挙げた「解放令反対一揆」「関東大震災(時の朝鮮人虐殺)」の2つの例について、考えを進めて見たいと思います。

 まず、具体的にどのような人々が「お上に逆らって」まで虐殺に手を染めたのか、という問題です。

> 解放令反対一揆に参加した農民は貧しい農民がほとんどである。夜通し追いかけていって、4人の女性と一人の男性を殺した農民の持ち高は二石五斗であり、夫婦二人で食べるのがやっとの農民である。
(「解放令反対一揆」の概要
http://www.h4.dion.ne.jp/~t-fujita/data/pdf%20file/r-ka-kaihoureihantaiikkinogaiyou.pdf)

> 熊谷、本庄、神保原の予審決定被告人、検挙者などの職業構成には共通がある。熊谷事件の中学生という例外があるが(当時の旧制中学進学は現在の大学進学率よりも低く、かつレベルの高いものだった)、新聞報道は「労働者」という言葉で被告人たちをくくっている。もちろん資本・使用者対労働者という文脈で出てくる「労働者」ではない。教養のない下層階層の者という意味において使われている「労働者」である。現代の職業感覚ではわかりにくいだろうが、被告人たちの職業は当時としては底辺層、最低辺層のものだった。
(関東大震災と朝鮮人虐殺 山岸秀 早稲田出版 2002年)

** 被害者意識

 このように、実行犯には貧しい人たちが多かったようです。彼らはなぜ暴力に及んだかという理由を追ってくと、共通して挙げられるのは被害者意識です。

 まず解放令反対一揆についてですが、当時は、前回投稿で触れたように、「旧穢多等の居住する町村」が伝染病の感染源となる等という迷信がありました。更に彼らの屠牛馬が
牛馬の値段を上げ、百姓を困らせたという経済事情もありました。
 さらに進んで、以下のような分析もあります。

> 彼らは何より、自分たちが「百姓」と名付けられる「意味」を持った自己であることから突き落とされる恐怖を持っていたのであり、その恐怖が暴力へと転換したのだ。
> (略)
> そのような層にとって、「賤民解放令」は、実際としては、被差別民に対する呼称の転換と、法的平等性の付与にすぎなかったにもかかわらず、それまでの既得権が侵害されたかのような受け止められ方をしたのである。だからこそ、子供の労働力を囲い込み、新しい負担の発生源となった学校とともに、被差別部落が、いわゆる「血税一揆」の際、最初の襲撃の標的とされたのである。
(感性の近代 岩波講座 近世日本の文化史4 2002年)

> たとえば、東日本の部落の生活基盤は、多く刑吏・警察に依拠している。そのために、解放令が出されると、刑吏等からの収入が入ってこなくなり、経済的に困窮化していく。部落側の経済的基盤が解体されるため、増長しようにもできない。あるいは一村あたりの戸数人口が少ないため団結できない。このような地域では部落襲撃は起こっていない。西日本のように、皮革業や雑業などの規模が大きく、経済的基盤が豊かであり、人口も多い地域で部落側が積極的に立ち上がろうとしたところで部落襲撃が起こっている。すなわち、農民は単なる差別意識をもって部落を襲撃したのではなく、部落の立ち上がりによる自分たちの既存の社会環境を防衛するために襲撃したのである。
(「解放令反対一揆」の概要)

 関東大震災の時はそもそも、不況の最中に朝鮮人労働者が低賃金を「武器」に、日本人の底辺労働者の職を奪っていたという状況がありました。その上に

> 横浜の大火は、概ね朝鮮人の放火に原因せり。彼らは団結して至る所に略奪を行い、婦女子を辱め、残存建物を焼せきせんとするなど、暴虐甚だしきを以て、全市の青年団、在郷軍人会は県警察部と協力して之が防止に努力中
(関東大震災 吉村昭 文春文庫 1977年)

等というデマが「現場」から伝わってきたわけです。

** 町村共同体

 ところで、実行犯には貧しい人たちが多かったのですが、彼らは決して「独走」したわけではありません。

 解放令反対一揆の場合、一揆が激化する前の段階で、町村共同体の有力者達が、解放令を握りつぶしたり、解放令反対の請願をしたりしている例が各地で見られます。

> 穢多は昔から人の助けで露命を繋ぎ、不浄を以て職業としてきた者であって、身分の上下は今日迄歴然と相立っておりますものを、今度、知らないうちに一夜にして身分同様と仰せ付けられましたので、一同、殊のほか気に障って居ります。
(津山県下の庄屋たちの連判状
 ←部落の歴史と解放運動 近代篇 成澤栄寿 部落問題研究所 1997年)

 関東大震災の時の自警団の主力は消防組や在郷軍人会等ですが、背後では地主や有力商人等、旧町村共同体で実権を握ってきた「旦那衆」がかなりの影響力を持っていたようです。

 これらの有力者達は直接手を汚しはしなかったのですが、彼らの黙認や煽動があったからこそ、貧しい人々も虐殺に踏み切ったのでしょう。以下の文は、朝鮮人虐殺に関する石橋湛山の評論です。

> 小評論子は先日衆人稠座の中にて殺人行為を、ほこらかに語ったものあるを見て、これはゆゆしき大事である、厳罰を以て臨まねば、将来いかなる恐れを引き起こすやも知るべからずと感じたが、今各地の自警団員が、裁判所に引かるるを見ては、またそぞろに憐れを催さざるを得ない。彼らの或る者はその殺人を以て一ぱし国家のため大功を立てたかに思っていたのである。そもそも彼らをして、かく思い込ましめし者は誰か。それこそ実に真の犯罪人である。
(1923年10月27号 小評論 ← 石橋湛山評論集 岩波文庫 2000年)

 この批判は地域の有力者に止まらず、政府やマスコミにもあてはまります。
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_plain?base=23294&range=1
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_plain?base=19653&range=1

** 義理と恩

 虐殺に抵抗を感じた人もいたと思います。
 しかし関東大震災の場合、自警団の多くは救援活動等に大活躍しました。だからこそ、虐殺を止めることは難しかったようです。

> また中には気丈にも自警団員の暴行に憤激して反発した通行人もいたが、それらはことごとく袋叩きに遭い、凶器で殺傷される者も多かった
(「関東大震災」 吉村 昭)

> 米騒動にはじまる大正デモクラシーの状況は、在郷軍人会の社会的評価を徐々に後退させていったのだが、1923年(大正12年)9月1日に起きた関東大震災がその状況を一変させた。震災時期、民衆レベルの動きのなかで、在郷軍人の行動は文字通り中堅としてあった。当初の防火活動にもその一端はあらわれたが、各町内に自警団が出来ると、青年団員とともに主力となって動き、にわかにその軍服姿が目立ちはじめた。また、会は食糧・水・衣料等の配給にたずさわり、罹災地以外の分会では救援物資の調達や見舞金の醵出のほか、少なからず直接救援隊を組織して罹災地に送りこんだ。そのいずれも緊急に必要なものであったので、在郷軍人会の活動は抜きんでて見えた。とにかく、この時、在郷軍人会は他の集団や組織に先んじて行動し、かつ大きい行動力を示し、よくもわるくも広範な機能と力量をもつことが認識された。その傾向は軍隊自身についてはなおさらだったので、震災以後、軍と在郷軍人会の後退現象には歯止めがかかり、逆に社会的役割を高唱しつつ、ファシズム的方向へ踏み出すきっかけを作ったのである。
(藤井忠俊 関東大震災と在郷軍人会−組織と動員
 ←関東大震災と戒厳令 松尾章一 2003年)

 解放令反対一揆にしても、ほとんどは年貢減免等、生活防衛上「正当」な要求と組み合わせて起こされたものです。おそらくそれらの要求は、共同体の人々の意にも配慮して有力者がまとめあげたのではないかと思います。
 また、町村共同体のある意味排他的な相互扶助機能が、住民を守ってきたことも事実です。現在だって、見慣れない人をあれこれ詮索するような「町内」の方が、空き巣等の犯罪には強いでしょう。

 第2次世界大戦時に連合国の間では、日本人捕虜を寝返らせるためには「恩を売って「義理」や「恩返し」の感覚に訴えるのが効果的」だということが知られていました。
 義理堅いということは普通には美徳ですが、「恩人」だからと言って間違いに目をつむるのは悪徳になります。「日本人」には比較的、この種の悪徳が発達しているのかもしれません。第2次大戦後のドイツでは、日本に比べ、子が親の戦争責任を追求した例が多かったと聞きます。

**

 関東大震災で香川の行商人が殺されたことは前回書きましたが、中国人の殺害も600人以上にのぼったと思われます。
(震災下の中国人虐殺 仁木ふみ子 青木書店 1993年)

 現代の「町村共同体」に関しては、過去ログに興味深い議論があります。

http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_plain?base=20123&range=1
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_plain?base=20134&range=1
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_plain?base=20199&range=1
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_plain?base=20247&range=1
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_plain?base=20251&range=1
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_plain?base=31831&range=1

** 余談 **

 精神医療に関する以下の議論(刑務所へ収容6万人に対して、社会に出られない「精神病」患者が30万人いる等)には強い印象を受けました。
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_tree?base=31394&range=1

 「我々のチラシ撒きの自由のために」スレッドを興味深く読みました。
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_thread?base=31713&range=1

 烏龍茶さんの投稿「遥かなるメリークリスマス」は新鮮でした。
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_plain?base=31851&range=1

 天皇制等に関する以下の議論も味がありました。
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_thread?base=31863&range=1

 田中荘復活おめでとうございます。人類史に関する議論は面白かったです。
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_thread?base=31864&range=1
http://otd13.jbbs.livedoor.jp/tanakasou/bbs_thread?base=30&range=1