32058 | 返信 | NHK番組を安倍・中川昭が検閲 | URL | クマ | 2005/01/13 11:50 | |
クマ@憤激モードです。 安倍とか中川がやっていることは、彼らが攻撃してやまない自由なき独裁国家とまさに同じことであり、彼らの言う「自由社会」なるものが、彼らのやりたい放題をやるための「自由」に過ぎないことが明白になった。なにが「自由社会」だ、笑わせんな。 また彼らの言い訳の醜いこと。 「公正中立を求めただけだ」 またこれだよ。なんというのか、バカの一つ覚え、春日輝仁レベル。論外。 そもそも政治家の介入は常識としても法律上もあってはならないことなので、「求め」ること自体がNGなのだが、彼らの言う「公正中立」っていうのは、要するに「政治的なテーマを扱うな」と言っているのに等しく、その本音は「左翼の主張に有利になるような番組を放送するな」というものであり、そこから「自分に都合のいい主張以外は認めない」という文字通りのファッショまでは半歩の距離であります。 民主主義国家における政治家としての常識のカケラもない人間だということは、まあ安倍などは以前から朝日新聞への口汚い攻撃などで明々白々であったけれども、いつまであんな苦労知らずで自己抑制のきかない亡国三世議員を野放しにしておくのか。 圧力に簡単に屈したヘッピリ腰の臆病なNHK幹部に言いたいが、どうして不当な政治家からの圧力に徹底して抵抗しようとしないのか。こんな屈服は放送人として恥ずかしくないか。政治家の無法を監視する役目を果たすどころか、民主主義の常識も法律すらも「強い者」のやりたい放題を規制できない状況、まさに自由なき独裁国家の状況を自ら招いてどうするのか。徹底した抵抗には必ずや徹底した支持が寄せられよう。この世のあらゆる自由や権利と同じく、「放送の自由」も、それを妨害する者との闘争というメンテナンスなくしては錆びていかざるをえない。 内部告発したNHK社員に敬意を表しつつ(というかこの社員を海老沢の次のNHK会長に据えろ)、以下、非常にマトモな「東京新聞」の今日の社説。 ============================= 気に入らない番組の放送中止や内容変更をテレビ局に迫る政治家は、日本国憲法の大原則を無視していると言わざるを得ない。「与党国会議員は何でも許される」と勘違いしているのではないか。 NHKが二〇〇一年一月に放送した「裁かれた戦時性暴力」は、市民団体が開いた女性国際戦犯法廷を基にした番組だ。法廷は旧日本軍の従軍慰安婦制度の責任者を民衆が裁く形だった。 その番組の放送前、中川昭一・現経済産業相、安倍晋三・現自民党幹事長代理がNHK幹部を呼びつけて「偏った内容だ」と変更や放送中止を求めていたことがわかった。出来上がっていた番組は二人の介入後、幹部の指示で大幅修正された。 主催団体側が「法廷の趣旨に忠実な番組にする約束を破った」と起こした訴訟で、NHK側は「修正は自主的判断」と主張したが、二人の圧力に屈した疑いが強まった。 当時、両氏とも閣僚ではなかったとはいえ、政権党幹部が放送内容に事前に注文をつけたのは検閲に等しい。政治に弱いテレビだがこれほど露骨な介入は珍しい。 放送法三条の二は放送に政治的公平、論点の多角化を求める。半面、同三条には「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、または規律されることがない」とある。 肝心の三条を無視して公正原則だけを強調する二人こそ不公正のそしりを免れない。第二一条で「一切の表現の自由」を保障し、検閲を絶対的に禁止した憲法のイロハも理解していないのではないか。 中川経産相は一九九九年、所沢産野菜のダイオキシン汚染報道をめぐり、放送には何の権限もない農相だったのにテレビ朝日に農民への賠償を執拗(しつよう)に迫った。「権限と行政は法に基づく」との観念が欠如していると見られても仕方あるまい。 まず相手の表現を受け止めてから批判や反論をするのが民主主義の原則だ。相手の表現をあらかじめ自分の意に合わせるよう強要することは許されない。 表現、報道の自由が封じられ、悲劇的結末を防げなかった苦い経験を繰り返さないよう、表現の自由は最大限尊重されなければならず、メディアは自由を守り抜く責任がある。 予算、決算が国会の審議対象であるNHKは、ともすれば政治家に迎合する傾向があるように見える。同じような例がほかにもあるのではないかとの疑いも浮かぶ。これを機に、外部メンバーによりNHKと政治の関係を洗い直し公表すべきだ。 |
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