| 32035 | 返信 | Re:精神医学・医療と精神分析について | URL | 水原文人@パラノイア | 2005/01/11 15:41 | |
| 補足: > ある意味で言えば、その「説明し切れないこと、判断できないこと」を明確にできたことが科学の果たした意義、役割りのひとつであると言えるでしょう。 フロイトの理論もまたそうですよ。「超自我」とか「無意識」とか「潜在意識」って、とりあえず名前はつけたけれどその中身は認識できず、推測するしかないことが前提なんですから。 > > ところが一方で「精神分析」はどうかと言えば、殆どの流派においてそれを「解明」し「説明」してきた(説明できるとしてきた)わけです。 解釈してるだけだと思いますが? 解釈、つまり「そう見えたから見えた」であります。 > 端的に言えば、結果から原因を一律に同定してしまったのが「精神分析」でもあったわけです。そのようなドグマティックな一般化は、同性愛の「幼児期のトラウマ」をその「精神障害」症状の原因とした時の精神分析言説と同じように、偏見や差別を呼び込む危険性さえ孕んでいると言えるしょう。 だから「同性愛の「幼児期のトラウマ」をその「精神障害」症状の原因とした時の精神分析言説」自体が、フロイトをちゃんと読んでないわけでしょう? フロイトの仮説ではあらゆる人間に少なくとも両性愛的傾向はある、つまり同性愛の部分があるってことだったんですから。それが成長の過程において環境からの刺激によって抑制されたりすることで「正常」なら異性愛者の大人になるわけで、「トラウマ」に原因があるというのは転倒してますよ。 > 前にも書きましたが、これは文学や芸術などの世界で人間心理の描写や演出に自由な想像(創造)力を働かせるために「精神分析」的手法を援用させることとは大きく質の異なる問題と理解すべきです。 「人間心理の描写や演出」に「自由な想像(創造)力」なんて働かせることはできませんよ。そんなことやったらドラアマとしてなんの説得力もなくなる。厳しい規律を自分に課してひたすら観察し、分析し、自問自答を繰り返す作業の中で自らの解釈を構築し、それをさらに度重なる更新プロセスにかけるだけです。 > > > 水原さんがもし(1)(2)に同意されるのならば、「自閉症児の発症の原因になるトラウマといえば、たいていの場合は親が関わったもののはず」という貴方の言明は当然に撤回もしくは修正を迫られることになります。 トラウマは訂正しましょう。ストレス、あるいは抑圧です。だいたいマルクーゼ主義者(笑)がトラウマなんて使ってはいけないのであった。ゴメンゴメン。 > > 3年前の話をまたまたしつこいねぇ。元々の文脈は遺伝的要因の可能性については否定も肯定もしておりませんが(苦笑)。つまり、「言及してない」だけです。 > > 私は、貴方が「遺伝的要因の可能性については否定も肯定もしていない」ことを問題にしているのでは全くありませんよ。この点もお分かりになっていないようです。 ええ。ではなにを問題にしてるのか(あなたの一連の投稿を読解すると見えて来る貫通行動としての動機以外は)さっぱり分かりませんから。 しょうがないからマルクーゼのさわりだけ解説。 ラカンもそうですが、人間が本能の「壊れた」生物であることはご同意いただけますね。ですから「壊れた本能」で生まれた人間が社会生活を営むために必要な人格を形成するには、周囲の環境からの刺激ないし抑圧に対することでしかあり得ないわけです。 ラカン先生の「鏡像段階」は自閉症には大いに関連するかも知れないけど、あまりに複雑でサワリだけ語るとバカみたいに聞こえてしまうので割愛。 で、マルクーゼはその抑圧を「必要な抑圧」と「過剰な抑圧」に分類したのですね。必要な抑圧とは人間が人間であって社会生活を営むために必要な人格形成に関わるもの。「過剰な抑圧」は要するにそれがやり過ぎになるとかえってよくないって話(ビョーキになる)。 で、マルクーゼがたぶんなな様的な精神構造の人から見れば「ズルい」ことに、どこまでが「必要」でどこからが「過剰」であるかについては、資本主義批判とか消費文明批判とか父権制批判とかぐらいしか言わず(政治思想でもありますので)、どこからどこまでかは特定はしなかったわけですね。 …というか特定できっこないんですが。だってその個々人の「壊れた」なりに持って生まれた「本能」ないし「資質」「個性」も、その生育・生存環境も千差万別なんだから、思想家・理論家がそこに介入すれば自らの思想の普遍性を台無しにしてしまうんですから。 で、たとえば自閉症的な資質がある場合(マルクーゼ先生の時代にはまだそこまで自閉症をめぐる研究や論理化が進んでなかったので、自閉症についてとやかく言ってるわけではないから、こっから先は僕の解釈ですよ、いいですか?)認識のありかた自体がおそらくは生まれつき「普通」ないし「平均的」な人とは異なってるわけですから、環境からの「刺激」ないし「抑圧」の受容の仕方は異なって来ますよね? ここまで分かりますか? つまり個々人によって、ある刺激やストレスが「必要な抑圧」であるか「過剰な抑圧」であるかはすさまじくバラつきがある、というわけ。つまり仮にまったくおんなじ育て方をするのが可能だとしても(不可能だけど)、受容する個人という主体に与える影響は、ぜんぜん違って来るわけですよ。自閉症的な資質がまったくない(ってのはあしな先生によればあり得ないそうだが)人と同じ育て方をしても、その資質がある人なら「発症」しますよね? その個別差が無限にある認識や受容のあり方によって出て来る結果(つまり人格形成)を、分類のためにとりあえず線引きをしましょう、ってのが「自閉症」の定義の根本だと思うのですが、違います? ちなみにどんなに複雑な思想でも「自分の言葉」で掲示板上の限られたスペースで要約できると思ってるらしいなな様のためにひどく単純化して書きましたが、結果としてとても重要なことが抜け落ちています。持って生まれた「壊れた本能」が死ぬまでそのままであるわけではない、ってこと。 > 「すべてを先天的な理由だけで説明しようとするのはおかしい」という主張自体については、私も大いに同意できるのですよ。 ならなぜいちゃもんをつけ続けるのでしょうねぇ? > > だからあなたはどうなのか、と聞いているんですが? > > 性的指向が同性に向いているという事実だけを持ってして、それを精神障害とは言えないし、したがって精神的な病理とも言えないというのが、これまでの医学的科学的見識も踏まえた上での私の考えです。ただし、それを言うには少し補足が必要になると思います。 なぜ? 純粋に価値観の問題でしかありませんよ? > 前回も書いたように、性的関心の対象が同性愛と同じように同性に向かっているという点で広義には同性愛のカテゴリーの中に含まれると考えられる性同一性障害について言えば、 ぜんぜんそのようには考えられません。あなた性同一性障害についても同性愛についても、なんにも知らないんですね(絶句)。 > 幼児期のかなり早い段階から自らの生物学的性に強い違和感を感じ、そのことに大きな心的な苦痛を感じている人の存在がそんなに稀ではないことが分かってきました。そのようなケースでは、彼らの心の強い葛藤は精神的な苦痛として---言葉を換えれば「精神的な障害」として何らかの治療やケアが必要になる場合もあることは付言しておきたいと思います。 性同一性障害それ自体については、その障害、つまり自意識としての性と身体および社会的な性の差異をなくせば解決する、という理屈になってます。 で、そういう自我の芽を持って生まれた人がその結果受けたストレスの結果として生まれた精神的な問題についていえば、それは自己のアイデンティティの確立を促したり、自分の受けた抑圧を自分で論理化して整理するという、つまりは精神分析的な自分探しのプロセスによって対処するんですが? > > そりゃ世の学者がプライドの生き物であるから、というだけでしょう。 > > 「学者」というだけで特別に「プライドの生き物である」という断定はできませんね。何か根拠でもあるのでしょうか。 僕自身が学者上がり、っつーか研究者上がりですから、あの業界はよーく知っておりますが? 退屈なのでやめましたけどね。 付言するならmarisさんとの”I don't want to talk about it”っていう本をめぐった会話がちょっと前の方にありますから、読んでみて下さい。そもそもあらゆる人間が潜在的には「プライドの生き物である」わけでして。 …つーか、「世の学者がプライドの生き物であるから、というだけ」という言説に対し「「学者」というだけで特別に「プライドの生き物である」という断定はできませんね」っていうご返答は、またまた必要条件と十分条件の違いが認識出来てない戯れ言のパターンに陥ってますが(笑)。 |
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