| 32038 | 返信 | Re:無防備地区宣言運動2005スタート | URL | トルティーヤ | 2005/01/11 19:37 | |
| ノンポリさん、もいっちょ。 > 昨年12月の市議会では、残念ながらこの条例案は否決されてしまいましたが・・・・いつの日かこの条例案が成立すれば、 > 市内には自衛隊やアメリカ軍が軍事的拠点を置くどころか、両軍が立ち入ることすら(それどころか上空を飛行することすら)、また軍事物資を積んだトラックが通過することすら禁止されます。 > つまり自衛隊とアメリカ軍は枚方市に指一本触れることが出来なくなります。このような「無防備都市」が一つ、また一つと増えていけば、日米両軍は身動きが取れなくなり、極端な話ですが基地から外に出られなくなるでしょう。「有事」を起すことは事実上不可能となるのです。 ◇オープンシティ宣言については随分以前になりますが私もここに投稿したし、先程もおっちゃんが説明してくれた通り、オープンシティは侵略軍や占領軍、そして義勇軍と称するゲリラやテロリストどもが枚方市を無血占領してしまいます。その際の善後策について前例を参考にしつつノンポリさんか前田さんにご説明頂きたいのですが。 何故私がこんな話をするかと言うと、オープンシティ宣言を行ったが結局戦場となってしまった前例が多過ぎるからです。特にフィリピンのマニラシティは米極東軍司令官D・マッカーサー陸軍大将が日本軍入城前にオープンシティ宣言を行った事で有名ですが、マニラシティを易々と無血占領出来た日本軍は憲兵隊による過酷な占領体制を敷き、軍票を乱発した為にハイパーインフレに陥り住民は物々交換でしのがざるを得ない程に生活が困窮しました。その後米軍やOSS(戦略情報局…CIAの前身)に支援された抗日ゲリラの出没に悩まされた日本軍は、貧弱な火器と稚拙な戦術で闇雲にゲリラ討伐戦を繰り返して多数のフィリピン住民が殺されました。鉱山労働者は脱走防止の為に半ば強制労働を強いられていた程です。昭和19年10月にはレイテ沖海戦で日本海軍連合艦隊は乾坤一擲の大作戦を展開しましたが、栗田艦隊がレイテ突入を突然中止して反転した為に惨めにも大敗北を喫し、瞬く間にレイテ島を喪失。そして昭和20年にはルソン島に米軍の上陸を許してしまい、山下奉文陸軍大将の撤退命令に逆らってマニラシティに立て篭もった海軍陸戦隊と一部の陸軍部隊が多数のマニラ市民が抗日ゲリラと疑って虐殺し、無差別攻撃をしてきた米軍と死闘を演じました。これが悪名高いマニラ市街戦です(この命令違反が原因で戦後山下は戦犯として処刑されてしまう)。即ち、オープンシティであっても一旦占領されてしまえば生殺与奪の権は侵略軍や占領軍にあります。もしも占領軍が正規軍ではなくテロリストだと最悪の事態を招くでしょう。市内のあちこちに処刑小屋が設けられ、少しでも自分に気に入らない素振りを見せた市民を捕らえて拷問・公開処刑・そして密告制度を設けて隣人を互いに密告させるようになるでしょう。 戦時なので基本的に市民の諸権利は相当制限されるでしょう。デモやストライキは原則禁止。不審者尋問による所持品検査が頻繁に行われ、密通の原因となる電話局や基地局は全部シャットダウンでしょう。この場合どのようにして市民の要望を侵略軍や占領軍に伝え、権利をかちとってゆくのかご教示願います。テロリストの場合だと要望を出す事自体が極めて危険なのでじっと耐えて我慢するほかありません。 次に枚方市はオープンシティ宣言によって法的には安全とされますが、地形的に狭隘な地形ではなく比較的平坦で京都と大阪を結ぶ重要なラインの上にあります。よって侵略軍や占領軍が自衛隊による大阪奪還を阻止する為に、枚方市の両翼に防御陣地(特に砲兵やSAM)を構築し枚方市全域で砲撃戦や戦車戦が行われる公算が大きい(陸自3師3・10戦大及び3特連が何故今津に布陣しているか考えてもみよ)。法的な保護を与えられたとしても戦略的には侵略軍や占領軍にとっての重要地点ですから、現実が思惑通りになるかどうかは疑問です。 |
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